第343話 魔女誕生

 「こっちに来ないでって言ったじゃないですか!」

 「わかった。じゃあな」

 「このクズ兄!」


 い、いや、どっちだよ。


 現在、浮気野郎は今しがた泣き別れした千沙に理不尽なことを言われたのである。千沙は泣きながら歩いていたからか、この舗装されていない田舎道に躓いて転んでしまい、怪我を負ってしまったのだ。


 こっち来るなと俺は言われたので、回れ右して帰ろうとしたらクズ野郎認定される。


 どうしろって言うのかね。


 「どこ怪我したんだ?」

 「......膝です」


 「はぁ......。今行くからちょっと待ってろ」

 「も、もう私なんか放っておいてください!」


 「いや、転んで怪我したんだろ? とりあえず見せろって」

 「結構です! 兄さんは私のことなんかどうでもいいのでしょう?!」


 め、面倒くさいな。去年も陽菜と同じくだりをやったよ。


 ほんっと姉妹だな。


 「いいから。お前を一人にしてまた怪我でもされたらどうすんだよ。目も当てらんないわ」

 「うっ」


 「両親でも呼ぶか? まだ距離あんぞ? それまでどうするんだよ」

 「そ、そこは兄さんがここで一緒に待って......」


 「ど、どんな顔して二人に会えばいいんだよ。二人だって俺がここに居たらってなんで家まで送らないんだコイツってなるだろ」

 「......。」


 俺は黙り込んだ千沙の前でしゃがみ、怪我をした膝を見た。ただ転んで擦り剥いて血が出ただけで済んでいることを確認してほっとする兄である。


 俺はバッグの中から飲料水を取り出して、患部に付いた汚れを軽く洗い流し、まだ使用していない綺麗なハンカチで拭いた。された側の千沙は少し......いや、かなり大袈裟に痛がっているが、そこは我慢してもらいたい。


 「というかその水、兄さんが飲んでたヤツじゃないですか」

 「この辺は水道なんて無いからな。悪いがこれで我慢してくれ。何もしないよりはマシだろ」


 「......彼女とキスした口で飲んだ水でしょう? 最悪です」

 「き、キスしてねぇーよ」


 「手を繋いだことは?」

 「......そこまでいっていない」


 「え? 付き合っっているんですよね?」と千沙は俺の顔を覗き込みながら聞いてくるが、俺は無視することにした。


 傷口を指で突いちゃだめかな? 気にしていることを聞かないでほしい。


 そして俺は千沙に対してくるっと背を向けるように180度回転した。


 俗に言う、おんぶの構えである。


 「あの、これはどういう......」


 千沙は俺を、何してんだこの兄はって顔で見てきた。


 そういえば陽菜が俺と泣き別れしたときもこうしておんぶしたなぁ。


 あれ? あのとき俺がしたのって“おんぶ”だったっけ?


 「だから“おんぶ”だって――」

 「そうじゃなくて! なんで、“おんぶ”なんですか?!」


 は? 何を言って――


 「お姫様抱っこでしょう、そこは!!」

 「......。」


 ああ、うん。思い出した。ほんっと姉妹だな......。



*****



 「あの、おんぶじゃ駄目ですか?」

 「駄目です。私が兄さんの背にくっつけた胸の感触を楽しむつもりなんでしょう?」

 「いや、ちっぱいには興味が......」

 「小さくないですよ!!」


 そっちの意味の“ちっぱい”じゃないからな。“千沙のおっぱい”、略して“ちっぱい”だから。うん。


 小さいことを指摘している訳じゃないから。うん。


 お姫様抱っこされている千沙は、まだ自宅まで距離があるであろうことに苦労している浮気野郎にお怒りである。


 そんでもってこいつは先程まで泣いていたことが嘘かのように、今はお姫様抱っこに満足している。現金な奴だ。


 「兄さんは」

 「?」

 「その女性のどこに惚れたのでしょうか?」

 「......。」


 惚れるも何も、俺は悠莉ちゃんのことを全くと言っていいほど何一つとして知っていない。


 悠莉ちゃんのおっぱいが大きいところに惚れたとか、千沙に言ったら俺殺される自信あるわ。


 「さぁ?」

 「“さぁ”って......。なんで付き合ったんですか?」

 「なんでって、別にいいだろ。......正直、けど、まだ進展すら無いんだ」

 「“告白された”?! 兄さんが?! 土下座して貢いだのではなく?!」


 落としていい? 俺をなんだと思ってるんだ。


 まぁ、俺自身、自分がどういった人間かは多少なりとも自覚しているところがあるので、異性から告白なんて素直に受け入れられるものではないが。


 「俺もよくわからないんだ」

 「“よくわからない”とは?」

 「正直、以前話したことがあるどころか、会ったのすら初めてなんだ」

 「そ、それって罰ゲームの類じゃありませんか?」


 やっぱ落としていい?


