第320話 葵の視点 後輩が上で先輩が下になるとき

 「今日は本当に助かったよ、和馬君」

 「ああ、ケーキキャッチのことですか。お気になさらず」

 「また頬抓るよ?」


 そっちじゃなくて直売店のことだよ。


 両親のお誕生日会を終えた私と和馬君は後片付けを行っていた。今は各々自由な時間を過ごしている。


 父さんたちは温泉旅行で楽しめたと言っても少なからず疲れていたようで、早々に寝る支度をして寝室へと向かった。千沙は入浴をしていて、陽菜は二階の一室で今日干した洗濯物を畳んでいる。


 「忙しい一日でしたね」

 「ね。すっごく長く感じた」

 「例えるならヨーロッパ人のおち◯ぽくらいでしょうか」

 「今日あまりセクハラしてないからってノルマ達成感覚で言わないで」


 きっと陽菜のことだから洗濯物を畳むと言いながら和馬君の衣服でも嗅いでいるのだろう。


 だって和馬君が住み込みバイトを始めてから部屋に籠もっている時間が長いんだもん。一人分の洗濯物が増えた時間じゃないもん。いつもの倍の時間かかってるもん。


 でもそんな陽菜のお楽しみを知らない彼に、正直にこれを言うわけにはいかない。姉としてというか、人としてというか。


 世の中には知っていて良いことと悪いことがあるからね。


 「葵さんもお疲れでしょう? ここは自分に任せて早く寝たらどうです?」

 「いいよ。それに和馬君と話したい気分だし」

 「さいですか」

 「さいですよ」


 私たちはというと、夕食や先程のケーキを食べたときに出た使用済みの食器をキッチンで洗っている最中だ。


 彼が食器を洗って、隣に居る私がそれを受け取ってタオルで水気を拭いている。


 「話したいことって世間話ですか? それともお悩みごとですか?」

 「さぁ。どっちだろうね」

 「では、話しましょう。その方が話しやすいでしょう」

 「生意気ぃ〜」

 「ほら、早く話さないと食器洗いが終わってしまいますよ」


 彼は私が話そうとしていることでもわかるのかな。まだ誰にも相談もしていないのに。


 いや、そういえば昨晩、縛られた彼とそんな感じの話をしていたっけ。あのときは不安な気持ちに駆られて彼に弱音を吐いちゃったな。今思うと我ながら恥ずかしいことをしてしまった。


 「なんて言えば良いのかな......。あるところにAさんが居てさ、その人は直売店のお仕事がすっごい好きで―――」

 「“Aさん”に言い換える必要あります?」

 「......。」

 「す、すみません。続けてください」


 ったく。


 「すっごい好きで、将来もこのままずっとこのお仕事を続けたいと思っているみたい。......両親から継いでこれからもずっと、てね」

 「それはなんと立派な」

 「でもね、今日のお仕事でよくわかったみたいなの。“両親から受け継ぐ”ということがどれだけ大変なことなのかを」

 「......。」


 彼は無言のまま泡立てたスポンジで食器の汚れを落としている。依然として私の方を向くことは無く、ただ聞いているというだけだ。


 私は話を続けることにした。


 「この先何十年も続けるということは、いづれ両親の力無しでやることとを意味するらしくてね」

 「そう、ですね。人間、若いときもあれば、いづれ老いるときも来ますし、病気や怪我だって生きていく上で付き合わなければならないことだってあります」


 「うん。そこでさ、何が必要かなって思ったらたぶん“人手”だと思うんだ」

 「そこで自分一人で......独りでやっていくと言わないあたり、Aさんは真面目に向き合っているんですね」


 「でしょ。Aさんだって完璧な存在じゃないんだから、一人でなんでもはできないよ。今日でそれがよくわかったみたいだからね」

 「なるほど。Aさんは“両親の力は借りずに”にと喜んでいたようですが、実際は両親の力“他人の力があってこそ”の直売店の営業が可能だと気づけたんですね」


 「......そう。だからAさんが店を受け継いでも、“個人の力”だけじゃ足りなくて、“他人の力”が無いと駄目なんだ。......誰かを頼らないと続けられない、らしい」

 「繁盛してますからね」


 「問題はその“他人の力”だよ。言い方が悪くなるけど、どうやって確保すればいいと思う? 思い切って求人募集をかけてみる? 農業が好きになれない陽......BさんやCさんに手伝ってもらう? それとも――」

