第341話 話したけど、まったく放してくれない妹
「はぁー。良い映画でしたぁー」
「ああ。鰹のたたきを食べたくなるくらい良い映画だった」
「禿同です」
現在、浮気野郎とその妹は今日の最大の目的である、“映画を観に行く”用事を果たし、映画館を出たところだ。放課後に千沙と映画館に来たので、上映終了した今はもう日が沈んでいた。
後はお互いに帰宅するだけ。
でも兄はその前に酷なことを妹に告げなければならないのである。
「......。」
「?」
千沙に、俺にはすでに彼女ができたということを、だ。
「どうしました?」
千沙は急に黙りだしてじっと見つめてくる俺を不思議に思い、顔を覗き込んできた。
「......いや、なんでも」
「はぁ」
言いたくないなぁ......。
いや、言わなきゃいけないんだけどさ。
くっそ。これだから俺は皆に意気地なしって言われるんだ。具体的には中村家や西園寺家の皆様である。加えて両親からも言われる始末に。童貞=意気地無しと言っても過言じゃない。
「うっ」
「ど、どうした?」
俺がそんなことを考えていたら千沙がブルッと身を震わせた。聞くまでもないな。この時期じゃ夜はまだ寒い。
「はぁ......」
「っ?!」
溜息を吐いた俺は何も言わず、上着である学ランを脱いで千沙に羽織らせた。
千沙は俺がそんなことをすると予想もしていなかったのか、一瞬だけ驚いた様子になるが、「やっぱり兄さんですね」と小声で言って俺の学ランを着込んだ。
気のせいか、そんな彼女は頬を赤くしているように見えた。
わかってる。これから千沙にとって酷なことを言う俺が、彼女を喜ばせるようなことはしちゃいけないってことくらいわかってる。
......今日一日、俺はずっと千沙からの“好感度”を考えすぎだな。
それとこれとは別。俺を好いてくれる異性関係なく、女の子が寒がっていたら上着を貸すのが紳士ってもんよ。うん。
うん(強く言い聞かせたいので2回頷きました)。
「私のバッグを持ってくれたら満点ですよ?」
「ヤな妹」
「気が利かない兄ですね」
ああ言えばこう言う。俺たち血のつながっていない兄妹はいつもこんな感じだ。
俺は千沙からスクールバッグを渋々受け取った。俺もスクールバッグだったので、両肩にそれぞれひとつずつ担いだ。
俺が上着を脱いで千沙に渡し、代わりに千沙からバッグを預かる。そんなことを未だ行き交う人たちが少なくない道端で歩みを止めてやっていたので、周りの人たちからすれば俺たちの存在は邪魔以外の何者でもない。
だから俺は再び歩みだそうとするが、
「......。」
「?」
我が妹は俯いてその場に突っ立ったままだ。
位置的に歩きだそうとした俺の半歩後ろ、右側に千沙が居る。彼女は怒っているのか、何か言いたいことでもあるのか、俺には判断できない。
俺が彼女の顔を覗き込めばわかるようなことだが、兄の足はそんな妹を前に、地面と膠着して動けない。
そして彼女は口を開く。
「て、手を繋いでくれれば―――文句無しの120点です」
「......。」
未だ俺は動けない。
おそらく精神的な問題。精神的にゴキブリホイホイならぬ、カズマホイホイ状態である。妹のその一言が俺の四肢の自由を奪っているのだ。
「いや、さすがに――」
「さ、さっきは手を繋いだじゃないですか!」
「だ、だけど」
さっきとは上映中のことか。戦闘シーンで千沙がなぜか俺の手を握ってきたのだ。
俺は千沙からの誘いにも似た提案を拒否しようとしたが、
「ああもう!」
「あ、ちょ」
千沙が無理矢理120点にしてくれたのであった。
******
「「......。」」
俺はなんて意思の弱い人間なんだ。
あれからずっと千沙と手を繋いでしまっている。
今は帰りの電車に乗車している。車内には人があまり居ないからか、俺らはこうしてぴったりくっついて席に着いているのだ。そして電車に揺られても俺の片手はがっしりと握られている。
正直、人としてどうなのってくらい呆れている。だって考えてみ? 彼女居るんだぞ。考えるまでもないよなぁ......。
でもね。
でもね! これだけはちゃんと守っている!
「......あの、手汗が」
「それは千沙のでしょ」
「っ?! ち、違いますよ! 兄さんのです!」
“恋人繋ぎ”だけはしないようにいている! それだけはちゃんと守っているんだ!
「い、いいから、一旦手を離してください!」
「自分から握っといてそれはないだろ」
この会話から勘違いだけはしないでほしい。俺もできればすぐにこいつの手から離れたい。
離れたいんだけど!
こいつ、お互い大した手汗も出てないのに手を繋ぎ直そうとしてんだ!
“恋人繋ぎ”に!
最初から俺は握りたいと思っていた訳じゃないので握られるがままだったよ? でもこいつ、そんな力無い俺の手のひらを利用して、さり気なく俺の手の指の間に自分の指を入れて絡ませてきたのだ。
なんて奴だ!
