第226話 千沙の視点 はぁぁああぁあぁああ?!!
「兄......さん?」
視界に入ったのは姉さんとバカな兄。
「千沙?! 戻ったのか?!」
「なんでお姉ちゃんよりこの変態が先なの?!!」
「今はそんなことどうでもいいわ!!」
「うぇええん! 敬語ぉ!」
二人が何を言っているのかよく聞き取れません。ただ心配そうな顔をしていることだけはわかります。
なんでそんな顔で私を見詰めるんですか。
プツン。私の意識が遠退いていくのを感じました。
*****
「どうしましょう! 千沙が! また千沙がッ!!」
「とりあえず高橋、お前は石抱きの刑だッ!」
「なんでッ?!」
なんだか騒がしい。
少し頭痛がしますね。あれ、私、いつの間にソファーで寝てたんでしょう?
段々と意識を取り戻している気がします。ですがまだぼーっとしますね。時間がかかるかもしれません。
「や、やめてッ! 私がいけないの! 和馬君は何も悪くないの!」
「葵さん.....」
「いや、何もってことは無いかな。セクハラされたのがそもそもの原因だし」
「葵さんッ!!」
現在.........19時02分? 横になったままの私は視界に入った時計を見て驚きました。
視界に映る人は誰も居なくて、先程から聞こえる喧騒はもっと奥の方からです。私が寝ているリビングには誰も居ません。
たしかまだ昼過ぎだった気がします。少し寝て19時? なぜ?
「和馬、あんたまたやったの.....」
「だから俺じゃないって!」
「まぁまぁ。この際、そんなことどうでもいいわぁ」
私は兄さんがちゃんと仕事しているか確認するため、彼が居るであろう作業場に向かいました。
そこまではいいです。そこまではちゃんと覚えてます。
なぜかそこからの記憶が無く、今はもう夜です。時計が壊れているなんて疑いはありません。窓から見える月明かりが完全に夜を示してますからね。
「どうでもよくない! いいか真由美! こいつは一度ならず二度までも千沙に怪我を負わせたんだ!」
「ひぃッ?!」
「父さん落ち着いて!」
「パパ! わかったからその包丁を置いて!」
『怪我を負わせた』? たしかに先程から頭がぼーっとするのはこの頭痛のせいかもしれません。
「というかそもそもなぜ千沙はあそこに居たんですか?!」
「千沙姉、『お兄ちゃんの仕事手伝ってきます!』って言って出て行ったから、そのタイミングで事故ったんじゃない?」
「今の全然似てなかったのは千沙の真似かな?」
「たぶん。あんま似てなかったけど」
「禿同よぉ」
全然似てませんでしたね。ええ、はい。
つまり数時間の記憶が無いのは寝ていた訳ではないと? そして倒れたのは兄さんのせいだとすると私は運悪く気を失ったというわけですか。
鈍器で殴られたんでしょうか? 兄さんに限ってそれは無いと思います。事故って言ってましたし。
「そ・れ・に! 実はちゃんと収穫もあったんです!」
「.....農家だけに?」
「葵さんは黙っててください!」
ん? 時計をよく見れば、曜日のところが可笑しいですよ。だって今日は土曜日のはず。なぜ火曜日?
「......。」
あ、あ、あ、あああああああ!!
天才千沙ちゃんわかっちゃいました!
これはもしかして! もしかしなくてもこれは―――
「千沙の記憶が戻ったかもしれないんですよ!」
「「「「なんだってぇ?!!」」」」
―――私、記憶喪失でした?
*****
「ってなんで葵さんまで驚いているんですか」
「な、流れ的に」
え、本当に記憶喪失だったんですか?!
皆さんの反応からして嘘を吐いているようには思えませんが、それでも受け入れ難い事実には変わりないですね。
私は横になりながらしばし考え事をします。皆さんは私のことを心配しているはずなのに依然として私の近くには居ませんね。
ちょっとイラっときます。
「う、嘘でしょ?! 千沙姉が?!」
「ああ! さっき意識戻りかけたときに俺のこと『兄.....さん?』って言ってたんだよ!」
「和馬君、今、千沙の真似しなくていいから」
「全然似てなかったわぁ」
「禿同だ」
今の変な話し方、私を真似たんですか? 全然似てませんでしたよ。
え? でも普段の私なら兄さんのことを兄さんと呼んでも可笑しくないですよ。
「たぶんだけど、千沙が和馬君のことを“お兄ちゃん”呼びしないってことは記憶が戻ったってことだよ」
え゛。
「そう判断するには早すぎないか?」
「偶々かもしれないわねぇ」
ちょちょちょ。どういうことですか! 私が“兄さん”を“お兄ちゃん”と?!
そんなこと言った記憶無いですよ!!
「でもそれ以外考えられませんよ」
「千沙がそう言った後はまた糸が切れた操り人形みたいに気を失っちゃったけど」
記憶喪失だった期間は土曜日の晩からだとすると今日までの約3日間ですね。その間、ずっと眠っていた訳ではないようです。
だってその期間内に“お兄ちゃん”呼びをしていたらしいですから。
「葵姉にはなんて言ったの? ここ数日はお姉ちゃん呼びだったじゃない」
「私も『姉.........さん?』って」
「言ってませんよ。なに勝手に自作自演してるんですか。あと千沙の真似全然似てませんね」
「禿同ねぇ」
「禿同だよ」
今姉さんがやったのは私の真似ですか? 全然似てませんよ。
っていうか、なんで本人がぶっ倒れているのにくっだらないことしてるんですか。モノマネより看病してくれません?
