第100話 頑張って生きる

 もしもこの場に目を覚ましている者がいれば、彼の姿を見て言葉を失ったことだろう。


 刀を持つ右腕は漆黒に染まり、そしてその漆黒は蛇のように全身に絡みついている。

 その漆黒は目まで多い、しかし鮮血のような紅が瞳を妖しく光っている。


 もしも彼が鏡を見れば、かつて対峙した魔人——サルヴァを連想しただろう。

 今のジルは、そのサルヴァが魔人から魔物へと変貌した際の過渡期を思わせる姿へと変貌していた。


「う、ぐぅ……!!」


 自分の内側から湧き上がる熱に焼かれるような痛みに、ジルは押さえきれない呻き声を漏らす。

 今まで味わってきたものと全く異なる痛みは、まるで彼の身体を作り変えているかのように苦痛と、力を与える。


「砕、けろッ!!」


 大振りで、力任せに叩きつけられた刃は、人頭馬の生やした首を真っ二つに砕く。

 人間の頭が悲痛に歪み、それでもジルはその手を止めない。


 彼は人殺しを当然だとは思っていない。

 それは彼自身というより、彼の前世――争いの少ない世界で培われてきた常識によるものだ。

 たとえ前世と、この世界の常識が全く異なることだと理解していても、どうしても抵抗は生まれる。

 そして、たとえもう死体となっていたとしても、それを更にいたぶるような行為はとても許せるものではない。


 少なくとも、先ほどまでの彼にとってはそうだった。

 たとえ割り切っていても、剣先が僅かにブレてしまっていた。


 しかし今は違う。

 前世で培った常識も、迷いも、葛藤も、依然としてジルの中に渦巻いている。

 しかし、それらは彼の剣を鈍らせるには至らない。鈍らせるほどの力を持ってはいない。


 むしろ、目の前の敵によって、それらを破り、踏みにじらされているということへの怒りが、彼に力を与えていた。


『ぐぅ……!?』


 虚神の口から苦悶が漏れる。

 死という理の外にいる筈の神が、今、ジルの殺意によって徐々に追い詰められていた。


 それの知らない“死”に向かって。


『調子に、乗るな……!!』


 人頭馬が激しく全身を回転させる。

 予備動作が一切無い常識外れの行動にジルは弾き飛ばされる――が、ダメージはない。

 物理法則さえ無視した予兆の無い攻撃だったにもかかわらず、彼は刀を盾に攻撃をいなしていたのだ。


(癪に障る……!)


 本来、ジル=ハーストは虚神の器となる存在だった。

 一度死に、蘇った。それ自体が奇跡ではあるが、それでも蘇生直後は精神と肉体の結びつきが緩み、虚神が身体を奪い取るには絶好の状態となる。

 生物を形作る、生死からはみ出した虚ろなる存在として――虚神に食われるための、おあつらえ向きな供物として。


 しかし、ジル=ハーストはその状態でありながらなおも抵抗している。

 常人を遥かに超えた活力と、常軌を逸した殺意を纏い、刃を振るってくる。


(有り得ないことだ。あの男は、我に復讐の機会を与えんと運命が用意した供物ではないのか!?)


