第120話 主人公とヒロイン

「お戻りください、王女殿下」


 そんな酷く事務的で、淡々とした警告に、セレインは思わず吹き出しそうになる。

 彼女自身目立ちたくないという意図はあったが、わざわざ人気のない路地裏を進んでようやく姿を現すなど、分かりやすすぎる。 


「いいえ、戻らないわ」


 毅然と、挑発するような響きでセレインは言葉を返した。

 実際彼女の機嫌は良い。ここ最近で一番といっても過言ではない。

 というか、彼女は実に分かりやすいのだ。彼女が感情を大きく動かすのは、ジル=ハーストが関わる時だけなのだから。


 言ってしまえばこの5年間、セレインはずっと耐え、蓄えてきた。

 もしもジルが生きていれば、彼を突き動かす一番のものは復讐心——魔神に対する殺意だ。

 そしてその魔神はセレインを狙っている。


 そう考えれば、セレインにとって魔神の存在はジルと自分の繋がりのようなものかもしれない。

 彼女はあっさりと魔神に攫われないように妥協することなく研鑽を積んできた。

 容易に手を出せないように成果を出し、才姫、時には天姫などと呼ばれ、国中にその存在を知られるまでに至った。


 誰もが羨み、憧れる名誉も名声も、彼女にとっては塵ひとつまみ分の価値さえ無いが。


「ふふっ」


 突然、セレインは頬を緩める。

 そんな仕草に彼女に迫っていた2人の騎士は固まる。いや、見とれたと言ってもいいだろう。


「ああ、ごめんなさい。少し嬉しくって。あの頃、私は嗅ぎ分けられなかった臭いが、ちゃんと理解できるようになったのが嬉しくて」


 セレインはそう笑う。

 しかしその目は冷たく、歪な輝きを灯していた。


「貴方達は魔人とも呼べない、ただ“分け与えられただけの存在”みたいね。けれど、せっかくお誂え向きに1人になってあげたというのに、たったそれだけの人数で“攫いに来る”なんて、私も舐められたものね」


 外見的には普通の人間である2人を、セレインは躊躇なく敵と断じた。

 事実、2人の騎士から漏れ出す魔力は普通の人間とは異なるものだった。


 この数年、気付かれていないとでも思っていたのだろう、セレインにつかず離れずで纏わりついてきていた気配と同じ類いのものだ。


 即ち、魔神の眷属が力を与えた魔人——よりも、更に下位。

 魔人に力を与えられた、魔人の模造品たる存在だと。


「……大人しくついてきて貰おうか」


 丁寧に正体を暴かれ、騎士は明確な敵意を漏らす。

 セレインはそんな2人を見ながら、小さく手を振るう。


「ぎっ!?」

「があっ!」


 直後、セレインの背後の物影から悲鳴が上がった。

 目を見開く騎士2人には、セレインを背後から不意打ちしようと機を伺っていた仲間達が倒れるのか見えた。


「臭いが理解できる、と言った筈よね?」


 反射的に後退る騎士達にセレインは冷たい視線を送る。

 騎士達にはセレインがどういう魔法を使い仲間達を討ったのかさえ理解できていなかった。


 力の差は歴然。

 その名声故、彼女を侮ったつもりはない。

 彼らは魔神の力の一部を得た特別な存在だという自負はあるが、それでも伏兵を用意し万が一取り逃すという失態を演じないよう入念に準備してきた。


 セレインがたったひとり、無防備になるという、いつ訪れるかも分からない好機に備えて。


 その結果が、これだ。

 喉元に刃を突きつけたのはセレインの方だった。


(まさか、我々の襲撃を予期していたのか……!?)


 今思えばこの薄暗い路地にも彼女に誘い込まれたように思えてしまう。

 そして……そんな騎士たちの予感を裏付けるように、セレインは薄く笑みを浮かべる。


「ぐ……ぅ……!」


 心が折れる。

 もう、何がどう転んでも彼らはセレインには敵わないと――そう格付けが済んでしまった。


(さて……どうしましょうか)


 すっかり青ざめた騎士達を前に、セレインは思考を巡らしていた。

 腕を一振りすれば、待機状態の魔法が発動し彼らの首を捥ぐことができる。

 しかし、もはや戦意を失った相手にそれをするのはあまりに惨いのではないだろうかと、ある種当たり前とも言える躊躇を彼女は抱いていた。


(ジルならどうするでしょう……ジルなら、こういうとき……)


