第447話 セクハラに失敗

 「......。」


 ベチャッ。


 そしてボトッと落ちたのはバターが塗られたトーストである。


 最初は何事かと驚いた。


 決して偏差値の高くない、かつ低くないでほしいと切に願う我が顔面に、何が起こったのかと驚いてしまった。


 が、そんな驚きも“ベチャ”のときだけで、次の“ボト”の頃には若干だけれど落ち着きを取り戻せていた。


 「あ、葵姉......」


 陽菜が口にした名の人物は俺の目の前の席に居る。


 トーストが落ちた先に写った視界にはその人が収まっていた。


 右手をこちらに向けてである。


 まるで何かを投げ終わったかのようなフォームである。


 どのような面持ちだったか、陰っててよく見えなかったが、これはアレだな。


 やっちまったな。


 「......私、行かないから三人で楽しんできて」


 ......セクハラ、失敗しちまったな。


 葵さんはそう言い残して席を立ってしまった。そしてリビングを後にし、そのまま階段を上る音が聞こえた。自室へ戻ったんだろう。

 

 「「「「......。」」」」


 場の静寂が、さっきまで旺盛だった食欲を一瞬で掻き消した。きっとそれは俺だけじゃないはず。突然のことに陽菜も真由美さんも雇い主も驚いたことだろう。


 この場に居ない千沙ちゃんはそんな俺たちの気も知らずにぐーすか寝ているに違いない。


 「ちょ、チョウショックなんですけど......なんて」

 「「「......。」」」


 うん、ごめんね。


 この発言はセクハラの次に論外だよね。


 心の中で悪いけど、謝らせて......。



 ******



 「あの、葵さん」


 コンコンとノックをし、部屋の主の名前を口にした俺は彼女に謝るべく、この場に馳せ参じた。


 ちなみに顔面に付いたバターは洗顔して落としてきた。本当は慌てるがまま、彼女の下へ直行しようとしたけど、リビングに居た面々に止められてしまったので、バイト野郎の顔はさっぱりしている。


