第342話 妹は常に鈍感とは限らない
「な、なんで......」
「......その反応、やっぱりそうでしたか」
現在、浮気野郎は未だ隣に居る俺と手を繋いだままの千沙と、田舎道のド真ん中で突っ立っていた。仮に周りに人が居たら、道の中央でイチャつくなって迷惑がられるかもしれないが、田舎ということもあって周囲には誰も居ない。時間も時間だしな。もうお外真っ暗だ。
まぁ、そんなことどうでもいいが。
「鎌をかけたのか......」
「ええ、今日一日怪しかったので。そして今、確信に変わりました」
“怪しかった”? ということは、陽菜から聞いてなかったのか。
よくわかったなぁ......。うちの妹は鈍感な子だと思っていたのに。いや、俺が露骨に態度に出していたのかもしれない。現に手を握り返さないように必死だったしな。
千沙はとても落ち着いた様子で、むしろ冷気でも帯びているのかという雰囲気を醸し出していた。そのせいか、体感で辺り一帯の気温が一気に下がった気がする。
「それで? 相手は誰ですか? 姉さんですか? それとも陽菜ですか?」
「......どっちも違う」
「え?!」
千沙は今度は驚いた表情になった。そこは予測できていなかったのか、意外と言わんばかりに俺をじっと見つめてくる。
「に、兄さんが? 普段の兄さんを知ってて通報しない私たち姉妹なら辛うじて理解できますが......他の女性?」
「喧嘩売ってる?」
「いえ。でも次元を落として、ディスプレイ越しの恋愛は報われませんよ」
「やっぱり喧嘩売ってるでしょ?」
「いえ。でもあまり投げ銭とか、グッズを買い込まないよう気をつけてください。 破産します」
「よし。お兄ちゃんが鉄拳食らわしてやる」
俺のその言葉に「暴力反対」と言って千沙は全力で俺の行為を止めた。実際に殴るつもりは無いけど、人が彼女できたっていうのを相手が2次元キャラクターだの、バーチャル配信者だのと思われるのは遺憾である。
「そうですか......。マジで付き合っているんですか」
「......こんなこと言っても信じてくれるかわからないが、今は“仲の良い先輩と後輩”という関係から始める気だ」
「ということは、相手は後輩女子ですか」
「......。」
俺は無言で頷く。千沙は俺にその子との関係だけじゃなく、年の差等も聞かされて不意に夜空を見上げた。
「付き合っていないんですよね?」
「......どうだろう。
俺のその一言を聞いた千沙は歯を食いしばった。近くに街灯があるからか、上を向いた千沙の顔がよく見えてしまう。
悔しいのだろう。俺に弄ばれたようなもんだ。だから彼女が許してくれるのなら俺はどんな罰でも甘んじて受けたい。
「......よく私に向かってそんなことが言えますね」
「ごめん」
「なに謝ってるんですか。今日、私と一緒に居てどんな気分でしたか?」
「......。」
「最低ですね。映画館に行く前に言おうとは思わなかったんですか?」
「......本当にごめん」
「だから謝ってどうするんですか」
「......。」
「はぁ......」と千沙は溜息を吐いて俺に向き直った。そして同時に、千沙は俺と繋いでいたその手を放した。
そして今にも泣きそうな顔で俺に言う。
「なんで、私じゃ......だめなんですかぁ」
その声はとても震えていて、瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
ああ、こうなるってわかってたのに......見たくはなかったなぁ。
最低な俺が言っていいことじゃないんだけど。
「......ごめん」
謝ってもしょうがないのに、謝ったら困らせるだけのなのに、俺の口からは謝罪の言葉しか出てこなかった。
そんな俺に対して、千沙は震える声で続ける。
「なんで今日映画を一緒に観に行ったんですかぁ」
「......ごめん」
「なんで私の手を振り解かなかったんですか」
「.........ごめん」
「なんで! なんで私に優しくするんですか!!」
「...........本当にごめん」
もっと早く言えば良かった。いや、時間の問題じゃないな。千沙の好意に気づいていて、それでも千沙と付き合う気が無いくせに、距離を置きもしないで曖昧な関係を続けていたのがいけなかったんだ。
「私に......何が足らなかったんですか?」
「......千沙に、不満なところなんて無い」
「じゃあなんでッ!!」
そう怒鳴った千沙は俺の胸元のシャツをぐっと掴んできた。その勢いのせいか、千沙が羽織っていた俺の学ランは重力を感じさせるほど地面にドサッと勢いよく落ちた。
「私が」
次第に千沙は自身の頭を俺の胸に押し付けて、続きの言葉を言う。
「私が、現状維持が良いと言ったからですか?」