 が、悠莉ちゃんが俺なんかに告白してくれた真意を直接彼女の口から聞いていないので、あってほしくはないが、千沙の言った“罰ゲーム”とやらも完全に否定できない。


 でも悠莉ちゃんが時々見せるあの照れた仕草はきっと罰ゲームによる仕方のない嫌悪感からのものじゃない。


 はず!


 「というか、進展が無いって......もしかして?」

 「ぶっ?!」

 「いだッ?!!」


 俺は千沙の爆弾発言により、思わずお姫様抱っこを解除して彼女を落下させてしまった。その衝撃が彼女のお尻部分を襲い、激痛が彼女を苦しめる。


 こ、こいつ、なんちゅーこと言うんだ......。


 「ちょっと! 乙女を落とすってどういう神経しているんですか!!」

 「お、お前がいけないんだろ。......あのなぁ。付き合ってまだ1週間も経っていないんだぞ」


 「時間関係あります? 兄さんなら翌日にホテルへ連れ込んでと思ってました」

 「“全て”?」


 「はい。ホテル行って、“恋人繋ぎベロチュー正常位ホールド”という意味です」

 「......。」


 とてもじゃないが、女子高生がお外で言っちゃいけないパワーワードを口にしたよね、この子。


 ひょっとして我が妹は兄を超えるレベルの変態さんなんじゃないだろうか。


 兄が付き合い始めた彼女と翌日さっそく“恋人繋ぎベロチュー正常位ホールド”するという思考に至る恐ろしさよ。


 そして彼女の言う“全て”とは、文字通り、“手を握るこいびとつなぎ”、“キスベロチュー”を含めたエッチのことだろう。


 本当に俺をなんだと思ってんのかね。


 「“GO TO HOTEL”とまではいかなくても、本当はキスくらいはしたのでしょう?」

 「......してません」


 「え? もしかして本当に、本当ぉーに手を繋いですらいないのですか?」

 「......繋いでません」


 「さ、さすがに連絡先は交換してますよね? メッセージのやり取りを見せてくれません?」

 「......交換してません」

 「......。」


 そんな目で兄を見ないでくれ。泣いちゃう。


 「ぜ、絶対、罰ゲ―――」

 「さ。中村家まで後少しだ。辛抱しろよ」


 俺は再度、“罰ゲーム”と言おうとした千沙の言葉を遮り、半ば強引に再び彼女をお姫様抱っこして歩きだした。


 千沙も無理に言葉の続きを言おうとはせずに、黙って俺を見上げることにしたらしい。そしてしばらくしたら彼女はまた口を開いた。


 「決めました」

 「?」


 そして俺に抱っこされている彼女は何か決心したような顔つきになって俺を見つめる。


 いや、睨んでいると言っても過言ではない眼光である。


 「私、兄さんを取り返します」

 「ふぁ?!!」


 ちょ、ちょっと千沙さん?!! あなた自分で何を言っているのかわかってます?!


 というか、“取り返す”ってなに?! そもそも俺はお前のもんじゃないぞ!!


 「お、おい。なにとち狂ったことを――」

 「だって兄さんはまだ童貞なんですよね?」


 「わかった。喧嘩売ってるんだな? とりあえず今からお前を放り投げるから受け身取れよ」

 「や、やめてください。......冷静に考えたらそもそも兄さんは付き合っていることすら怪しいんですよ」


 「は? なにを言うかと思えば......。俺は告白されて、それを受けて、カップル成立したんだぞ?」

 「いや、そこは重要じゃありません」


 さっき落としたときに打ち所が悪かったのかな? ちょっとなに言ってるのかお兄ちゃんにはわからないや。


 「兄さんはまだカップルとして何もしていませんので、私にはまだチャンスがあります」


 どういう理屈で言ってるの?


