第111話 猛り
どうして。
どうしてこんなことに。
村へ近づけば近づくほど、絶望が濃くなっていく。
ビギンズは彼の故郷で、彼の世界そのものだった。
外のことは知らず、憧れるだけで、それが疎ましくもあり、けれど、捨てたいなんて思いもしない――そんな、彼の全てだった。
それが今、真っ赤に染まっている。
村全体を包み込む悪魔のような炎は、触れずとも近づくだけで容赦なくレイジの肌を熱してくる。
(炎の音、悲鳴、笑い声)
頭がおかしくなりそうだった。
いや、とても平静を保てるわけがない。
本当にここがビギンズなのか分からないほどに変貌した村の中を、レイジは顔見知りの村人にも、それを襲う盗賊にも視線を向けず、ただ必死に走る。
(ねぇちゃん。じいちゃんにばあちゃんも……無事なのか!?)
とにかく、何よりも、それを確かめねばならない。
レイジの頭は家族のことでいっぱいで、とても他のことに目を向けれるだけのキャパシティは残っていなかった。
「はぁ……はぁ……は――」
いつの間にか涙さえ流しながら、走り続け――そして、足を止める。
他の景色は滲み、歪んでいるのに、それだけははっきりと見えた。
「ねえちゃん……!?」
セシルだ。まだ生きている。
レイジは思わず、笑みを浮かべかけるが、しかし――すぐにその笑みは剥がれ落ち、驚愕に目を見開いた。
セシルが、盗賊らしき男に捕まり、涙を流していたからだ。
「ねえちゃんを離せーッ!!!」
激昂と共に、レイジは強く地面を蹴った。
一切の迷いはなかった。あれが姉に仇なす存在だというのは疑うまでもなかったからだ。
しかし、怒りを正面からぶつけるには、彼はまだ幼かった。
声変わりこそしていても、まだ幼さの残るその声色では、盗賊の注意を引き、手を止めさせられても圧するには至らない。
「んだぁ?」
セシルを捕らえていた盗賊――ハーストは怪訝に顔を歪めるだけ。
ねえちゃんという言葉から、自分の捕らえている女に近しい存在だろうということは察せても、それ以上の興味が向けられることはない。
「おっと、お坊ちゃん」
「駄目じゃないかこんなところを一人で歩いてちゃあ」
すぐに、レイジの進路を別の盗賊が塞ぐ。
殺しさえしなければ聖女の鼻に捉えられることもない。
彼らのようなゴロツキにとって、生きの良い子どもというのは嬲るには丁度良い相手だ。
なんたって一方的に暴力を振るえるのだから。
「っ!」
立ち塞がる2人の盗賊に、レイジは一瞬躊躇いを見せた。
セシルの元に行くには戦わなくてはならない。しかし、レイジには人間と真剣にやりあった経験が無かった。
魔獣の命を奪うことはできても、同じ人間ともなれば当然躊躇いが生まれる。
たとえ、どんなに訓練をしていても――
――時と場合によって、人間と殺し合うこともあるだろう。
レイジの脳裏に、声が浮かび上がった。
――望もうが望まなかろうが、いつか、必ず。
たかが一村人に告げるような言葉ではなかった。
しかし、レイジが口を挟むこともできないほどに、彼の目には身震いするほどの真剣さが滲んでいた。
――いいか、レイジ。それは突然にやってくる。お前のことなんか待っちゃくれない。けれど、もしも、避けられないのなら……
「躊躇うなッ!!」
レイジは一瞬止めかけた足で、意識的に強く、地面を蹴った。
「んっ」
「なあ!?」
鋭く踏み込み、盗賊二人の間に割って入ると同時に、身体を大きく捻る。
そして、勢いのまま魔物と戦うために使っていた鉄製の剣で敵を斬り付けた。
「ギャアっ!?」
「いでぇあ!?」
情けない悲鳴を上げ、盗賊が倒れる。
片方は腕を、もう片方は肩を、思い切り抉られ、傷口から鮮血を吐き出していた。
その様を一瞬視界に収めて表情を歪めつつも、レイジはセシルに向かって走り続ける。
「なんだ、あのガキ……!?」
ハーストは驚いたようにそう吐き捨てる。
ただの子どもの身のこなしではない。それは明らかだ。
しかし、それでもまだ、レイジは子どもだ。
「押さえつけろっ!!」
セシルとの距離はまだ離れている。
彼女の元に辿り着くより先にレイジは別の盗賊達に囲まれ、無理矢理足を止めさせられる。
今度は4人だ。
「ぐ……!」
「おい、意外とやりそうだ。気を抜くな」
先ほどに比べ人数は倍。そして油断もしていない。
盗賊達はそれぞれ拳とナイフを構えつつ、四方からにじり寄ってくる。
(焦るな。焦るな……!)