 吹っ飛ばされ、それでも易々と受け身をとったジルは、黒い眼と紅い瞳を光らせながら次の攻撃の為に呼吸を整える。

 その姿に、虚神は恐怖せずにはいられなかった。


『思い通りになどさせるか……!』


 巨神はそう呻き、自らの身体を変容させる。

 馬の姿から、人の姿へ、今自分が収まっている依り代を作り変える。


 二腕二脚の、体長5メートルはある巨人のような姿。

 身体からは人間のデスマスクが幾つも浮き出たその姿はあまりに異様だ。


「思い通り……お前こそ、人間をなんだと何だと思っている」

『我は神だ。人は神に従うために創られた存在だ。この者たちも本望だろう』

「何に仕えるか、何に身を捧げるか……それは彼らが決めることだ。お前なんかに勝手に歪められていいものじゃない」

『それを決めるのは我だ』


 虚神の右腕に、細く長い棒が現れ、握られる。

 何物をも受け付けず、全てを拒絶する純白のその棒は、虚神が軽々と振るっただけで周囲の木々を根こそぎ薙ぎ倒す。


 重ねればそのまま繋がりそうなまでに美しい断面を見て、ジルは僅かに顔を顰める。

 剣士であれば状況を忘れて見惚れてしまいそうな技だ。しかし、彼の中にその様な感情は一切無い。


『安心しろ。殺すのは魂だけだ。体は我が有効に使ってやろう』

「そうかよ……ッ!」


 虚神が振るった棒を受け止めようと刀を構える。

 が、棒は刀を、まるで無いもののようにすり抜けた。


 ジルは考えるより先に自ら体勢を崩し、姿勢を下げることで、それを寸でのところで回避した。


(危ない……妙な武器だ。触れるとなにかマズい気がする……)


 身体を殺意に支配されつつも、ジルは努めて冷静に思考を回す。

 虚神の動きは緩慢だ。巨体故に、自分より小さいジルを相手にするには動きも制限されてしまう。


 脅威はあるが、十分に対処できる。

 ジルはそう判断し、地面を蹴り、たった一踏みで至近距離――刀の間合いまで詰める。


「ぜあっ!」


 巨大な敵を相手にする時のセオリー。

 まずは手近な足を攻撃し、機動力を奪うと同時に体勢を崩し、自由を奪うため、ジルは容赦なく黒く染まったアギトを振るう。

 が、刃はするりと虚神の足を通過する。まるで幻影であるかのように、手応えは一切ない。


『無駄だッ!』


 真上から迫る気配に、ジルは後方へと跳び、棒による攻撃を躱す。


(妙だな……)


 ジルは極めて冷静に、今目の前で起きている現実を見て、疑問を浮かべる。

 そして、組み立てる。


 目の前の神を殺すという目標を果たすために、今自分がどこにいるか。

 そして、ここからどうすれば目標へ刃を届かせることができるかを。

 

 ただ冷静に考える。

 殺意を研ぎ澄ませながら。

 

「……そうか。分かったぞ。もう、アイツは……!」


 そして、答えに辿り着いたジルはその顔に確かな笑みを浮かべた。

 既に右腕から伸びた黒は顔の半分以上までを覆い――侵食している。


 それでも彼は止まらない。

 喜んで身を差し出す覚悟だ。


(セラは怒るかもしれないけど)


 そんな思考が脳裏に過り、彼は驚かずにいられなかった。

 殺意に身を委ねて尚、セラの存在は変わらず自分の中にあるという事実に。


 そして、つい苦笑する。


(俺にとって、あいつはこんなにも大きくなってたんだな。それこそ、自分の生き方を曲げてもいいと思えるほどに)


 彼にとって、既にセラは『ヴァリアブレイド』のヒロイン、セレイン=バルティモアではない。

 自分を慕い、守り、愛してくれる、ただ一人の女性になっていた。


 今の彼には、自身が彼女に向ける感情が、彼女が自身に向けるのと同等のものかは分からないが。


(それでも、俺は、選んだんだ。選ばされたんじゃない)


 復讐を果たす。その相手が神から力を授かった人間だろうが。神自身だろうが。

 その道を阻む、別の存在だろうが。


 彼はその全てを切り伏せて進むと決めた。


「約束は違えない。頑張って生きるよ。何千何万と、ゲームの中で碌な意義も無く死んだことにされたジル=ハーストの分まで」


 刃を構え、深く息を吐く。

 全身を取り巻く黒い模様は、彼の意志に応えるように体から浮き出て、漆黒のオーラへと変わる。


「虚神サマよ。もう答えは見えた。悪いがアンタの命も、野望も、俺が全て奪い取らせてもらう」

 

 ジルはそう宣言し、再度虚神に向かい走り出した。



=====

記念すべき100話目に辿り着きました。

記念すべき100話目にして、闇に飲まれつつある主人公・・・


本章、そしてこの物語的にもあと少しで区切りがつく予定です。

もう暫くお付き合いいただけますと幸いです。


どうぞよろしくお願いいたします。


としぞう

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