第445話 葵の視点 恋の針千本
「うーん、こっちかな〜」
今日の天気は曇りのち雨。窓から外を覗けば、雨が降っているのがわかる。土砂降りというほど酷くはないので、明日のイベントには影響無さそう。
夕食を終えた今、私たちは各々、余暇を過ごしていた。私はというと、姿見の前に立ち、数種類の浴衣を試着している最中である。
「あ、でもこっちの浴衣は、陽菜が持ってる浴衣と色合いがかぶるかも?」
あれやこれやと試行錯誤しているのは、何を隠そう、明日の花火大会のためである。
去年のように、陽菜と千沙、そして和馬君と一緒に行くことになったので、その前日である今日のうちに着ていく浴衣を選んでいたのだ。
「ふふ。去年の私は風邪ひいちゃったから浴衣着れなかったし、今年こそはお洒落して行こ」
一人、自室でにやけながら妹たちと意中の彼を思い浮かべる長女、中村葵です。
さてさて、明日はどの浴衣を着ようかなー。
「あ、そうだ! 陽菜たちがどんな浴衣着るのか聞いてから考えればいっか!」
思い立ったがなんとやらだ。今のうちに聞いておけばじっくり考えられる。
たしか陽菜と千沙は東の家に居るんだよね。私と同じく、明日のために色々と準備をしているらしい。長女はこんな浮かれた様子を二人に見せたくないから自室で試着してましたが。
和馬君も同席しているかわからないけど、とりあえず3人が居るあっちの家に向かおう。
*****
『ガラガラガラガラ』
「お邪魔しまーす」
自分の家なのにそんなことを言う私である。
廊下を渡ってすぐ横の部屋が居間だ。他の部屋と比較しても広い空間なので、千沙と陽菜が居るとしたらそこだろう。
案の定、居間からの明かりが入口付近の廊下を照らしていた。
「ばッ! ここで脱ぐなよ!」
「見られても減るものじゃないから、かまわないわよ?」
「陽菜、今日は私が兄さんの彼女ですよ。誘惑しないでください」
「そうじゃない! 息子が勃ったらどうするんだ?!」
「勃たせとけばいいじゃない」
「勃ったら浮気認定しますからね」
あ、相変わらず仲がよろしいことで。
部屋の外で、中に居る三人の会話を盗み聞きしてしまった私は、入るタイミングを失った気がして、つい歩みを止めてしまった。
どうやら玄関を開けた音と私の声は三人に聞こえていなかったみたい。
というか、和馬君も交えて試着会とはすごい大胆だ......。
「あ、姉さんも明日一緒に行くんですよね?」
急に私のことを話し始めた千沙に、思わずドキッとしてしまった。
「ええ、そうね」
「でしたら姉さんの浴衣のデザインのことも考えた方がよくありません? 合わせてもいいですし、別にするならするで、かぶらないようにしませんと」
お、千沙も私と同じことを考えてくれてたんだ。
それならそれで、今このタイミングで姿を表した方が、三人をちょっぴり驚かせそう。
「三人で揃えた方が姉妹丼って感じでいいよな」
「うっわ。最低......」
「よく彼女に向かってそんなことが言えますよね。童貞のくせに」
「童貞は関係ないだろ」
か、和馬君は本当に正直だよね。
下品な会話もちょいちょい聞こえてくるから、どのタイミングで顔を合わせればいいのかわからないや。
「というか、その言い方だと姉さんも美味しくいただくみたいじゃないですか」
っ?!
た、たしかに!!
私は自分の顔が急激に熱くなるのを感じた。
うぅ、益々出るタイミングが......。
「あんた、付き合ってもない葵姉にまで手を出す気?」
..................ん?
今、なんて......。
「な、なわけないだろ」
「珍しく言い切りましたね」
「ふーん? ま、当然よね」
「俺はお前らの相手で手一杯なんだぞ」
「なんですかその物言いは。可愛い彼女が二人もいるんですよ?」
「もっと感謝なさい」
ちょ、ちょっと待って。
どういうこと?
