第451話 葵の視点 という名目のカンケイ

 「セフレになってください」


 正直、耳を疑った。


 彼は何が言いたいのだろう。


 童貞が何を言っているんだとか、相手は処女だとか、そういうことを問いたいんじゃない。


 「せ、せふれ?」

 「ええ、“セフレ”です。“セックスフレンド”です」


 セフレ。


 そう、セフレである。


 さすがの私でもそのワードは知っている。


 恋愛関係とは別の、性欲を満たすためだけの関係である。


 え、ちょ、え、ええー......。


 「い、いや、え? セフレって、私と和馬君が?」

 「はい」

 「いやなんで?」


 この“なんで?”には色々な意味が込められている。


 なんで和馬君には彼女が居るのに、私をセフレにしたいのか。


 なんで失恋中の私にセフレになろうとか抜かせるのか。


 なんで童貞なのに、なんでキメ顔で、なんでなんでと次から次へと疑問しか湧いてこない。


 そんな理解に苦しんでいる私を他所に、上半身裸の和馬君はボスンとベッドに腰を落として理由を話し始めた。


 その様はピロートークさながらである。処女が事後みたいだな、などと感想を抱いてごめんなさい。


 「葵さんは自分のことが嫌いになったんですよね? でも身体は好きと。なるほどなるほど。自分も同じです」

 「なるほどじゃないよ。かなり語弊があるよ」


 「でもすでに自分には千沙と陽菜がいます。さすがに二人に向かって葵さんも彼女にしたいとか言えませんよ。はは」

 「ははじゃなくてね。セフレの方が認められないから」


 「ほら、セフレって自由じゃないですか。遊びだけの関係だったら二人も許してくれますよ」

 「まず私が許せないんだけど」


 「え? なんでですか?」

 「......。」


 どうしよう。世の女性が好きだった異性を背中から刃物で刺したくなる理由がわかっちゃった。


 まさか自分をフッた相手からセフレを申し込まれるとは思わなかった。


 また彼の目が冗談を言っていないのもこの上なく腹が立つ。


 「もういい加減にして! わ、私はそんな関係求めてないから! 出てってよ!!」


 ペチンと半裸の彼の肩ら辺を引っ叩いた私だが、上質な筋肉が衝撃で波打つ様は圧巻で、思わず繰り返したくなる衝動に駆られた。


 ......どうやら私は色々と手遅れみたい。


 「そうですか。答えは“いいえ”ですか」

 「あ、当たり前じゃん......」


 むしろどこをどのように捉えたら、彼は私にセフレを申し込めるんだろう。


 「それは残念。これから葵さんは辛い思いをするんでしょうね」

 「......は?」


 「きっとそのうち千沙や陽菜が場所を選ばず自分に迫ってくるんだろうなぁ。葵さんが居よう居まいがキスしてきて、見せつけるようにイチャついてきますよ」

 「そ、そんなことするわけ......」


 「いやいや、時間の問題ですよ。最近の二人は過激ですからね。いつ何をされてもおかしくありません」

 「......。」

 「ですから葵さんは、あなたが好きな肉体が弄ばれるのを指を加えて我慢していてくださいね」


 じ、自意識過剰にも程があるんじゃない?


 普段の和馬君らしくない物言いに、何も言葉が浮かばない私である。


 ............、か。


 さっきから彼、私を非難しているくせに、自分から危うい立場になろうとしてない?


 色々とむちゃくちゃだ。


 千沙と陽菜には毎日のように、『彼女になってくれてありがとう』だの、『お前らしかいない』だのと言っているくせに、セフレを作ろうとしている。


 私なんか放っておけばいいのに、後戻りしようとせず、無理矢理にでも今まで以上の関係になろうとしていない?


 加えて彼は童貞だ。


 再三繰り返すけど、童貞がセフレを申し込むなんてなんの冗談だろう。


 「そっかぁ。セフレじゃ駄目ですかぁ」

 「......。」


 セフレなら彼女じゃないから平気、なんて意味のわからない屁理屈を押し通そうとしているのが今になってわかってきた。


 え、いや、どんな不器用?


 そんな言い訳で千沙と陽菜に特攻しようと言うの?