 「人生のパートナー、もとい結婚相手を探す、ですか」


 「......うん」

 「たしかに募集をかけても職種的に応募する人は多くないでしょうし、金銭を扱うこともあるでしょうから信頼の置ける人を見つけ出すのは難しいです。BさんやCさんに無理強いさせることなんて以ての外でしょう。その選択はきっとAさんを後悔させるはずです」


 そう。彼の言う通り、前者は非常に難しい。というのも、私たち中村家では仕事内容が大きく二種類に分かれることからきている。


 一つは今問題視していた“直売店の営業”。週3日の営業で、平日も営業することから“働ける年代層”と“求める年代層”が合わない。なんたって忙しい上に金銭も扱うから、経営者としてはどうしても体力や適応力のある“若さ”を必要としてしまう。


 そして営業時間の短さからお給料目当ての人は応募しないだろう。仮に破格な時給で雇った場合は売上高にも影響してしまう。人件費の削減は経営の継続化に深く関わっているからだ。


 では、もう一つの仕事内容の“農作業”を提案するか。和馬君のようにオールラウンダーで働いてくれたら非常に助かるけど、悲しいことにそういった人は意外といない。理由は言わずとも知れている。現に今までうちで働いていた人はすぐに辞めていったし。


 「一農家で収穫から販売まで行う難しさ故の悩みですね」

 「ほんとだよぉ」


 後者は単純に当てにしたくない。


 陽菜は農業という業界を選ばずに違う職種に就きたいと、私たちに思いを伝えて普通科の高校に進学したんだ。


 千沙もそう。千沙は主に高校で農機具関連で機械のことを学んでいる。きっと将来もその道を進み続けるのだろう。


 なら、二人を頼ることなんてできない。


 「しかしあと数日でJDになるというAさんが結婚相手探しとは......」

 「じ、自分でも――じゃなくてAさんもちょっと早計かなって思っているよ? でも、他に思いつかないみたいだし、その方が安定するようだし......」

 「まぁ、でもいづれ結婚するかもしれないんですから、遅いか早いかってだけですよ」

 「すぐに解決する必要があるわけじゃないんだけど、今のうちに考えるのも大切なことかなって......言ってた。Aさんが」


 私は完全に意味を成さないAさんという存在を駄目元で付け加えた。


 そうなんだけど。それはそうなんだけど、私が言いたいのは――


 「問題は手段......いや、ですか」

 「っ?! な、なんで――」

 「え、だって結婚するなら好意の有無も必要なことでしょう? もしかしてAさんはお見合いなどの他人任せですか?」

 「そ、そうじゃないけど......」


 まさか彼に言い当てられるとは......。


 異性に向ける好意。結婚する以前に付き合うのであれば必然と大切な要素となる。さすがの私でも好きになれない人と一緒に生活していきたくないし、この先も夫婦でいるのであれば好きな人と居たい。


 もちろんそれは全部私の我儘だ。問題はそれとは別、


 「Aさんは.....自分の都合で好き嫌いを決めて、それを相手に押し付けてしまいそうで怖いのです」

 「......。」


 異性と結婚した理由も、好きになった理由も全部私にとって都合の良さの上でのものなら―――


 ――そんな夫婦の在り方は嫌だ。


 好意の裏に、直売店経営の手段があるなんて最低だと思う。


 「そう考えると、Aさんの“好意”って、“好き”ってどうやって決めればいいんだろうってなったみたいでさ」

 「見た目重視でムキムキマッチョなんてどうです?」

 「今真面目な話をしているんですけど」

 「割と真面目だったんですが......」


 受け取ったお皿で彼の頭を叩き割ろうかな。私をなんだと思ってるの。


 私は彼に相談したことをちょっと後悔した。人選ミスのように思える。


 「ちなみに昨晩話していた『きっとこれが正しいと思ったから』ってそのことと関係ありますか?」

 「え? ああ、よく覚えているね。うーん、半分正解かな」

 「“半分正解”?」


 そう。直売店を経営し、収穫まで大切に育ててきた商品を、1から作ってきた物をお客さん提供したときの達成感。お客さんとのコミュニケーションや感謝されたときにあの仕事がすごく楽しく感じる。