 心は依然として重たいが。


 まぁ、バター顔で謝りに行くのも失礼極まりないよな。


 「葵さん、自分です」


 再度、彼女の名前を呼ぶ。


 黙っていれば俺が引き返す、などと思わないでほしい。俺に非があったのは重々承知なので、とりあえず許してもらえるまで、ここを動く気はない。


 「......なに」


 そんな俺の意思が伝わったのか、部屋の主から返事をいただけた。


 その声はどこか悲しげであって、怒気も若干だが感じられた。


 「さ、先程は申し訳ありません。葵さんに不快な思いをさせてしまったことお詫び申し上げます」


 とりあえず下に、下に。


 非がある者はへりくだってこそ、会話につなげることができると確信している。


 当然、部屋の前で立って謝っているのではない。部屋の前で土下座である。


 たとえ彼女が俺の体勢がドア越しでわからなくても、許しを請う姿勢は土下座から始めなければならない。


 「私にも......非があったのはわかっているつもりだよ」

 「葵さんに非など何一つとしてございません」


 「和馬君は......自分が何を言ったのかわかってる?」

 「はい。度重なるセクハラ発言を時と場と場合を弁えず、口にしてしまったこと反省しております」


 俺のその一言を、彼女はどう思ったのだろうか。


 未だドア越しで中に居る葵さんの様子は伺えないが、芳しくないのはなんとなくだけどわかった。


 これはもしや、許す許されない話依然の問題ではなかろうか。


 そんな気がしてしょうがないセクハラ野郎である。


 「......もういいよ」


 そんなことを考えていた俺に、こちらを突き放すような返答が投げられた。


 その声色はさっきの悲しげとも怒気とも違う、似ているようで、どちらかというと落胆に近い気がした。


 「あ、葵さん、これから気をつけますので――」

 「大丈夫。和馬君は悪くないよ。今日はちょっと今朝から体調が悪いから、部屋ここでゆっくりしてるね」

 「い、いや、しかし」

 「本当に大丈夫だから。私の方こそごめんね。風邪なのかよくわからないけど、気分悪かったからあたっちゃって」


 続け様にそう語った葵さんはそれ以降、俺がなんと言おうと部屋から出ることはなく、気にしないでと繰り返すばかりだった。


 最終的に俺が折れて、この場を去る事になった。葵さんからはちゃんと返答がくるけど、これ以上は関係が悪化する気さえした次第である。


 「はぁ......」


 花火大会前だと言うのに、なんとも気まずいことをしてしまったと反省する俺であった。



 ******



 「あれ、なんで着替えてきたの?」


 俺のそんな一言に、彼女二人は舌打ちをもって返答した。


 え、なに、お前らも不機嫌なん......。


 現在、夕方を迎えた俺たちは、待ちに待った花火大会を観に行くというのに状況が最悪だった。


 中庭で千沙と陽菜が不機嫌そうに立っているのである。


 夕暮れ時でも暑い夏の時期だから、それで気分を悪くしているわけじゃない。原因は当然俺にあると言ったご様子だ。


 数分前まで陽菜と千沙の二人は可愛らしい浴衣に身を包めていた。それなのにどうしたことか、いつの間にか姿を消した二人は、普段の私服姿で戻ってきたのである。


 陽菜は純白のオーバーサイズシャツにショートパンツと、少しムチッとした太股を見せつけるかのようなファッションだ。


 千沙は黒色のノースリーブのトップスにロングスカートと、上半身のラインをアピールする身なりである。


 浴衣じゃなくても超可愛い私服姿に万歳したいけど、なんで?


 「あんた、さっき私たちを見てどう思った?」

 「え、可愛いなって」

 「口にした?」

 「......。」


 陽菜の物言いに沈黙してしまった俺は、ぐうの音も出ないほどその通りであった。


 「今朝から葵姉のことを気にしているのはわかるけど、せっかく着付けても彼氏に褒められないんじゃ着る意味無くなるわよ」

 「うっ」

 「ですね。動きにくい格好をする意味が無くなります」


 やばい。今日の俺、マジでヤバいぞ。


 お洒落した彼女たちに一言も感想を言わないのは彼氏として終わってる。


 「姉さんは兄さんがセクハラ発言する前から、体調が悪いと言っていたのでしょう? 本当にそうかもしれないじゃないですか」

 「そうね。葵姉が寝坊するなんて珍しいもの。最近はそうでもなかったけど、昔はよく体調壊してたし」

 「い、いや――」


 “そうじゃない”。と彼女たちに言えば、俺の気は済むのだろうか。代わりに彼女たちに余計な心配をかけてしまうのではなかろうか。


 「......。」

 「「?」」


 自然、俺の言葉は続きを失う。


 「そう、かもな。俺のセクハラはいつものことだし、そこまで気にするもんじゃないよな」


 発せられた俺の言葉はただの楽観視から来る願望である。


 わかってる。本当はそうじゃない。今朝のセクハラ発言とは違う。何かしら俺がやってしまったことが原因だ。


 なら何か。


 必然とその答えは過去の出来事に結びつく。


 葵さんは――


 「賛同するのもどうかと思うけど、あんたのセクハラは呼吸としてみてるから平気なはずよ」

 「ま、たしかに体調の悪い姉さんを置いていくのは気の毒ですが、気を遣って私たちが行かないのもどうかと思います」

 「......ああ」


 ――俺にまだ好意を抱いていたのかもしれない。


 それが直接関係しているのかわからないけど、俺はたしかに一度、葵さんの気持ちを断った。


 いや、それも少し違うな。昨晩の葵さんはあんなに喜んでいたじゃないか。


 なにか、なにか見落としていることがあるはずだ。


 「はぁ。とりあえず向かいましょ。的屋回りたいですし」

 「私、綿あめ食べたーい」


 が、それもすぐに解決できることじゃない。俺にはなによりも優先しなければならない彼女たちがいるんだ。


 不安が拭い切れず、それでいて最低なことこの上ないが、俺はこのまま二人と一緒に目的地へ向かうことにした。


 ......ああ、そういえば去年も葵さんと一緒に行けなかったなぁ。



――――――――――――――――



 ども! おてんと です。


 今回は少し暗めな終わり方ですが、次回に続きます。許してください。


 それでは、ハブ ア ナイス デー!

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