「そ、それはですね......なんというか、ごにょごにょ」
「......。」
千沙は照れて口を尖らせながらそんなことを呟くが、俺はこれ以上譲歩できない。既に親指と人差し指と中指の間は侵されてしまったが、残り2本の指は守ってみせる。
今は“恋人繋ぎ”を完成させたいという妹の意思を感じ取った俺が瞬時に指と指の間に力を入れてピッタリと閉じているからいいものの、隙があればすぐに完成させられてしまう。
それだけは避けたい。
「というか、兄さんは私がしたいことわかってますよね?」
「......。」
「このクソ兄!!」
口の悪い妹だ。
たしかに千沙の言う通り、俺と妹を繋ぐこの手は3本の指だけが絡んでいて、俺の残り2本は完全に千沙によって覆い被せられている。
チャクラ練れるんじゃないだろうかってくらい変な繋ぎ方だ。
無論、こんなことになる前に俺がもっと早く千沙と距離を置けばよかったのだ。「彼女が居るんだ」と一言言えればそれで終わりなんだ。
それに千沙の握力なんて大したことない。だから簡単に振り解ける。でもこいつ、同じ人間かって疑っちゃうくらい脆い身体してそうだからそんな強引にできない。だから既に侵されている指3本は諦めてるし、これ以上の指は渡さない。
完成させない!
ああー、でもいつまで経っても言えないなぁ。本当なら映画館行く前に言おうとしてたんだけどさ。
言わなきゃいけないんだけど、言えないんだ......。
「うぅ。あと少しなのにぃ」
「......。」
なんだこの可愛い生き物。
ブツブツと言う千沙を他所に、俺は後輩女子の彼女がいるなんて千沙にどう告げればいいのか考える。
シンプルに「彼女できたんだ」は傷つけそう。いや、傷つけるのは当たり前なんだけど。うーん。
そんなことを考えていた俺に堪忍袋の緒が切れた千沙が最終手段に入った。
「手を離してください!」
「ちょ!」
彼女は大声を出したのだ。
まだ車内には乗客が居るのに。
「お、おい!」
「だ、誰か! 変態がッ! 私の手をふごッ?!」
俺は無理矢理千沙の口を空いている片手で抑え込んだ。通報されてもおかしくないレベルに。こ、こいつ、そこまでして“恋人繋ぎ”したいのか......。
これは男として喜んでいいことなのか? いや、駄目だろう。既に俺には彼女いんだろ。
というかうちの妹、見境無さすぎじゃない? いくら恋人繋ぎを完成させたいからって、大声を出して周りから注目を集めちゃいけないだろう。
コレが完成したら絶対満足して静かになるだろ。そしたら周りの乗客はどんな反応すればいいんだよ。困っている美少女が恋人繋ぎに軌道修正するために自分たちを利用したって気づいたらどうするんだよ。
リア充爆発しろがマジで正論になるんだぞ。
「もがッ! 安心してください。周りの人たちも私たちが学生で、ちょっとした悪戯だってわかってますよ」
「とてもじゃないが、加害者が言っていい言葉じゃないな」
“恋人繋ぎ”以前に、いい加減千沙に言わないとなぁ。でも電車の中でする話でもないし......。
よし、決めた。俺らの最寄り駅に着いたらすぐ言おう。うん。
......明日じゃ駄目かなぁ。
『次は“子子子子町”駅。“子子子子町”駅に停まります。お降りの際は――』
「あ、兄さん。着きましたよ」
「......そうか」
「?」
いつ言うか迷っていたら、いつの間にか俺たちの実家の最寄り駅である“子子子子町”駅に着いた。
“子子子子町”......。生まれてこの方、あまり疑問には思わなかったが、思春期の今では違和感しか無い駅名である。
“しこしこまち”って......色々と
駅に着き、俺らは降車して改札に向かった。その際も千沙は俺の手を放すことはなく、駅を出た後は田舎道を歩いてお互いの自宅まで戻るだけだ。と言っても、俺は千沙を中村家に送ってから家に帰るつもりだが。
「今日は楽しかったですね!」
「......ね」
「付き合ってくれてありがとうございます!」
「......うん。ありがとう」
「また今度一緒に出かけましょうね!」
「......そう、だね」
辛い。胃が痛い。キリキリする。
言わないと。もう本当にいい加減言わないといけないのに。俺は告げるどころか手を繋いでいる。本当にクソ野郎じゃないか。
陽菜のときはちゃんと言えたのになぁ......。
よし。
「......。」
「? 兄さん?」
俺は急に足を止め、その場に突っ立った。その際、彼女と繋いでいた手を握る力を緩めてしまった。
千沙もそれを察したのか、このチャンスを見逃さないと言わんばかりに、変な手の繋ぎ方から“恋人繋ぎ”にシフトチェンジしようと―――行動することはなかった。
俺の異変に気づいたのか。相変わらずこの変な手の繋ぎ方を維持したまま俺を見つめている。
「千沙に......話しておきたいことがある」
「?」
「でも、その前に手は放した方が良いと思う」
千沙は首を傾げるが、俺のマジな雰囲気にあてられて変な手の繋ぎ方を辞めた。代わりに、普通に手を繋いできた。
こいつはいつだって兄の言うことを聞いてくれないよな。
「千沙、実は俺に――」
俺は視線を地面に移して、下を向いたまま千沙に告げることにした。
しかし、
「彼女ができたんでしょう?」
千沙のその一言に俺は愕然として、続きの告白ができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます