第96話 生還

 いつの間にか閉じていた目を開く。

 思っていたよりも視界は暗く……そして、すぐに気が付いたのは、唇が妙に熱いということだった。


「ん――」


 くぐもった声が自分の中から聞こえた気がした。

 か弱く、しかししっかりと俺を抱きしめる手の感触。

 きめ細かな肌、長いまつ毛。


 知っていても尚呼吸を忘れてしまうほどの美少女、セレイン=バルティモアが、俺を抱きしめキスしてきている。

 その状況を把握するのに、俺は暫しの時間を要することになった。


 が、その前に俺が僅かに動いたことを察し、彼女のまつ毛がピクリと跳ね、ゆっくりと目蓋を開く。

 がっちりと、目と目がかち合う。


「……」

「……」


 互いに言葉を発せず、ただただ驚きに目を見開いて見つめ合っていた。

 というか、言葉を発しようにも互いの口は互いの口で塞がっている。


 セラは急激に顔を赤くし、鼻息も僅かに乱し、それでもゆっくり、名残惜しむ様に唇を放した。


「セ――」

「ジル……!」


 先ほどまでは縋るように、しかし今度は強く絞め殺すかのような勢いで、セラは俺を抱きしめた。


「ああ、ジル、ジルっ! 良かった……死んでしまうかと、私、私……」

「お、落ち着けよ、セラ」

「落ち着いてなんていられませんっ! だって、ついさっきまで呼吸も、心臓も止まっていて……もう、駄目かと……駄目、だってぇ……」


 セラはボロボロと涙を流す。よく見れば既に目蓋は僅かに腫れていて、もうずっと泣きっぱなしだったと分かった。

 それほどまでに心配をかけてしまっていたんだな、俺は。


「ばか、ジルのばか! どうしていつもボロボロになるんですかっ! 強いのに! 私の護衛なのに! どうして、どうして……」

「……ああ、仰る通りだ。こんなんじゃ、“史上最強の剣士”なんて程遠いな」

「冗談を言っているんじゃないんですよっ!?」


 怒られた。至極真っ当に真っ直ぐに怒られた。


「お願いですから、もっと自分を大事にしてください。もしも貴方が私を大事に思ってくれているのなら……私が大事に思う貴方を、どうか労わってあげてください」

「セラ……」

「貴方が苦しむ姿を見ると、自分のことのように……ううん、自分のこと以上に痛いんです。もしも貴方が死んでしまったら、私は、きっと……」


 生きていけない。

 そう、切実な思いを吐露するセラに、俺は咄嗟に何か言い返すことはできなかった。

 けれど、黙って誤魔化すことはしたくなくて、


「善処する。努力する。こんな言葉で伝わるか分からないけれど……でも、頑張って生きるよ」


 もう何度目かになるかもしれない。

 そんな言葉を、今度は強い決意を以って口にする。


 頑張って生きる。

 運命がどうとかじゃない。ゲームで描かれた結末に縋るのではない。

 俺は、俺として、ジル=ハーストとして、白紙の未来を生きる。

 ただ、がむしゃらに。ひたむきに。全力で。


「信じて、いいですか?」

「お前が俺を信じてくれるなら」

「そんなの……ズルいです。私がジルのこと、信じないわけがないって決まってるのに」


 照れ隠しのように俺の胸に顔を埋めながら、そういうセラがどうにもいじらしくて、俺は彼女を抱きしめる腕につい力を込める。

 セラの体温をより強く感じる。同時に、勇気も貰える。


「セラ、信じてくれ。これから、俺がどんな道を選んだとしても……それは俺の為であり、お前の為だ」

「ジル……」

「これからも、お前のことを困らせるかもしれないからな。先に言っとく」

「……もう、本当に反省してるんですか。困らせるなんて堂々と言われて……それで見限らないのは、私くらいですよ?」


 セラは呆れたように言いつつ、笑う。

 つられて微笑みつつも、しかし、いつまでもこう彼女の優しさに溺れているわけにもいかない。


「待たせたな、フレア」

「この……全くだ……」


 罪悪感を混ぜつつ投げた言葉に、人頭馬を足止めしてくれていたフレアが笑み混じりに返してくる。

 しかし、その姿は痛ましい。全身は血だらけで、立っているのがやっとと思えるほどだ。


 そして、相対する人頭馬はその首を12本に増やしていた。

 老若男女、様々な人間の首をぶら下げたその姿は見てるだけで吐き気がする。


「殺しすぎだ」

「加減が、きかなくてな……だが、どうやら時間経過でも増えるらしい。まったく、厄介極まりない……」

「ここからはバトンタッチだ。セラ、彼女を頼む」

「はいっ!」


 フレアの体力もガス欠寸前ってところだが、俺みたいに寿命を縮めてまで力を絞り出したわけでもないだろう。回復魔法はちゃんと効くはず。

 対し、死を待つだけの俺をセラはいったいどうやって治したのか……気になるが、それは目の前の化け物を倒してからだ。


 最早魔獣とは呼べない、独特の気配を放つ人頭馬に相対する。

 そんな俺の姿を見計らったように、木々の隙間から鞘に収まったアギトが飛んできた。


(サンキュー、エリック)


 頼んでいた俺とフレアの武器の回収……しっかりやり遂げてくれたようだ。

 彼はこのまま木の陰で気配を消し、虎視眈々と人頭馬の隙を狙いつつサポートしてくれるだろう。

 あいつは暗殺者気質だ。影に潜んでこそ、その真価が発揮される。


 俺はアギトを空中でキャッチし、鞘を腰元へ修め、構える。

 フレアが抜刀状態で放つ抜刀術を得意とするならば、俺は納刀状態から放つ納刀術の使い手。彼女より予備動作が必要になる分、威力は折り紙付きだ。

 そして、不死の存在が相手だろうが、切り札はある。


 早速セラに心労を掛けることになるだろうけれど……まぁ、断ったしな。


 なんて、頭の中で言い訳を浮かべつつ、構える俺に対し、人頭馬は12の首を揺らしながら――口を開く。


『ふむ、奇妙な感覚だ。まさか生きた状態でこの領域に足を踏み入れるとはな』


 気持ちの悪い鳴き声じゃない。

 はっきりとした声が、確かに耳に届いた。

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