無理矢理ここを抜け出してセシルを奪取したとしても、今度はセシルを守りながら戦わなくてはならない。
彼女を人質として生かし、敵をレイジのみに絞っている今のうちに全員倒さなければ、結果的にセシルを危険に晒す羽目になる。
(そう、これも先生に習った。この状況を乗り切る――いや、敵を倒しきるには)
レイジは目を閉じ、剣を正眼に構える。
敵を前に目を閉じるのはある種の自殺行為だろう。
実際、正面、そして横から挟むように迫っていた盗賊達はレイジの行動に困惑し動きを鈍らせる。
唯一足を止めなかったのは彼の後ろにいた盗賊、ただ一人。
「ッ!!」
後方から迫り来る気配を感じ取り、レイジは振り向くと同時に剣で薙ぎ払った。
「ぎゃっ!?」
鋭い剣閃が、盗賊の手首から先を断ち切った。
「ぎ、い、だあぁあぁぁあああ!?」
手首から先を失い、間欠泉の如く鮮血を撒き散らし泣き叫ぶ男の姿に、他の3人が身を竦める。
当然、それは明確な隙だ。
「ここだ……回天刃!!」
レイジの剣が、彼の持つ魔力が剣に呼応し、僅かな光を放つ。
剣を縁取るように、そして、剣から伸びるように広がったそれは、先ほどの薙ぎ払いと同じ動きながらより広範囲を――残りの盗賊達を一片に切り払った。
盗賊達は為す術も無いまま、それぞれ汚い悲鳴を上げ地面に倒れる。
(上手くいった……)
半ば賭けのような立ち回りだったが、先生の教えを実践し、状況を乗り切ることができた。
だが、レイジの中に達成感はない。
まだ彼のやるべきことは果たせていないのだから。
「ねえ、ちゃん……!!」
彼の放った技はまだ初歩的なものだが、まだ未熟な彼には負担が大きい。
先ほどよりも強く疲労を感じながら、それでもレイジは姉を助けるべく一歩踏み出す。
「ち……!」
その姿に焦りを覚えたのはハーストだ。いや、最早恐怖と言っても過言ではない。
ただの子どもだと思っていた相手が、訓練を積んだわけではなくとも大人を同時に四人切り伏せたのだ。それもほんの一瞬で。
ついこの間の一斉検挙まで味噌っかす程度でしかなかったハーストが敵う相手ではないなどということは、彼自身もすぐに理解できた。
(けどよぉ……!)
彼の手には、切り札がある。
あまりに滑稽で、下品で、最低な行為だが――しかし、そんな品性を彼が持ち合わせている筈もなく――
「それ以上動くんじゃねぇ!!!」
既にレイジとハーストの距離は10メートル程に詰まっていた。
相手はハースト一人。先ほどまでに比べれば取るに足らない状況ではあるが、しかし、レイジは足を止めざるをえない。
「き、さまぁ……!!」
「この女が殺されたくねぇなら、剣を捨てなぁ!!」
そう――ハーストの取ったのはあまりに野蛮で、単純で、しかし、怖ろしいまでに強力な一手。
ハーストはセシルの首を掴みあげ、彼女の顔にナイフを突きつけながら、勝利を確信するように下品な笑みを浮かべた。
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