「あ」
思わず私は間の抜けた声を出してしまったけど、部屋の中に居る三人には届いていない。
そうだ。全部和馬君に任せてたから......ちゃんと私の口から二人に想いを伝えてなかったから、二人は私を認めてくれていなかったんだ。
なら今からでも――
「うッ......。そ、そうだな。二人が俺の彼女になってくれて嬉しいよ。感謝してますとも。葵さんは関係ありませんね。ごめんなさい」
ずしり。
胸が重くなった気分に駆られた私は、そのなんとも言えない気持ちに苦しめられる。締め付けられた気がして、少しの間、呼吸を止めてしまった。
え、どういうこと。
と不意に口から溢れ落ちそうになるのを、既の所で押し止めた。
「とか言って、もし葵姉がとびきり可愛い浴衣姿で来たら、あんたコロッといくんじゃない?」
「い、いかねぇよ。何度も言うが......言わせてるのか? 俺は二人しか見てない」
「さっきの“手一杯”という表現を言い換えただけですね」
......。
和馬君は......私と付き合っていない?
でもあの時、たしかに彼は私を必要と言ってくれて、千沙と陽菜にもその気持ちを伝えてくれて......だからきっとこれは何かの聞き間違いで――
「じゃあもうどうしろって言うんだよ」
「「キスして(ください)」」
「き、キスは関係ないだろ」
「はぁ? 『あなたが好きです』って証明よ?」
「そうですよ。好きでもない人とキスする訳ないじゃないですか」
聞き間違いかどうかは......きっとそのキスで証明される。
私が彼にキスをお願いしたとしたら、彼は私にしてくれるだろうか。
たぶんそれはない。
私の聞き間違いで、どこを勘違いしたのか未だわからないことだらけだけど、きっと彼は私にキスをしてくれない。
その証拠に、彼は本来明かしてあるはずの......私がそう思い込んでいた彼の気持ちを、千沙と陽菜に伝えていない。
彼女は二人だけと言い切っている。
なんで......なんで私が入ってないの?
頭の中でその一言がグルグルと蔓り、思考を侵していく。
なんで、なんで、と意味もなく、答えに辿り着けぬまま、私は廊下でただ立ち尽くしてるだけだった。
「そういえば兄さん、最近姉さんと距離が近いですよね。もしかして付き合ってるんですか?」
っ?!
千沙の何気ない一言に、私はビクッと肩を震わせてしまった。
「よ、よく平然とそういうこと言えるな。お前、一応彼女だろ」
「私も疑問に思ってたわ。葵姉のあんたを見る目に少し色があるというか......」
陽菜の言葉が、私の気持ちを確かなものと受け取っていなくて胸が更に痛くなる。
「わかります、わかります。さすがに私たちみたいに、姉さんも兄さんのことが好きとは思えませんが、血の繋がった姉妹ですからね。ワンチャンあるかもです」
いつ、何を、どこで間違えちゃったんだろう。
千沙も陽菜も私の恋慕に確信は無かったけど、察してはいたみたい。
それもそのはず、彼は私も彼女にしたいなんて妹たちに告げていないのだから。
「かずま、くん......」
自然と彼の名前が私の口から漏れていた。
たしかに妹二人が交代で和馬君の彼女当番だから、私が入る余地なんて無かった。そこに入ろうとする行為や気持ちがあることが、そもそもの間違いなのかもしれない。
それでも私はちょっとした時間を見つけて二人に断りもなく、彼と一緒に居ようとした。
今はそれだけでいいと、十分だと自分に言い聞かせていた。
だから二人の問いを、彼には答えてほしくなかった。
だから、だからもう何も言わないで――
「......さぁ。お前らの勘違いだろ。そんなことないと思うぞ」
......。
ああ、もう......最悪だ。
私は踵を返し、この場を後にした。
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