 僅か目を閉じ、思い人の姿を頭に浮かべ――答えは一瞬だった。

 彼なら、彼の怒りを思えば、ここで取る行動は一つしか無い。


 その答えを示すようにセレインが腕を振るおうとした――そのとき、


「やめろーっ!!」


 若い、男の声が路地裏に響く。

 そして、ツンツンと逆立った赤髪が特徴的な少年がセレインの前に踊り出た。

 彼女に背中を向ける形で。


「あんたら騎士だろ!? それがどうして、こんな女の子ひとりに剣を向けてるんだっ!」

「は……!?」

「少女……」


 今まさに殺されようとしていた騎士たちは思わず抗議の声を上げ、"少女"と言われたセレインはこてっと首を傾げる。

 もう彼女は成人した大人の女性だ。冗談でも少女などとは久しく呼ばれていなかった。


 少年は剣を構え、まるでセレインを守るように立ち塞がる。

 そんな状況に、敵意を向けられた騎士達は――密かに安堵の息を漏らした。


「……ちっ、行くぞ」


 悪態を吐きつつも、踵を返して去って行く。

 少年の登場は想定外ではあったが、おかげでセレインの手が緩み、彼らは逃げ出すことができた。


(むぅ……)


 そんな状況にセレインは不満げだ。

 少年は無視して、さっさと殺してしまうべきだったか。

 ついそんなことを考えてしまう。


「大丈夫か?」

「え? ああ……まぁ」


 魔法を解除し、肩の力を抜くセレインに、少年が振り返りつつ声をかける。


「あ……」

「なにか?」

「い、いや……その、どうして君は騎士達に襲われていたのかって」


 騎士達が襲いに来たのは確かだが、その実情は全く逆だ。

 それを知るセレインにとってはなんとも気まずい。

 少年の勇気ある善行は無碍にしたくないが、しかし払うほどの恩は感じられていない。


「あ、えっと、いきなり出てきた奴相手じゃ警戒もするよな……俺、レイジっていうんだ。故郷の村から騎士になろうとこの王都に……」

「はぁ……レイジ?」


 いきなり自己紹介を始めた少年をどう納得させ、追い返そうか――そんなことを考えていたセレインだったが、彼が名乗った名前につい反応した。


「……故郷の村とは、どこかしら?」

「え? ビギンズって村だけど……」

「ビギンズ……」


 聞いたばかりの、彼女が行動を起こす理由となった事件のあった村だ。


(そこからわざわざ王都にやってきた……偶然にしては出来すぎですね)


 まるで誰かが丁寧に導いたかのようだ。この場で自分と彼が出会うようにと。

 そしてそんなことをする――いや、できる人間に彼女はひとりしか心当たりが無い。


「私は……セラ」

「……セラ?」

「ええ。その……ちょっと事情があって騎士団に追われていて、逃げているところで……」


 思いつくがままに嘘を転がすセラだが、その口は彼女にしては回っていない。

 というのも思考の殆どはジルに向いていて、とてもそんな場合ではなかったからなのだが、しかし――


「そうか……じゃあ、俺が君を守るよ!」

「いや……でも、悪いわ。貴方は騎士になりたいんでしょう?」

「でも、事情を聞いて、それで放っておくなんてできないし……それに、その騎士団が君を狙ってるんだろ? なおさら無視して騎士になるなんて無理だよ」

「そう……その通りね。じゃあ、お願いしてもいいかしら」

「もちろん! よろしくな、セラ!」


 どんっと胸を叩き笑顔を浮かべるレイジ。

 そんな彼に微笑み返しつつ、セラは内心溜息を吐く。


(とりあえず上手い感じにことは運べましたか……)


 ジルに繋がると信じているからこそ選んだ道だが、それでも出会ったばかりの少年と旅をするという選択はどうなのか、と今更思うセラ。

 ただ、それでもジルに繋がる可能性があれば一瞬たりとも足を緩めるつもりはない。


(必ず見つけて、一発引っ叩いて、首輪を付けて二度と逃げられないように地下深くに監禁して……はやりすぎかもですが)


 そんなことを想像すればつい頬が緩んでしまう。

 しかしそれは口元を手で覆い、彼女本来の感情ごと隠す。

 彼女にとってのアウェイ――王城で暮らす中で染みついた癖だ。


(はぁ……咄嗟とはいえ、この少年にもこの態度を取ったのは失敗かもしれません……悪い人じゃなさそうだし、何よりずっとこれは肩が凝るというか……)


 冷静で冷徹な天才王女。

 そんなクールな姿は王城では必要以上に人を寄せ付けることもなく、何かと都合が良かったし、染みついてはいるが――しかし、たまには肩の力を抜くのも大事だ。

 とはいえ今更本当の自分を見せる気にもなれず、セレインは若干憂鬱な気持ちを抱えたまま歩き続けるのだった。


 経緯こそ異なれど、結果的に、世界が定めたシナリオ通りの道を。


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