第57話 千沙の視点 これじゃあまるで...
「はぁ......これでも駄目ですか」
「駄目なの?」
「警告灯が消えません。ほら」
「あ、本当だ」
「新品オイルはもう十分ですし、全量変えましたが改善されません」
私たちはしばらく作業をしますが一向に良くなりません。エンジンの掃除も結構徹底的にやったのですが原因は他のところにあるようです。
「オイルシールは?」
「それも新品です......っというかよく知ってますねそれ」
「バイクも似たようなところがあるからな」
「バイク乗っているんですか?」
「免許は普通二輪まであるけど金なくて
「なるほど」
意外です。バイクいじりするんですね。こういった機械は農機具、バイク問わず共通な部分が多いことがあります。形状は違いますが、エンジンで動くことは共通ですからね。
「あっじゃあメーカー指定のオイルなの――――」
「あっ!!」
「うおっ! なんだよ」
「そうですよ、それです!」
私は近場にある新品の......と言っても栓はしてありますが、2年前のオイル缶を見ます。品質的には酸化しているわけではなく問題はないんですが......。
「ほら! これ前回も間違えて使ったオイルですよ!!」
「お、おう」
「メーカー指定じゃないってわかって、このままここに放置してたんですが、また間違ってこれをトラクターに補充しちゃいました!!」
「そ、そうか」
「いやぁやはり正常に動きませんからね。新品でも危険です」
「原因がわかってよかったな」
「はい! ありがとうございます!」
私は柄にもなく興奮して、彼の手を握ってぶんぶん上下に振り回してしまいます。もちろん軍手なんか脱ぎ捨てて素手.............じゃないですか。
「あっ」
「?」
「すみません、痛かったですよね」
「は?」
私の手は泥やオイルで汚れている上に、女の子らしくない荒れた手。これは他人に見せて気持ちのいい手じゃありません。
「いえ、気にしないでください。手が荒れててチクチクしましたよね、すみません」
「手?........あぁそういうこと」
「はは、不快ですよね、こんな――――」
「なにへらへら笑ってんの?」
「え?」
突然、彼が真面目な顔で私の目を見ます。なぜか怒っているようにも思える、そんな真剣な目で。
「どうしたんで―――」
「良い手じゃん」
「........がさついた、オイルが滲んで汚い荒れた手ですよ?」
「ああ。最初に会った“
そう言えば最初に会った時、棚にあったある商品で手を重ねてしまいましたっけ。そのときに私の手が荒れていることがバレたんですか。
「....さっき女の子なのにって差別しましたよね」
「したな。普通の女の子じゃできないからそう言った」
「ほら。じゃあ....」
「不快かってか?」
「........。」
彼が急に、さっき引っ込めて後ろに隠した私の手を握りました。
「別に女の子がしちゃいけない手じゃないでしょ。むしろ他の人がやらない、やろうとしない、できないことをやってきた手だろ」
「..................。」
彼は私の手が女の子らしくないからって不快には思わないのでしょうか。
「なんでそんな頑張ってきたのに、自分で否定しちゃうの?」
「........あなたにはわかりませんよ」
そう、女の子か男の子かって違いだけで、珍しがられる、心配される手のことなんて。
「俺のツナギ服作業着、どう思う?」
「は?」
今度は急に、彼は今着ているツナギ服のことを私に聞いてきました。その作業着はもとは真っ白なのに所々汚れてますね。まぁ今日は雨でしたし、いつもより泥が付いたのでしょう。
「.......汚いと思います。ちゃんと洗ってるんですか?」
「あ、洗ってるよ! 一般家庭用洗剤のせいか落ちないだけ。でも俺はこれでいいと思っている」
まさかこの作業着の汚れと私の手の汚れを重ねる気ですか? 一緒にされたくないですよ。
「ここの茶色のところわかる?」
「...さぁ」
「不正解、トウモロコシ畑の草むしりんとき付いた汚れだ。ここの
「......血ですか?」
「不正解、以前ペンキ塗りしたときに付いたペンキの色だ。じゃあ――」
「だからなんですか?! みんな似たような色じゃないですか!! わかりませんよそんなの!」
つい、私は熱くなって彼に怒鳴ってしまいました。
