第448話 彼氏失格

 「兄さん! たこ焼き食べたいです!」

 「悪いな。今の俺は誰かさんのせいで貯金が無いんだ」

 「私は将来のために、あんたの貯金を管理しているのよ」


 「? なんですか、それ。たこ焼き代くらい出してくださいよ」

 「彼氏をATMにするんじゃないよ。あとお前はさっきから食い過ぎだ。イカ焼き、焼きそば、フランクフルトにチョコバナナ......お兄ちゃん破綻しちゃうよ」

 「安心なさい。私があんたにこれ以上お金を渡さないから買えないわ」


 現在、俺は千沙、陽菜と一緒に的屋を回っていた。花火が打ち上げられるにはまだ時間に余裕があり、それまで遊び尽くす予定である。


 葵さんがいないにも関わらず、だ。


 的屋がずらりと並ぶ道は行き交う人が多い。反対方向から歩いて来る人の手にも例外なく、なにかしら握られていた。それは貴重品が入った手提げ袋であったり、的屋の商品であったりと様々である。


 皆、このお祭りを楽しんでいるのだろう。当然である。食べて、遊んで、騒げるイベントだからな。


 「兄さん兄さん、私、あそこの金魚がしたいです」

 「“金魚掬い”な。お前からは飼い殺しする未来しか見えないから駄目だ」


 「失礼な。まぁ、金魚が水槽の中で仰向けになっている様しか想像できませんが」

 「救いたいなら最低限の道徳を持ち合わせようか」


 もちろん千沙も陽菜も同じである。来てからずっと燥いでいた。いつもよりテンション3割り増しといったところ。


 可愛い彼女たちが楽しんでいる様子を目にすると、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。


 ......半分くらいね。


 「......。」

 「和馬?」

 「兄さん?」


 駄目だ。ここに来る前から、もっと言えば今朝から葵さんのことが気になって全然楽しめない。


 彼氏の俺が楽しまなければ、彼女たちに心配をかけてしまうかもしれないのに。


 でも葵さんがぁ。俺のせいで傷ついてしまった葵さんが気になってしょうがないんだぁ。


 が、俺のこの心境は彼女たちに悟られてはいけない。今この瞬間を一緒に楽しまなければならないのだ。それが俺にできる最低限の義務である。


 現に俺の失態で、彼女たちが楽しみにしていた浴衣姿を私服姿にチェンジさせてしまった。


 故にこれ以上の失態は許されない。


 「いや、なんでもない。それより二人は大丈夫か? 人混みで疲れてないか?」

 「別に」

 「後で、例の穴場スポットで打ち上げ花火を待ちながらゆっくりできますから、今は食べて遊びまくります。兄さんのお金で」

 「......。」


 俺、本当にお金無いんだよ。中村家でどんなに稼いでも全部陽菜行きだもん。


 一回俺に来てから陽菜に渡す、なんてプロセス無くて直で陽菜行きだ。


 それは快速急行の電車に例えればいいのか、農家らしく産地直送と例えればいいのかわからないくらい、中間地点である俺を通らず陽菜の下へ行ってしまう。


 「私も何か買ってもらおうかしら」

 「お前は自分で買えよ」

 「え、私には買ってくれないの?」

 「言い方が悪かった。俺の貯金から使ってね、マイハニー♡」


 柄にもなくそんなことを言ってみせる俺に、陽菜はつまらさそうな顔をする。


 ま、そんなこんなで今日は楽しむ気だ。正確には彼女たちと楽しもうとする気持ち半分で、もう半分はどうしても考えてしまう葵さんを気にしている。


 そんな器用なことができるわけ......と思うかもしれないが、最近の変態野郎はこの使い方が滅法上手い。


 日々の農作業においても右脳と左脳を使い分けている。右脳は直面する生活の処理を、左脳は千沙と陽菜の二人をぶち犯す妄想しょりをしているのだ。


 今は右脳を彼女たちのために、左脳を葵さんのためにとよくわからない使い方をして――


 「あ」


 俺は間の抜けた声を出してしまった。


 このキショい脳みその使い方に、身に覚えがあったからだ。


 そう、以前、葵さんと仕事していたときに......ビニールハウスのフィルム替えをしたときだったか。


 とってもそれっぽい、彼女を勘違いさせるには十分な発言をしてしまった気がする。


 「兄さん? なにぼーっとしているんですか?」

 「......。」


 いや、正確にはもう少し後だ。葵さんとの距離が近いと感じたのは。


 俺の気のせいじゃない......はず。そういえばキザな発言したことを鮮明に覚えている。俺らしからぬ物言いだったからな。できるだけ早く抹消したい記憶だけに中々残ってしまうものである。


 で、俺は葵さんになんて言ったのかと言うと、『自分には葵さんが必要です』とか抜かしてた。


 待った。じゃあ今朝のあの目元が赤く腫れていたのって......。


 瞬間、俺の胸がズキズキと痛みだした。急激な不安感と言うべきか、とんでもない失敗に今更ながら気づいてしまった感が否めない。


 「俺はなんてことを......っ?!」


 俺の真ん前には陽菜が立っていた。


 そして次の瞬間、彼女は俺の胸倉を力強く掴んで言う。


 「ちょっとこっち来なさい」


 その声は明らかに穏やかじゃなかった。


 俺は陽菜に連れ去られるがまま、周りに居る人たちから注目を浴びながら、的屋が並ぶ道から外れていった。



 *****



 「っ?!」


 俺の悲痛な声は、木の幹に背を打ち付けられて生じる痛みからだった。ほぼ投げ飛ばされたに近い仕打ちを受けた俺は膝を着いてしまった。


 ここは先程まで居た的屋が並ぶ大通りから少し離れた場所である。


 「な、なんだよ。急に......」


 せめて理由くらい話してほしいと思った俺は暴力女に問う。


 「なんだよって......それはこっちのセリフよ」


 は?


