第119話 天の神様の言うとおり
王都、その中心に聳える王城の一室にて、“彼女”は真剣な面もちで手元の資料へと視線を落としていた。
窓から差し込む光をキラキラと反射させるプラチナの髪。黄金のように煌めく瞳。
神から愛され、祝福されていると誰もが疑わない美貌と才覚の持ち主。
バルティモア王国の第三王女、セレイン=バルティモアである。
「ビギンズ……」
セレインは報告書に書かれた、とある村の名前を呟きつつ、細い指で撫でる。
それは彼女への報告書“ではない”。
元々は国内でのいざこざを管理、統制する騎士団内で上げられたらものだ。
当然彼らに第三王女へと報告書を流す義務などなく、今、彼女の手にそれが渡っていることなど気がつきもしないだろう。
この報告書はあくまでことの顛末を綴っただけの報告書。
迅速に動いたモントール子爵の手の者によって村人は保護され、死者もでていないというのだから。
村を襲った盗賊達は偶々近くを立ち寄った冒険者達が討伐したとか。
これは既に終わった事件なのである。
「なんとも、奇妙ですね」
セレインはぽつりと呟いた。
(騎士団は何も思わないのでしょうか。このモントール子爵家の初動の早さを)
小さな村とはいえ、その村人全員を受け入れるなど、その日その場でできるわけがない。
仮にやろうとしても、多少対外的な目を気にせざるを得ない。この迅速さは、ビギンズの人間を取り込むためにモントール子爵の手の者が村を襲ったと疑われても仕方がないほどだ。
ビギンズを襲った盗賊達は“ハースト一家”と名乗ったという。
ハーストといえば、ここ数年で随分と聞くようになった名前だ。その由来をセレインは当然理解している。
彼の勇名を広めたのは殆ど彼女だ。
彼女の才が知れ渡るのと同時に、彼女もよくかつての護衛、ジル=ハーストの名を口にした。
そこに意図があったわけではない。ただ、子どもが自分のものに名前を書くように、幼い執着を見せただけだ。
おかげで彼の名に乗っかる犯罪者も出てきた。
セレインが秘密裏に騎士団へと働きかけ、盗賊団の一斉摘発もさせはしたが、それでもまだ彼の名を汚す者は現れる。
このビギンズの一件もそうだ。ハーストを騙る者の悪事——だからこそ、セレインの手元にこの報告書があるのだ。
「けれど、妙ですね。何か、“これは違う”」
モントールという名にセレインは聞き覚えがあった。
ジルの死の直後、学院から消えた生徒がいた。
ポシェ=モントール。ジルと懇意にしていた二年生だ。
そして、村人からの証言によれば盗賊を討伐した冒険者のひとりは、5年前に遭遇した、紅髪の女剣士と酷似するものだった。
彼女もまた、ミザライア王立学院の生徒であり、学院最強の座につきながら途中退学をしたフレアという生徒であったことは、当然セレインも掴んでいる。
セレインはふと部屋の隅、大量に書類や本が詰まれた一角にある、透明な筒へと目を向ける。
中は何かの液体で満たされ、そして一本——人間の右腕が入っていた。
それはジル=ハーストが死んだと伝えられたら忌まわしき日、その証拠としてリスタから渡された彼の遺した右腕だった。
彼がいなくなった日々をどれだけ送っても、彼女の中からジルが消えることはない。
そもそもセレインは彼が死んだなどとは信じていない。
世間に広まったジルが最強の護衛だったという噂——それが嘘ではないとセレインは知っている。
——彼は生きている。どうして自分の前に姿を現してくれないのか、考えると辛いけれど……。
考える度に胸がきつく締め付けられる。
今もそんな感覚を覚えつつ、しかし、全く逆の感情も湧き上がってきている。
「やっぱり生きていたんですね」
そう呟いた彼女の声には、確かな喜びが滲んでいた。
予感、願望がほぼ確信に変わる。
理由を求められれば答えられないだろう。
しかし、彼女には分かった。直感があった。
これには間違いなく、ジル=ハーストが絡んでいる、と。
セレインはさっと指揮者のように手を振るう。
瞬間、ジルの右腕を入れた筒、また周囲に散らばっていた本や書類、魔道具の類が消え去った。
セレインが独自に扱う、別の空間へと道具を移動させる魔法により収納されたのだ。
散らばっていた部屋の中が瞬く間に殺風景になる。
ここはセレインが存分に魔法研究ができるようにあてがわれた部屋だったが、しかし、セレインにとって価値はない。
元々、王女であることも、周囲から期待されることも、持て囃されることも、何の価値もない。
(かつての私なら、無邪気に喜んだでしょうが……でも、今は——)
彼女の中にあるのは一つ、いや一人だけ。
それに繋がらないものなど足枷でしかない。
「ジル、ようやく貴方に辿り着けそうです」
セレインは微笑みを浮かべ呟く。
ひたすら準備した。自分を高め、学び、あらゆる魔法を造り上げた。
全ては、彼を捕まえ、二度と遠くへ逃がさないために。
そして、彼女は十分に待った。
何年も待ち続けた彼がようやく尻尾を見せて尚黙っていられるほど、大人ではない。
セレインは、まるで新しいオモチャを目の前にした、あるいは遠足の前日に布団に入った子どものように、年甲斐もなく目を輝かせ、自室を後にした。
こうして、セレインは歩み始める。
動機こそ異なる、しかし着実に、運命に記されたとおりに。
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