第99話 呪い
――いいか、ジル。このセカンドだけは極力使うんじゃねぇぞ。
俺に初めてアギトを渡した時、親父はそう忠告してきたことは今でもはっきり覚えている。
親父はこれまで俺にそういった、何かをやるなといった注意を飛ばしてきたことが殆ど無かった。
俺は転生者で、ガキの頃から分別があったから、いちいち口を酸っぱくされる必要が無かったというのが大きかったが。
親父は粗暴で、雑で、けれど優しい人だった。
彼が注意するのであればそれは間違いなく俺の為でしかない。
そして、このセカンドトリガーに封じられた物は確かに、できることなら使いたくない代物だった。
ファーストには灼熱の力が。
サードには凍結の力が。
それらと同じように、セカンドに込められた力は――猛毒。
かつて命だけでなく空気や魔力まで犯したという怪魔の毒袋、その中でも特に濃度の高い核を埋め込んでいる。
術者さえも蝕みかねない諸刃の剣。外気さえも腐らせる毒は、たとえ刀身に移ったものであっても無害とは言えたものではない。
『ほう、毒か』
俺の抜き放った刀身の歪な光から、虚神はあっさりと見破る。
おそらくこれが俺の切り札だと察してのことだろう。わざわざ、効かないと言わんばかりの余裕を見せてくるとは、本当に腹の立つ相手だ。
『毒など、生物を殺すための道具だろう。生死の概念を持たぬ我に通用すると本気で思ったのか』
「まさか」
そんなこと思っちゃいない。
毒は生者に死をもたらすための道具だ。当然こいつには一切効きはしないだろう。
しかし、今重要なのは毒そのものではなく――その在り方だ。
毒とは、弱者が強者を殺すための知恵である。
怒りや憎しみを募らせ、それでも想いなどでは敵は殺せない。
だから、毒という道具に手を出す。確実に、苦しみと死を与えるために。
それを人は――呪いと呼ぶ。
「う、ぐぅ……!!」
刃から這い上がってくる毒素が肌をピリピリと撫でる。
だが、これでいい。これがいい。
「セラ達を眠らせてくれたのは、好都合だったかもなぁ……!」
練り上げた魔力を毒に纏わせ、混ぜ合わせる。
毒を、殺意を拒絶する暖かな光などではなく、その逆――あらゆる感情を呑み込み、染める闇の魔力だ。
エリックも闇魔法を使っていたが、おそらくその性質はまったく異なる。
俺の闇は彼のように精錬された上品さはない。俺はこの力を心の底から嫌悪している。持ち合わせなければどれほど良かったかと思わずにはいられない。
しかし、これは確かに存在している。
俺の中に。いや――この魔力こそ、本当の俺の姿だ。
「う、ぐ、アァああッ!?」
吐き出しているのか、それとも飲み込まれているのか――感覚がグチャグチャになる。
毒という呪い、そして闇魔法という殺意。
それらを全て、俺という器に収める。
『貴様……!?』
「ようやく、ニヤケ面が収まったな……!」
虚神は俺の身体を欲しがっている。
おそらくそれほどに、俺の身体はコイツに合っているのだろう。
虚ろなる存在――自分をそう定義するのは癪だが、そもそも一度別世界で死に、そしてこの世界に転生してすぐに殺意と絶望、自身の死の運命を植え付けられ、それを腹の底にしまい笑顔を顔に張り付けて生きている。
そんな俺が、虚ろでない筈がない。何より虚しく、滑稽な、歪んだ存在でない筈がない。
だからこそ、届く。
奴に近いからこそ、毒と闇を合わせた、神を殺すための呪いが。
『人間が……我を殺すために堕ちるか』
「堕ちる? じゃあお前は、俺達よりよっぽど下にいるってことだな」
抜身のアギトを構えつつ、俺は挑発するような笑みを浮かべる。
美しかった刀身は漆黒に染まり、そして柄からはアギトの悲鳴のような疼きが伝わってくる。
強く地面を蹴った。全身を蝕む呪いで体は重いのに、しかし、軽くもある。
虚神への距離が一瞬にしてゼロになる。
『ぐぅ……!?』
「散れ……ッ!!」
黒く禍々しいオーラを纏ったアギトを、旋回するように大きく振り抜く。
質量を残す黒い斬撃は、容赦なく虚神――人頭馬の生やす人間の首を断ち切った。
『愚かな。いくら斬ったとて無駄――ぐぅ!?』
「新しいのを生やすなら、好きに生やしやがれ」
地面に落ちた、顔を一つ踏み潰しつつ、俺は吐き捨てる。
今までは何の痛みもなくそれをできただろう。しかし、ここからは違う。
効いている。俺の剣が伝える呪いは確実にこいつを蝕んでいく。
「何度でも甦れ。幾らでも強くなれ。その度に俺がお前に痛みを与えてやる。生も死も無いお前に、死ねた方が余程マシだと思える苦しみを……!」
感情が、殺意に支配されていく。
他のものが消えていく。
けれど、心地が良い。俺は今、神に刃を届かせた。
俺の中に渦巻くこの想念は、神に……魔神にもきっと届く。
この刃を振るいさえすれば。
『グ、ガァ……!? き、サマぁ……!!』
「お前はその試金石だ。俺の踏み台になって消えろ……!」
全身を禍々しい闇が包み込むのを感じながら、俺は振り上げたアギトを痛みに呻くソレに容赦なく振り下ろした。
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