 そして親子だからか、両親も同じことを思っているからあんな笑顔になる。


 だから続けたい。このまま直売店の営業をずっと、この先何十年と続けていきたい。求められるまま、あのお店を守っていきたい。


 それが半分正解の答えだ。私は恥ずかしながらもそれを彼に伝えた。


 もうAさんとか関係無いくらい普通に伝えちゃった。


 「なるほど。そこまでその仕事が好きだとは知りませんでした」

 「でも、一人じゃ無理だってわかったから悩んでしまうみたい」


 そう小声で零してしまった私は未だに彼から受け取った皿をタオルでずっと拭き続けている。


 水気なんかもう無いのに、彼が洗って拭かなければならない皿が横に積んであるのに、私は中々次に進もうとしない。


 「Aさんは馬鹿ですね」

 「ばッ?!」

 「お馬鹿さんです」


 ちょ、馬鹿って酷くない? これでも真面目に考えているんだよ?!


 「な、なんで馬鹿なのかな?」


 私は若干青筋を立てながらも、落ち着いて彼に聞いた。


 「はは、登場人物が足りていないからです」

 「は?」

 「なぜ――Dのですか?」


 彼は今まで見向きもしなかった私の顔を直視して言う。


 “Dさん”って......もしかしなくとも和馬君のこと?


 「あのね、前から言ってるけど、和――Dさんをそういう目で見ていないから結婚相手に選ばないよ?」

 「誰もそんなこと言ってません」

 「え、違うの?」

 「言いたいことは違いますので」


 てっきり話の流れ的にそのDさんが私の人生のパートナーになってくれるかと思ってた。というかそんな真っ向から否定されるのもなぁ......。


 まぁでも、彼はちょっと......いや、かなり変態な部分があるけど、仕事には真面目だし、信頼できるし、筋肉すごいし、意外とアリ......かも?


 ......。


 無い無い! なにとんでもないこと考えているの、私!


 「じゃ、じゃあそのDさんはどんなことを私にしてくれるの?」

 「“時間を作る”、ですね」

 

 “時間を作る”? なんの?


 そう聞いた私に彼は「色々なことですよ」と言って食器洗いを続ける。


 「それは結婚相手を考える“時間”であったり、そもそもの彼氏を作る“時間”であったり、その前に遊ぶ“時間”であったりと様々です」

 「え、えーっと」


 「結婚相手を探したいのでしょう? 考えたいのでしょう? ならまずは交際経験からじゃありませんか。そしてその前には世間一般の学生がどんな遊びをしているのか、価値観を知る必要もあります。Dさんの知る限り、Aさんは少々そのことに関して疎い気がします」

 「そうだけど......。なんでDさんが?」


 「Dさんが働いている理由はわかりますか?」

 「え? ああ、千沙や陽菜みたいな可愛い子が居るから?」

 「今真面目な話をしているんですけど」


 わ、割と真面目だったんですけど......。


 彼は「あとBさんとCさんはもういいのですか? 今更ですが」とどうでもよくなった設定を指摘する。


 彼がうちで働いている理由か......。以前も言ってたように、貴重な体験を――農業という学生のうちにしかできないアルバイトをしたいってところかな。


 「うちで農業という職種を知って、触れて、得たいんでしょ?」

 「はい。中村家で農作業というのがどんな仕事なのか知って、実際に触れて、貴重な経験を得たいんです」


 「それが私と何か関係が?」

 「実はその理由は半分くらいの割合です」


 「他にも理由があるの?」

 「中村家の皆に恩を返すことです」


 “恩”って......。アルバイトで来ている人が言うことなのかな。


 それに“恩”というのであれば、普段、私たちの方が彼に良くしてもらっている。どんな仕事も投げ出さないでやり切るし、仕事以外でも中村家の団欒に和馬君という存在が必要不可欠な現状にまで至っている。


 だから私たちに彼が必要であって、ここに居る時点で充分すぎる“恩”に該当するのに、これ以上私たちに何をしてくれるというのだろうか。


 「ちなみにその理由というのも昨日作りました」

 「そ、それは急だね」


 「いっつもここでお世話になっていますので、そんなお世話になっている人たちのために役に立ちたいと思うのは当然なことだと思いません?」

 「でも仕事は仕事で労働力をちゃんと対価に貰っているし......」


 「仕事だけじゃありませんよ。三人家族の自分が、高校になってからはほぼ一人暮らしみたいな生活を送っている自分が、中村家に来て団欒の暖かさをいただきました。今度は自分が何かお返しする番です」

