第455話 愛称のセンスは相性に左右される?
「か、カズ君、麦茶飲む?」
「え。あ、はい。ありがとうございます」
現在、一日の仕事を終えたバイト野郎は葵さんからいただいた麦茶を飲んでいた。
冷たくて美味しい麦茶である。気を遣ってくれたのか、氷も入っているのでカランという涼しげな音が心地よい。
が、内心は穏やかじゃない。
「今日も暑かったね。か、カズ君のおかげで仕事も予定通り終わらせることができたよ。ありがと」
「お、お役に立てて良かったです」
お気づきだろうか。
葵さんが俺のことを“カズ君”と呼んでくるのだ。今朝の“葵さんは彼女なのかセフレなのかどっちなのか”騒動以降ずっとこの調子である。
今すぐその呼び方に関して本人に問い質したい。
急にどうした、と。
「熱中症とか怖いから、あまり無理はしないようにね。カズ君」
「は、はい」
え、ちょ、マジどうしたん。
“ま”が無いよ。“ま”が。
ちなみにだけど、“ま”が無い『○んこ』は興奮性を著しく欠如している。“興奮性”とはなんだろう。
それはさておき、いつもの“和馬君”呼びはどこ行ったんだ。
そんな疑問は俺だけじゃない。他の皆もだ。他の皆というのは真由美さんたちを含め、俺たち5人のことである。
この場に居る誰もが
呼ばれている本人が早く聞けよ、と全く以てその通りの視線を俺に向けるが、それでも俺は葵さんに聞こうとはしなかった。
というか、聞きたくなかったのである。
「そ、そういえばキュウリの収穫量が減りましたね」
「うん。そろそろあそこのキュウリ畑はお終いかな。でも別のキュウリ畑が良いタイミグで収穫量増えてきたから、次はそこをメインに採るつもり」
「さいですか」
聞いたら絶対に今朝の面倒なことの続きになるもん。
今まで“和馬君”呼びだったのが“カズ君”呼びに変わったのって、どう考えても心境の変化でしょ。より親密な関係になったから、という理由で呼び方を変えたに違いない。
和馬から“ま”を取っただけなのに、この距離の近さよ。
“カズ君”って......ぐうかわかよ。
あとその呼び方する度に頬を紅潮させるのやめてほしい。レイプしたくなるじゃん。
レイプの経験ないけど。
「そ、それにしても暑いね。アイスでも食べよっかなぁ。か、カズ君は要る?」
「......ありがとうございます。今はいいです」
まだ言い慣れていないのはわかるけど、本人も恥ずかしがって呼ぶから余計刺激が強い。
そう言った彼女は冷凍庫からソーダ味のアイスバーを持ってきて、透明な袋から取り出したそれを口にした。
俺の隣で。
「葵さん」
「な、なに?」
「近いです」
「っ?!」
それはもうぴったりと密着してきたからびっくりしちゃった。俺は居間にあるソファーの真ん中に座っているのだが、左には今日の彼女当番である千沙ちゃんが居る。
だから右は空いていたのだが、まさかさっきまで別のソファーに座っていた彼女が、アイスバーを取りに行ってから戻った場所が真隣とは。
これには隣の千沙ちゃんもびっくりだ。それでも彼女は俺の左隣でちょこんと体育座りしながら、こちらをじっと見つめてくるだけである。
「ご、ごめんね!」
「い、いえ」
葵さんは慌てて元居たソファーへ落とす腰の先を替えた。
ちなみに葵さんと俺の関係はセフレのままである。
周りに流されやすい俺だが、ここは断固として葵さんにはセフレポジションにいてもらいたいと願ったところ、多数決という決着方法に至った。
「葵さんは彼女派」、「葵さんはセフレ派」の選択肢が当人たちに与えられた。
結果は2:2である。
陽菜と千沙は前者。俺と葵さんは後者である。
なんで本来、反対すべき立場であるはずの既存の彼女たちが前者なのだろうか。
なんで彼女、彼氏になる気が少なからず芽生えている俺と葵さんは後者なのだろうか。
