第118話 千沙の視点 何がしたいんだか

 「ってことがあったんだよ」

 「お疲れ様です」


 現在、22時31分。私は(さっき叩き起こした)兄さんと自室で先ほどの陽菜の進路相談の報告を受けている最中です。私はその場に居なかったですからね。


 「じゃあ姉さんの進路相談はまた今度なんですね」

 「ああ。今日は陽菜の話で持ち切りだったからな」


 そんなに壮絶な進路相談だったんですか。少し逃げ――撤退したことが悔やまれますね。


 「で、俺は大変な目にあったんだが......」

 「?」

 「なんでまたハンドクリーム塗らされてんの?」


 不思議なことを聞きますね。相当疲れたんでしょう。


 「いつものことですよね?」

 「そうだね。いつも塗ってるね」

 「じゃあ気にしなくてもいいんじゃないですか?」

 「いや疲れた兄を寝かせようよ」


 なんて我儘な兄なんでしょう。普通、妹の言うことをもっと聞いてあげるべきだと思うんですよね。兄のくせに。


 「それにお前、大して仕事してないくせにハンドクリームばっか塗らせるから、もう両手綺麗じゃん。どこもガサついてないよ」

 「ミクロサイズで乾燥しているので継続は当然です」

 「なんだ“ミクロサイズで乾燥”って」


 さて、これからいつものようにハンドクリームを塗った後はゲームですね。兄さんの睡眠時間も考慮しないといけないですから......たったの5時間くらいしかないですよ。


 「まぁハンドクリームは兄さんにとってご褒美じゃないですか。感謝してください」

 「どこがッ?!」

 「えッ?! 違うんですか?!」

 「むしろなんでそう思った?!」

 「わ、私、美少女ですから、兄さん喜ぶかと....」

 「すごい自意識過剰だな!!」


 そ、そんな......。兄さんにとって至福の時間だと思っていたから、二つ返事で塗ってくれたのかと思ってましたよ。


 「よ、よく好きでもないのに塗りましたね」

 「お前が駄々こねるからだろーが」

 「てっきり兄さんは、将来そういう職に就きたいのかと思ってました」

 「どんな職だよ、それ.....」


 こうして兄さんと会話することは本当に楽しい。渋々ながらも私に付き合ってくれる優しい兄。自慢の兄ですね。血は繋がってませんけど。


 「それじゃあ陽菜はその『学々高校』を目指すんですか」

 「そうなんだけど、実はそこをどうにかしたいんだよ」

 「?」

 「いや、農業高校に行かないのは別に良いんだけど、問題はそこの学校なんだよ」


 何が不味いのだろうか。話の流れ的にも特にその高校は普通ですよね。偏差値はもちろん、変に不良がいるとかいじめ問題があるわけでもないのになぜ?


 「?」

 「その高校な、俺が通っているんだよ」

 「え、兄さん、『学々高校』の学生なんですか?」

 「そ」


 そういえば今まで兄さんにどこの高校に言っているかなんて聞いたことなかったですね。


 「なんで皆聞いてこないのかね」

 「単に興味がないんですよ」

 「兄を容赦なく傷つける妹が悲しいよ」

 「私たち姉妹は農家で生まれ、そのうち姉二人はそれぞれの農業高校に行ってますからね。一般高校なんて眼中になかったと思います。知っててせいぜい場所くらいでしょう」

 「それで聞いてこなかったのか」


 正直、陽菜が一般高校に行くと決めなかったら、一般高校なんて近隣にあっても興味なんて芽生えなかったでしょう。そんなもんです。


 ん? と言うことは、兄さんがその『学々高校』に通っているのを陽菜は知らないで選んだってことですか。偶然ですね。


 「で、なんで陽菜がそこに通うとマズいんですか?」

 「いや、なんというか.....」

 「なんですか、はっきりしてください」


 別に陽菜とは仲が悪いわけでもなく、むしろ最近かなり二人の距離が近いように思えます。不思議と嫉妬は覚えませんが、可愛いわたしが隣にいるんですからちゃんと気にかけてもらいたいものですね。


 「嫌いじゃないけど、一緒に通うのになんか抵抗が.....」

 「まぁ、元々一般高校を目指す場所が偏差値的にその『学々高校』なら、変えるのは難しいですね。現状、陽菜の偏差値はそこより低いってことですから」

 「だよね。塾に通わず自力で行くらしいよ」

 「だ、大丈夫なんですか、それ」


 姉が言うのもなんですが、陽菜は控えめに言って馬鹿です。でも話を聞くと、前回の定期試験は偶々なのか良い点を取ったと聞きました。勉強すればなんとか合格できそうってとこですか。


 「妹がこれから頑張るんです。夏休みが終わったら、家に居ることは少なくなりますが姉としてできるだけ協力したいですね」

 「お、お前、“協力”なんて言葉知っていたのか.....」

 「ちょっ! 失礼ですよ! それにゲームでもよく協力プレイするじゃないですか!」

 「そ、協力そこはゲームで学んでほしくなかった」


 わ、私は兄さんにとって良かれと思ってゲームに付き合わせているんですよ。


 現に、さっき私にハンドクリームを塗り終わったあと、なんの私に膝枕させてるじゃないですか。横になりながらも器用にゲームして。


 そ、そんなに妹の膝枕が好きなんですか。しょ、しょうがない兄ですね!