 「それがさっきの“時間”ってこと?」


 「ええ。真由美さんとやっさんが温泉旅行をしたように、その時間を作ることがここで働く理由になりました。もちろん、葵さんにも協力します」

 「......。」


 私は彼の善意に思わず黙ってしまった。要らないよとは言えないし、彼のその思いを無下にできない。


 それに彼の言う、“時間を作ってくれる”ことは、たぶん今後の私にとって必要なものだったからだ。


 「四年制大学に通うんですよね? なら少なくとも4年間は同年代の人たちと関わりを持てます。葵さんが土日働かなくともいいように、自分がその分頑張ります」

 「そ、それはさすがに――」


 「異性に向ける好意を、自分の都合で好き嫌い決めそう? 別にいいじゃないですか。人間、自身の都合に左右されて生きているんですから。それもこれも大学生になってから色々と学んでください」

 「ちょ――」


 「それでも葵さんが誰とも付き合えないというのであれば、その“時間”を延長しましょう。自分は大学に行ってもここのバイトを続ける気なので、えーっと、四年制大学だとすると......2年程伸びますね。単純計算で葵さんはあと6年ほど猶予がありますよ?」

 「ちょ、ちょっと待って!」


 私はなにやら勝手に話続けている彼に待ったをかけた。


 6年? 6年のうちに納得できる異性を見つけろって? それはちょっと横暴というかなんというか......。


 「そんな期間内にできるのかな......」

 「あれ、できるできないの問題なんですか?」


 「え?」

 「別に強制ではありませんが、葵さんはあの直売をこれからもずっと続けていきたのでしょう? なら“行動”はするべきです」


 「......。」

 「異性との関係に“きっかけ”を作り、そして“確信”し、最後に“実現”へ。この一連の過程に葵さんは時間がいくらでもあると言えますか? 言えませんよね。だってあなた、働きすぎですもん」


 彼の言う通りだ。あの直売店を続ける、つまり受け継ぐということは私一人では成し遂げられない。


 なら誰か協力してくれる人を探さないと駄目だ。そしてそのためには時間が必要で、家業を第一優先してきた私のツケとも言える。なんとも皮肉な話である。


 「なんでも一人で抱え込むのは結構。ですがそれで目標を見失うのはいけません。葵さんは一人しかいませんから、ちゃんと“時間”を有効活用してください」


 ......なんで彼は、


 「『時間が無かった』なんて言い訳は周りが許しても自分が許しません。葵さんが目標に向かって、悩んで、考えて、行動する“時間”をアルバイトである自分が作るんですから」


 どうして彼はそこまで、


 「自分を――俺をもっと頼ってください。全力で協力しますよ」

 「っ?!」


 きっと私のこの思いは家族に伝えられない。伝えたら、優しい皆のことだからこのに口出ししてくるだろう。


 だから私にとって必要なのは自分で決めなければならない“時間”だ。その束縛とも自由とも言える時間が必要なんだ。


 それを家族以外に頼れる唯一無二のアルバイトである彼が作ってくれると言う。


 抱え込みたいなら抱え込みたい分だけ抱え込めばいいと言う。


 でも結局のところ、私は一人しかいないから、限界があるんだからちゃんと吟味していけって言ってくれる。


 熱いものが込み上がり、視界が潤んでしまう。次第に持っている乾いた皿に水滴がポタポタと落ちる。


 「ああー、そんなつもりで言ったんじゃないんですが......」

 「な、なんで、和馬君はぞ、ぞごまでじてくれるの?」


 「え? さっきも言いましたがただの恩返しです」

 「ぐすッ......絶対それだけじゃない」


 「そ、そうですねー。たぶんDさんはAさんを優しさで惚れさせてワンチャン狙ってるとか? 開けごまぁーって」

 「......今ならコロッといきそう」

 「きょ、今日はもうセクハラ止めますね」


 こうして私はタオルで拭いても拭いても濡れてしまう皿を持ったまま意味もなくキッチンに立ち尽くしていた。


 余談だけど、二階から降りてきた陽菜が、目元を腫らした私を見て近くに居た和馬君に掴みかかったのはこれより数分後のことになる。


 なんというか、どっちが先輩でどっちが後輩なのか悩まされる一晩になったなぁ。本当に彼の存在には困ったものである。



――――――――――――――


改稿追記:

ども! おてんと です。


本章の本編はお終いですが、次回は息抜きで閑話になります。許してください。


それでは、お楽しみに! ハブ ア ナイス デー!

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