 随分な物言いに、こちらも思わず苛立ちを覚えてしまう。


 意味もなくこんなことをする彼女ではないとわかってはいるが、今の俺は今朝からずっと悩み事をしていて、そんな余裕を持ち合わせていない。


 「おま――」

 「あんたさっきからなに?!」

 「っ?!」


 陽菜の怒号に思わずビクついてしまった。


 え、お前って腹の底からそんな声出せるの?


 「今朝からずっと、ずーっと上の空で! 私たちだけが楽しんでいるみたいじゃない!」

 「そ、そんなこと......」


 「浴衣着て和馬に攻めようと思ったのに、あんた全然見向きもしないわよね! さっきも急に黙り込んだりしてなんなの?!」

 「俺は別に――」


 「どうせ葵姉でしょ?!」

 「っ?!」


 図星じゃない、と陽菜が舌打ちをしながら呟く。


 そしてまたも俺の胸倉を掴み、無理矢理立たせて後ろの木の幹に俺の背をぶつけた。


 でもそんな痛みなんかよりも、目の前の彼女がよっぽど辛い顔をするからそっちに気を取られてしまう。


 陽菜は俺の胸に額を押し付けて言う。


 「ねぇ、もしかして葵姉から告白された?」

 「......。」


 何も言えなかった。


 厳密には告白されたわけではない。ただ以前、葵さんとそれに似たような出来事があっただけだ。


 俺の中ではもうとっくに終止符が打たれた、過去の出来事にしたかったものが。


 「......馬鹿ね。黙ったら肯定しているのと変わらないわよ」

 「......なんでわかった?」

 「確信は無かったけど、最近の葵姉の様子はおかしかったもの」

 「なんでそれを――」


 『もっと早く俺に言わなかったんだ』などと、いったいどの口が言えるのだろうか。


 事実、以前にも陽菜に葵さんとの関係を聞かれたが、俺はそのとき生返事をしてしまった。


 だから俺が陽菜を責めるのはおかしい話である。


 「なによ」

 「......ごめん」

 「はぁ......」


 陽菜は俺の胸から頭を離した。これ以上の言及をする気が無いのか、数歩下がって俺を見つめてくる。その様子は俺の答えを待っているようだった。


 陽菜と千沙に謝って、もう一度チャンスを貰うべきか?


 今から心を入れ替えて一緒にお祭りを楽しもうと持ち掛ければいいのか?


 できるか?


 そもそもそんな資格が俺にあるのか?


 「ねぇ、あんたは何がしたいの?」

 「......俺はお前らの――」


 「違うわ。私たちの彼氏だから何なの? したいことと関係ある?」

 「......。」


 「私たちはあんたの彼女で、あんたは私たちの彼氏。一生懸命になってくれるのは嬉しいけど、それって葵姉と向き合わない理由にはならないでしょ?」

 「っ?!」


 図星だ。


 葵さんの好意に気づいても、“俺には千沙と陽菜が居るから”を口実に避けていた。


 卑怯な話だとわかっていても、それが二人に対するせめてもの誠実さだと証明したかった。


 そんな俺でも別の理由があったはずだ。


 口実とは違う、葵さんとは付き合えない理由が。


 それが今なら――


 「和馬、もう一度聞くわ。......あんたは何がしたいの?」


 ――わかる。


 陽菜が優しげな笑みを向けてきた。暗がりで彼女の表情はわかりづらいのに、なぜだか抱いている感情はこちらに伝わってきた。


 今まで沈黙を貫いてきた千沙に目を向けると、彼女も俺に微笑みかけて――


 「ふぁ〜あ」


 はいなかった。


 盛大に欠伸してた。


 え、なんで? 今? 空気読も?


 「はは」


 そんな様子の妹を目にした俺は思わず笑ってしまった。


 違うだろう。千沙はもうこんな茶番にはうんざりしているんだ。変態がなに真面目な悩み事してんだと呆れているに違いない。


 故に俺という彼氏を知っての信頼と捉えるべきである。


 「言っておくけど、私は後から葵姉があんたの彼女になろうと――」

 「言わなくていいぞ。というか、言わないでくれ」


 そこまで手助けされたら、もう立つ瀬がないぞ、和馬さん。


 だから俺が言うんだ。


 「ありがとう。おかげで目が覚めた」


 俺の気持ちをはっきりと目の前に居る二人に。


 「俺は――」


 ――そして家に籠もっているであろう、あの人に。


 「葵さんが大っ嫌いだ」


 伝えよう。


 すぐにでも、この気持ちを......


 「悪い。だから今から葵さんにこの気持ちを伝えて、ここに連れてく――って、どうした?」


 一人ですっきりした俺は、目の前で開いた口が塞がらないと言った状態の二人の顔に面食らってしまい、言葉の続きを止めた。


 「え、ちょ......は?」

 「に、兄さん、今なんて? 姉さんのこと......」

 「嫌いと言った。あ、大の方ね」


 「「え?」」

 「え?」


 いや、だからなんだよ。


 「「「......え?」」」


 だからなに?!

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