「部分的なのかもしれないじゃないか」
「ええ。この人の言う通り、今までの10年分の記憶がちゃんとしているか定かじゃないわぁ」
「こればかりは千沙姉が起きてから確認しないとね」
10年分の記憶?!
「でも今はそっとしておいてあげなくちゃ」
「加害者が何を偉そうに.....」
「なっ?! か、加害者なのは和馬君もじゃん」
じゃあこの数日間は寝たきりだったという訳ではなく、記憶を失っても私は普通に生活してたって言うんですか?!
軽くホラーですよ!
「自分は千沙を終始心配してましたから」
「嘘。じゃあなんで千沙にキスしようとしたり、服を脱がそうとしたの?」
「ちょ!」
ちょ! 私が気を失っている間になんてことしようとしてるんですか!
無抵抗の相手になんて卑劣な! 今度また一服盛ってやりますよ!
「おい高橋ぃ」
「違います! 人工呼吸と胸骨圧迫のためです!! 断じて―――ねばらッ?!!」
「違わんわ! 娘にナニしようとしてんだこのクソ野郎!」
つまりアレですか、まとめるとこの3日間、約10年分の記憶を失った私は.........10年前の私はこの家で生活していたと?
小学生低学年の私は兄さんを“お兄ちゃん”と?
「あなた、少しは落ち着きなさいな」
「これでようやくあの中身が小学生だった千沙姉から部分的にも元に戻ったのよ! 以前の千沙姉に別れを言えなくて残念だわ!」
「陽菜なんか安堵してない?」
「はは。お前千沙に弱みでも握られたか?」
なんですか“別れを言えなくて”って。そんなに昔の私は皆さんの日常生活に浸透してたんですか。
「全然良くないよ! 千沙が戻ったってことはもうあの頃の優しい千沙は居なくなったってことなんだよ?!」
「「「「.......。」」」」
あなたは一体娘の記憶喪失をなんだと思ってるんですかぁぁぁぁああああ!!
「や、やっさん、それはさすがに.....」
「千沙が聞いたら殺されるよ」
「寝てるから平気だよ」
起きてます。後で殺します。
「俺は千沙が記憶を取り戻していないことにベットする。いや願っている」
「あんた最低か」
「高橋君、想像してごらん。妹に『存在が臭い』って言われたら君はどうする?」
「そ、それは.....」
「君は元に戻って欲しいと思うか?」
「くっ!」
“くっ!”じゃない。全ッ然“くっ!”じゃないですよ。
「私は千沙姉の記憶が戻っていることにベットするわ。あ、いや、願うわ」
陽菜も後で半殺しにしましょう。なんですか、“あ、願うわ”って。
「え、じゃあ私も陽菜と同じで」
「母親なら陽菜と同じ気持ちよぉ」
クソ家族ッ!!
次女の記憶有無で賭け事する家族なんて聞いたことありませんよ!!
ん? 記憶の有無?
あ。
「ちなみに何を賭けるんです?」
「うーん、さすがに家族間で金銭が関わるのはしたくないなぁ」
「せっかくなら共通するものを賭けたいわ」
「そう考えると数が少なくなるね」
「それなら罰ゲームにしてはどうかしらぁ?」
よく考えたらこれって私にとって嬉しい誤算じゃありません?
だって小学生低学年の私の方が兄さん的にも受けが良い訳ですし、学校に行ってないみたいですからズル休みできるじゃないですか。
「じゃあ罰ゲームの内容はどうするのさ」
「“一回だけなんでも言うことを聞く”ってのはどうかしら?」
「そ、それは和馬君が勝った場合もでしょ? 絶対エッチなこと要求してくるよ」
「しませんよ。自分をなんだと思ってるんですか」
「充分泣き虫さんならあり得るわぁ。なら“負けた人たちが1日家事をする”にしたらぁ?」
たしか一人称は“私”ではなく、“千沙”でしたっけ。言う度にSAN値がガンガン削られていきそうですが、見返りも大きいでしょう。
くふふ。兄に心置きなく甘えられます。
「いいんじゃない? 気楽にできるし」
「よし、そうと決まったらさっそく千沙を起こそう」
「あんた鬼か」
「パパ最低.....」
「死んだ方が良いわぁ」
「あ、あの!」
「「「「「っ?!」」」」」
私が声を掛けたら皆さんが一斉に驚きました。
「ち、千沙、これは違うぞ!」
「パパの馬鹿! しっ!」
「いでっ!」
全部聞こえてましたよ。
「千沙、大丈夫か? どこか痛くないか?」
さっきまで妹で賭け事をしていたくせに、誰よりも逸早く私の所へ駆けつけてきた兄さんの顔には心配の二文字が。
.....はぁ。なんやかんや言っても根は良い人なんですよねー。
「千沙姉! 自分のことなんて言ってる?!」
陽菜が必死な顔で私に聞いてきました。やはり一人称が“私”か“千沙”で勝ちを決めたいのでしょう。
さて兄さん、覚悟はいいですか?
妹の時間です。
「ち、千沙は千沙ですよ?」
「「「.......。」」」
「「しゃあっ!」」
ガッツポーズしましたね、この男共。
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