「......違う」
「兄妹のままでいたいって願ったのがいけないんですか?」
「.........違う」
「あの日の夜、私は兄さんに抱かれなかったから――」
「違うって言ってんだろ!!」
俺は千沙の言葉の続きを聞きたくなかったので大声を出して、無理矢理それを止めさせた。
そんな自分を卑下すること言うなよ......。
俺の怒鳴り声に怯まず、千沙は依然として頭を俺の胸に押し付けたまんまだ。
「千沙じゃなくてその子を選んだのは――俺の意志だ」
「兄さんの......“意志”?」
千沙を選択しなかったのは、陽菜を悲しませたくなかったため。
陽菜を選択しなかったのは、千沙を悲しませたくなかったため。
俺を好いてくれる二人と向き合わなかったのは、中村家のあの居心地の良い空間を壊したくないため。
そして、それらを理由に悠莉ちゃんと付き合ったと認めたくないけど、どうしてもその背景があることに嘘をつけない、惨めな俺のためでもある。
本当に最低な話である。千沙や陽菜に向き合わないだけじゃない。悠莉ちゃんとの付き合いも......悠莉ちゃんが好いてくれたかもしれないこんな俺は、その彼女すらも、真正面から向き合っていない。
ただ彼女が俺の好みな容姿な上に、好みな性格で、好ましい都合だっただけだ。
「俺は......本当に最低な男だよ。“俺の意志”と言って、明確な理由を言わずに誰とも向き合わない。それでも誰かと交際することを選んでしまった」
「......辛くなるとわかっていてもですか?」
「そんな大層なもんじゃない。でも、これが正しいと思っている」
「そんなの......ただの詭弁じゃないですか」
ああ、詭弁だ。
本当に心の底から悠莉ちゃんが好きだから、ではないんだろう。千沙と陽菜に納得してもらうための、自分のための馬鹿げてクソみたいな理論だ。
それでもこんな最低な男をこれから先かまっていなければ、二人のことだ。きっと良い異性に会えるだろう。
余計な世話だし、こんなことを願うのは身勝手で何様だって話なのは十全にわかってる。
それでも、本当にこんな俺には勿体ないんだ。千沙も、陽菜も。だから一時の気の迷いであってほしい。俺なんかに付き合ってくれる彼女が居るということをわかってほしい。
だっておかしいだろ。2人が俺を好きって......駄目だろ。
「でも、俺はこの意志を変えるつもりは無い」
「......そう、ですか」
だから、これからは彼女を――俺なんかに告白してくれた悠莉ちゃんに心から好いてもらえるように俺も努力するつもりだ。
彼女を絶対に幸せにしてみせる。付き合って良かったって思わせてみせる。それが俺の義務だ。
「だから、千沙。本当にごめん」
「......はは。なぁーんか兄さんってこういうときの決意だけは固いですよね」
「......ああ」
千沙は涙を拭いて、俺に背を向けた。
「もうこの辺でいいです」
「い、いや、まだ距離あるぞ?」
「いいって言ってるじゃないですか。一人で帰りたい気分なんです。かまわないでください」
「ち、千沙......」
そう言い放った千沙は俺に顔を見せること無く歩きだした。俺はその場で泣きながら帰る彼女を眺めているだけだ。千沙になんて声をかけたらいいのかわからない。
俺は千沙が先程落とした学ランを拾い、軽く叩いて土埃を取った。
千沙は腕を使って涙を拭っているのが、俺が居るこの位置からでもよくわかった。歩くのが遅いのか、眼前の妹はまだ遠くに行っていない。追いかければすぐに追いつく。でも追いかける資格が俺には無い。
これで......良かったんだよなぁ。
が、
「きゃッ?!」
妹は涙を拭うのに必死だったのか、足元をちゃんと見ずに歩いていたから田舎道特有の凸凹に躓いて転んでしまった。
え、ちょ、は? ええー。
このタイミングで転ぶ? どうすればいい? お前を心配して駆けつけた方がいい? それともお前の意思を尊重して駆けつけない方がいい?
とりあえず、少し大きい声を出せば千沙には聞こえると思うので俺は声を掛けることにした。
「いっつ......」
「お、おい。大丈夫――」
「来ないでください!」
い、いや、そう言われても......。
痛いって......お前怪我してんだろ。膝を擦り剥いちゃったとかだろ。
「これじゃあさっき良い感じで別れたのに、台無しじゃないですか!」
「......。」
その
お前の妹とな。
なんなん。姉妹して同じ転び方するって......。ねぇ、俺をどうしたいの?
「はぁ......」
一人、溜息を吐いた俺は馬鹿らしくなって千沙の下へ向かうのであった。
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