 「妹の勉強には協力するけど、兄の健康には協力しないのね。どーせ今日も2時までさせんだろ」

 「当然です。陽菜は血のつながった実の妹ですよ」


 「お前は都合よく『兄』を解除するよね」

 「わたしですから」


 「ちなみに逆は?」

 「兄に『妹』を解除なんてスキルありませんよ。私だけの特権です」


 「あっそ」

 「あと2時までじゃないです。4時までです。勝手にを短くしないでください」


 「ついに兄の“思いやり”を“労働”って言いやがった」

 「わたしですから」

 「お兄ちゃん、そのシステムがよくわからんよ...」


 私が幼少期の頃、お母さんから「千沙はお姉ちゃんなんだから我慢しなさい」とよく言われてましたっけ。たぶんそれと同じです。ええ、はい。


 「そっかぁー。千沙は夏休み終わったら中村家を空けるのかぁー」

 「ふふ。流石の兄さんも妹が居なくなっては寂しいでしょう?」

 「うん、寂しいね。なんやかんや言って千沙とのこの時間は好きだし」

 「っ?!」

 「はい、隙ありー」


 なっ?! 妹の純情を弄びましたね! 汚いやり方でゲームプレイの隙を突いてきましたよ!


 「せこいですよ!!」

 「はっ。日頃の仕返しだよ」

 「じゃ、じゃあ仕返しです!」


 私は現在、膝枕されている兄さんに覆いかぶさるかたちで前のめりになり、兄さんの視界を遮ります。


 「ちょっ! 千沙!!」

 「ふふ。無防備ですよ。ほらほら!」

 

 未だ私の膝枕縛り(?)にはまっている兄さんは上手く脱出できていません。た、体勢的に、兄さんの顔が近くてこっちが意識しちゃうのがネックですが。


 「む、胸が当たってる!」

 「へ?」

 「だから胸が当たってるって!!」

 「あ、やッ! 離れてください!!」

 「痛ッ?!」


 私は膝枕を強制的に解除して、恥ずかしさのあまり、兄さんを突き飛ばしました。む、むむむ胸に当たってたなんて.....変態ですよ、変態。


 「さ、最低です! まさか妹の胸にまで手を出すとは.....」

 「手出していなし、好きでやってないし、お前が勝手にやったんだろ!」

 「それにしてもこれ見よがしにクンカクンカするのは良くないです!!」

 「し、ししししてねーよ!!」

 「してました! 鼻息めっちゃ当たってました!」


 兄さんが言い訳してますよ! 見苦しいですね!! 


 「あぁーもうッ! じゃあな! 今日はこれで終わりだ!」

 「わ、私だって変態とゲームしたくないですよ! 帰ってください!」

 「もう2度と来ねーよ!!」

 「こっちだって願い下げです!」


 そう言って部屋から出て行こうとする兄さんを後ろで眺めていた私はつい止めてしまいます。


 「ど、どっか打ちどころ悪かったんですか? す、すみません」

 「い、いやこれはアレだ。なんともないから。お、おやすみ」

 「?」


 急に冷静さを取り戻した私は兄さんの安否を確認しました。


 いや、っていうかアレって......。


 「ぼ、ぼ、ぼぼぼ勃――――」

 「それ以上言うんじゃないッ!!」

 「っ?!」

 「お、女の子が口にしちゃいけないだろ?」


 そ、そうですね。よし、見なかったことにしましょう。その言葉を最後に兄さんは自室へ戻って行きました。


 「......。」


 再び一人だけの空間となった私の部屋。まだ眠気がこないからか、今ベッドで横になってもきっとしばらくは眠れないでしょう。寂しさをいつもより感じてしまいます。


 「この生活もあと少しですか......」


 そんな乾いた私の声が部屋に響きました。自然とゲームする気にはなれないですね。どうしましょう。


 そして、


 『ガラガラガラガラ』

 「に、兄さん?!」


 さっき出て行った兄さんがノック無しででまた入ってきました。


 「....続きをしにきた」

 「よくすぐ来れましたね!」

 「ほら、時間までやるぞ」


 もしかしてさっきの私の独り言を聞かれたんでしょうか。......まさかですよね。


 ....本当に優しい兄で、私の自慢の兄です。


 まぁ血は繋がってないんですけど。もしかしたら繋がっていないそんな兄が――


 「あ、膝枕はもうしませんよ」

 「さっきあったんだ。もう頼まねーよ」

 「いや、そうじゃなくてそろそろ筋肉痛になりそうです」

 「....さいですか」


 ―――私は好きなのかもしれませんね。

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