葵さんが俺の味方(?)をしてくれたことには驚いた。彼女曰く、よく考えたら私大学に通って一年もしてないから、もう少しだけ彼氏探しをしたい、と。
だから俺という存在はセフレポジションに留まってくれた方が動きやすいのだとか。
彼女こそ俺を都合の良いように扱っているのではなかろうか。セフレという自由な付き合い方をフル活用している気がしてならない。
失恋したとか言ってたくせに、俺より優良物件を探そうという薄情な心意気だ。
無論、仮にそんな奴が見つかったと葵さんから報告があった時点で、俺は彼女にこれでもかというくらいマーキングをする所存である。
具体的にはキスマークとか中○しとか。んで終わった後に、それを彼氏予定の奴にビデオレターで送りたい。
葵さんにダブルピースアヘ顔をさせたい。
童貞が何言っちゃんのかね。
「......。」
いや、俺への評価が変わったと捉えるべきか。
あんだけ身体目当てとか言われたら、そりゃあこのまま彼氏にするの戸惑うよな。しかも相手はすでにW彼女持ち。地雷以外の何ものでもない。
「か、カズ君。明日は私とカボチャの収穫をするからね。いつもより多めに採る予定だから頑張ろ」
「あ、はい」
にしても、この“カズ君”呼びはなんなんだ。可愛いにも程があるんだが。
思わずこっちも“アオちゃん”とか“アーちゃん”呼びしたくなる衝動に駆られる。
......ふむ、葵さんはともかく。試しに千沙と陽菜の名前をそんな感じで呼んでみるか。
「ち、ちーちゃんとひーちゃんは明日、どんな仕事するの?」
「「「「「っ?!」」」」」
やべ、超恥ずかしい。
人の呼び方を急に変えるのってこの上なく恥ずかしいんだけど。
この場に居る面々が一斉にギョッとした視線を俺に送る。
親しくなった人を下の名前で呼ぶ感じとは違う歯痒さがあるな。葵さんはこれを平然とやっているのか。いや、全く平然じゃないが。
“ちーちゃん”はまぁ、まだそれっぽく感じるな。元々妹枠なだけあって愛称に抵抗感は無い。
一方の“ひーちゃん”はアウト感が否めない。元が千沙と同じく二文字でも違和感しか無いな。
俺は真隣という一番近くに居る千沙を見やった。
「わ、私は暑い中、外に出たくないので家でゴロゴロしてます」
「そ、そうか。それを宣言できるお前を尊敬しちゃうよ」
あ、ちーちゃんの露出した白く細い腕にプツプツと鳥肌が立ってる。
言った俺は自然に思えたけど、どうやら本人にとっては気色が悪かったらしい。
「ひ、“ひーちゃん”は?」
「い、今まで通りでお願い」
「......。」
こっちはドストレートに毛嫌いされたわ。
ポニ娘を見れば彼女は若干だが身震いしてたし。
ふむ、ここまで来たら他も巻き込むか。
「ま、まーさんはどうです?」
「......せめてお義母さんがいいわぁ」
早いって。だから気が早いって。
あんた一人だけ主旨が違うじゃん。
俺は無視して雇い主を見た。
「や、“やっちゃん”は......」
“さん”が“ちゃん”に変わっただけである。
“ちーちゃん”超えの親しみやすさがそこにあった。
「あ、ああ。俺はトラクターにハンマーナイフモアを取っ付けて、終わりを迎えた野菜を粉砕しようかな」
「さ、さいですか」
思えば俺ってまだ雇い主の本名を知らないんだよな。
もう一年以上もお世話になっているのに、名前を知らないとかヤバいと思うよ。おまけに愛しの彼女たちの親である。今更誰にも聞けないから永遠の謎だよ。
そんなことを考えていた俺に、雇い主はこほんと咳払いをして言う。
「ところでさ、高橋君って俺の名前知ってる?」
今生最大の壁がやってきたわ。
これだから人生は何が起こるかわからない。
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