 「極端な話、キスもその後もさせずに別れさせて、私と付き合うようにすれば万事休すです」

 「ねぇ、彼氏の俺にそれ言う? 普通」

 「はい。私が兄さんを諦めずにいつでも狙っていることを覚悟しておいてください」

 「......。」


 この顔はマジだ。マジでヤバいこと宣言している。


 千沙は俺に抱っこされたままなので、下から俺をじっと見てくるだけだ。この状態はもはや蛇に睨まれた蛙である。


 なんで諦めてくれないのかね。普通、カップルできたてほやほやの彼氏に今の彼女と別れさせて振り向かせるって宣言しないよ。正気の沙汰じゃない。


 だから、もう一度はっきり言おう。


 「あのな? 妹よ」

 「はい、兄さん」


 「わかっていないようだからもう一度言うが、俺は悠莉ちゃんとやっていくつもりだから――」

 「“悠莉”と言うんですか、その泥棒猫は」


 「泥棒猫じゃありません。何も盗んでません。だからね? 千沙と付き合おうとは思っていないから――」

 「いえ。この際、兄さんの感情はどうでもいいんですよ」


 ぶっ殺すぞ。


 お前、俺の意思も気持ちも眼中になかったら、その行為は完全に身勝手なものだぞ。


 自分のために付き合う気の無い男を引き剥がして傍に置くって言っているようなもんだぞ。


 「おい、いい加減に――んぐ?!」


 俺はわからず屋な千沙に、今までに無いくらい強い口調で言おうとしたが、突然千沙が両手で俺の口を塞いで来たので続きを言えなかった。


 そしてその握力から、あのか弱い千沙とは思えないほどの力強さを感じた。


 なんというか―――千沙いもうとのターンであると言わんばかりに。


 「うるさいんですよ。人の気も知らずに勝手に他の女と付き合って。何様ですか? こっちは妹ですよ? 妹の言うこと聞かない兄に存在価値などありません」


 ......。


 「いいですか? 妹以外の女と手を繋いだり、キスをしたり、エッチしたりするなんて論外です。兄は妹を愛して、結婚して、孕ませて、死ぬときまで一緒に居るのが最低限の存在意義です」


 .........。


 「ですから、兄さんが他の女と付き合うなんて許しませんし、見過ごせません。まぁ、現に私を選ばなかったのは、少なからず私がその泥棒猫に劣っていた部分があるからだとも捉えられます。ですので、今後は“魅了”という形で私が兄さんを襲い、兄さんに気づかせ、やがて別れさせます」


 ............。


 「兄さんの敗北条件は言わなくてもわかりますよね? 私をその女より好きになってしまったら、です。わからせてあげますから、覚悟しておいてください」


 ................。


 「あ、ここまででいいです。もう家はすぐそこですし、怪我も興奮かなんかで痛みが退きました。今日はありがとうございました」

 「......あ、はい」


 そう言って千沙は俺から離れて行き、もう目と鼻の先の自宅へと向かっていったのであった。


 その際、途中でこちらに振り返って俺に告げる。


 「言い忘れてましたが、覚えてますよね? 兄さんのファーストキスを貰ったのは私ですよ? その先も私のです。とっておいてください。それでは、また」

 「......はい」


 千沙はその言葉を最後に、もう二度と俺に振り返ることなくこの場を後にした。


 俺はぽつんと一人、田舎道のど真ん中に立っている。


 「......。」


 え、ちょ、え?


 うーん、え?


 なにあの子。なんなのあの子。どうしちゃったのあの子。


 勢いすごすぎて何も言えんかった。「はい」しか出んかった。


 なんか“妹絶対理論”を俺に淡々と語っていたよね?


 どういう理屈? 初っ端から理解できなかったんだけど。誰かわかる?


 こっわ。ちょ、こっわ。妹と付き合って結婚して孕ませる? どういう関係? それ本当に兄妹? いや、血は繋がってないけど。


 どう考えても兄が奴隷かなんかとしか思えないんですが。


 「......駄目だ。キャパ超えてる」


 諦めとは違う俺のこの気持ちは、今はただただ家に帰って早く眠りにつきたいという思いでいっぱいであったのだ。

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