「わかんないだろ? 一問も答えられなかったしな」
私には彼が何を言いたいのかわかりません。
「俺もだ。お前の手がなんで黒く滲んでんのか、いつからなのか、なんで荒れているのかすらわかんない」
「は? 当然でしょう?」
「ああ。当たり前だ。苦労なんて自分しか知らないし、他の人の努力と一緒にされたくない」
「..................。」
...私も同じです。でも、それでも私はこの手を――――
「それでもこの汚れをそのまま残している」
「っ?!」
彼に心を読まれているようで思わすドキッとします。
「最初は真っ白なツナギ服だった」
「..............。」
「バイトに来る日が増えていくに連れて汚れは増えていった。それでもこれでいいと思ってるし、後悔はないよ」
「............私も後悔はないです」
私は本音を漏らしてしまいました。
私が10歳の頃、熱中症で倒れ、命の危険までいってからお母さんは過保護に私を心配するようになりました。私はそんなお母さんに私のことを見直してほしくて、機械いじりを始めました。
いつか......いつか認めてもらいたくて、ちゃんと手を見てほしくて、この手を綺麗にしたくない気持ちが心のどこかにあったのでしょう。
「手を治そうと思えば治せるはずだ。ハンドクリームでも結構良いやつあるからな」
そう、いつか誰か......お母さんじゃなくてもいいから私をちゃんと見てくれる人が一人でもいればこんな手、すぐ治そうと思うのに。
......でも、そんな人、誰もいませんでした。
「俺も作業着用洗剤を毎日使えば、ここまで汚れを残さなかったはずだ。それでも誰かにちゃんと知ってほしくて、わかってほしくて残している。頑張ったって証を残している」
「..................。」
再度、彼が私の手を握り直します。
「俺の苦労を他人の努力と一緒にされたくない。......特にお前のなんか、一緒にしちゃいけないんだよ」
「一緒に...しちゃいけない?」
「羨ましいよ......ほんっと。自分が馬鹿みたいだ。こんな服の汚れごときでお前の苦労をはかろうなんて」
「私の手......?」
「ああ。俺なんかよりよっぽどすごい手だよ。交換したいくらいだ」
「そんな...............」
「そんなことないです」とは言えない。今までの自分を否定したくない。ちゃんと認めてもらいたい。もっと共感してほしい。そんなエゴが私の言葉を遮ってしまう。
「汚れが中々取れなくて苛立ったろう。思い通り器具を扱えず痛い目にもあっただろう。そんな経緯も知らない他人に注意されて辛いこともあっただろう」
「........。」
さっきまで怒ってたような彼が、今度は悲しそうな顔で、憐れむような声で言います。
「それでも今日までこの手を残してきたんだ。お前が、その手をへらへら笑って卑下するんじゃねぇよ」
「...............。」
私は思わず、目から何か雫のようなものが頬をなぞるように落ちるのを感じます。
「それでも....それでもお前がその手が嫌いなら、俺になんかできるかわかんないけど、理解も共感もするから。この手を治さないか?」
「....え?」
「だって千沙は女の子じゃないか。こんな痛々しい手はお互い見てて辛くならないか?」
....そうですね。別にこの手を維持したいから残しているわけじゃありません。誰かに知ってもらえばそれだけでいい。ただただそれだけの、痛いだけの手。
「強制じゃないし、ただの提案だ。....それに」
「?」
「ゲームも満足にできないだろ? はは、なんちゃってな」
「..................。」
なぜこうまでして高橋さんは私の欲しい言葉をくれるのでしょうか。
私がナンパされた時も、電球の取り換えで転倒した時だってそう、危ないときに私を助けてくれて、
「わ、悪いな。あまり親しくもない奴が偉そうなこと言って」
ゲームも、機械いじりも、こんな私に付き合ってくれて、
「お、おい、千沙? 大丈夫――――」
これじゃあまるで、
「.....お兄..............ちゃん」
「は? なんて」
.....サンタさん、夏ですが早めのプレゼントありがとうございます。
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