 「でも葵さんはこれから相手を探すのに苦労しますね」

 「......え?」


 「だって少し前まで自分のことが好きだったのでしょう? 労働力まじめさ筋肉みため変態なかみを含めて好きって......ぶっちゃけ救いようがないですよ」

 「......。」

 「自分みたいな人間、そうホイホイ居るとは思いませんけどね」


 こ、ここまで言われると苛立ちを通り越して呆れの念を抱いてしまう。


 彼は頭が切れるはずなのに、こういう言い方しかできないのだろうか。


 正直、今この瞬間、彼を好きになってしまったことに後悔してしまった。


 なんで私はこんな男を......。


 「はぁ。じゃあ話は以上です。失礼しました」

 「あ、ちょ! 待っ――」


 私は立ち去ろうとする彼を止めようとしたが、


 「待てやゴラァぁあぁァァあぁァァああ!!」

 「「ひッ?!」」


 一家の大黒柱がそれより早く彼に襲いかかろうとしていた。


 と、父さん......。


 そういえば今更だけど、父さんと母さんは部屋の入口付近で私たちを静かに見守ってたよね。


 でもさすがに和馬君とのやり取りで堪忍袋の緒が切れたみたい。


 「てめぇ! 黙って聞いていれば娘になんちゅうことを!! それに千沙と陽菜にき、キスだとぉぉおお?!!」

 「や、やっさん、落ち着いてください! これには深い訳が!!」

 「今この場で殺してや――ぐッ?!」


 鬼の形相でずかずかと私の部屋に入って来た父を止める者が居た。


 母さんである。


 慣れた行為と言うべきか、母さんの両腕は父さんの太い首に巻き付いて締め上げていた。素人目の私からでもわかるくらい、ガッチガチにキマっている。


 「今いいところなんだから邪魔しなさんな」 


 しばしジタバタと暴れる父だが、あまり時間を要せずに意識を手放したみたい。


 脱力しきった父さんを母さんは部屋の外へズルズルと引きずって行った。


 「失礼するわねぇ」

 「「......。」」


 黙って見ていることしかできなかった私と半裸男。おそらく今この瞬間だけ、彼と私の思いは一致したんじゃないだろうか。


 ラスボスには逆らってはいけない、と。


 和馬君は仕切り直しと言わんばかりに咳払いし、私を見やる。


 「は、話を戻しますが。本当にいいんですね? 出て行ちゃってもかまいませんね?」

 「そ、それは......」


 しかしなんだろう。


 もう彼の思惑に気づいてしまったからこそ、彼の不器用さを優しさと錯覚している自分がいるのが不思議でならない。


 というか、もうちょっとこう......他の提案の仕方が無かったのかな?


 いくらなんでもセフレは無いでしょ。


 そう考えるとあまりの扱いに段々腹が立ってきた。だから私は気づいていても意地悪く、彼に納得がいかないと言うことにする。


 「......セフレとか嫌。ちゃんと向き合ってくれないと、これじゃあ曖昧なままじゃん」

 「自分は真面目ほんきですけど」

 「わ、私が嫌なの!」

 「じゃあどうしたら納得してくれるんです?」

 「そ、それは......」


 平たく言えば、これはただの我儘である。


 付き合う気がないと言われた彼から、実は傍に居てほしいなんて言われると、一度は諦めていた希望を抱いてしまう。


 現金な女この上ない。


 「あの、早くしてくれません?」

 「えっと......」


 彼と妹たちのことを考えたら身を引くべきだ。淡い期待なんかしてはいけない。


 それに妹たちが許してくれるとは限らない。後から入ってきた私なんか邪魔者以外の何ものでもないのは明らかだ。


 そうだとわかっているのに、彼が......


 「わ、私だって辛いのに、なんで、なんでそこまでして......」


 彼が私の本音を無理矢理にでも聞こうとするから、私は答えを言えず、尚更彼を困らせる言葉を紡いでしまう。


 本当は気持ちがあるのに、あるから泣いているのに、言うことができない。


 「あの、そろそろ時間なんですけど......」

 「わ、私がどうしたいじゃなくて、和馬君の方が嫌でしょ!! 3人を相手するなんてできっこないよ! いつも二人のことで手一杯って言ってるじゃん!!」


 「ああ、相手してくれるかわからないから渋っているんですね」

 「そうじゃなくて!!」


 「確約はできませんが、最低限の努力はしますよ」

 「だから......」


 私はこの言い合いが無意味な気がしてきた。


 いくら私が何を言おうと、彼は私たち姉妹のことしか考えていないから、自分の本音を言ってくれない。


 だから意地の悪いことを、できっこないことを、私は彼から受けた問いの答えとして返すことにした。


 「そ、そこまで言うならキスの一つくらいシ―――っ?!」


 瞬間、自身の唇に柔らかいものが重なるのを実感した。


 見開いた視界の先、過去一番の近さで彼の顔がそこにあった。


 私は思わず息を呑んだ。


 毎日妹たちとシている彼だから......その行為には少なからず慣れているような部分が感じられて、少し切なくなる。


 でも、それ以上に嬉しいと思ってしまう。


 たとえその場の勢いであったとしても、彼は丁寧に唇を甘く重ねてくれた。


 気づけば自身の頬を伝って涙がポロポロと落ちていった。


 思い返したのは昨晩のこと。浴衣の試着の際に、陽菜と千沙が和馬君にキスをせがんだ理由を――『あなたが好き』という証拠を、彼に今この瞬間、戸惑うこと無く示されたのだから。


 彼は気恥ずかしかったのか、頬を赤く染めながら私に聞く。


 「......お、落ち着きましたか?」

 「......うん」


 「では行きましょう」

 「......うん」


 ふぁ、ファーストキスだ......。


 私はタオルケットに赤面した自身の顔をうずめて悶えていた。


 「ちょ、ちょっと葵さん......」

 「お、お願いだから少しタイム!!」

 「......。」


 こうして私たちは少し遅れて花火大会を観に行くことになった。去年とほぼ同じことを繰り返している。


 違うのは......関係くらいだ。


 去年は先輩と後輩。


 今は恋び――“セフレ”である。


 ああもう、本当に敵わないなぁ。



*****

〜その後〜

*****



「はぁ」

「あら、目を覚ましたのねぇ」


「少しは加減してよ。......とうとうあの男に娘たちを奪われてしまったか」

「ふふ。父親として反対?」


「常識的に考えたら反対すべきだろう。が、娘たちの幸せがなによりも大切だよ」

「......そう。私たち似た者同士ねぇ」 


「はい?」

「なんでもないわぁ。......愛してるわよ、あなた」

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