第95話 想いと想い
フレアが人頭馬の足止めに動く中、セレインは未だに自身がどうすべきか分からずにいた。
ジルを助ける――やりたいことは明確なのに、方法が分からない。
確実に進行する出血と、体力、そして生命力の消耗。
それらを全て解決できるほど、回復魔法は万能ではない。
抉れた肉や失った血を回復するには対象者の体力を消耗する。体力の回復は原始的な手段になるが、栄養を補給し休む以上のものはない。
生命力に関しては、そもそもアプローチの手段があるのかさえセレインには分からなった。
生命力、即ち命を回復することは、寿命を回復させること。不老不死という生命の命題であり、且つ禁忌でもある概念に足を踏み入れるということだ。
当然、現代のあらゆる魔法理論の中にも、その解決策は刻まれてはいない。
今のジルがどれくらいの生命力を失っているのか、セレインには分からない。
しかし、最悪ばかりが頭を過る。なんとかしなければ、このままではジルは死ぬ。そんな予感が容赦なく心臓を指す。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
呼吸が浅く、荒くなる。頭が回らない。
視界が狭まり、ジルだけしか見えなくなる。
「ジル……!」
もう何度目か、セレインは彼の名前を呼ぶ。
最早ジルは何も言葉を返さない。呻きか呼吸か分からない微弱な息を漏らしつつ、苦し気な表情を浮かべるだけだ。
「なにか、なにかできることがある筈……そうじゃなきゃ、私は、私は……!」
何の為に生まれてきたのか。
そう思ってしまうほどに、セレインにはジルしか無い。
王族として生まれたこと。魔神の眷属から狙われていること。
そして、ジルだけが知る、この世界のヒロインとしての運命。
間違いなく、彼女は世界の中心にいる。
才能に恵まれ、容姿に恵まれ、運命に愛されている。
誰からも敬愛される存在になれる。
しかし、そんなことを彼女は知らない。
仮に知っていたとしても、関係ない。
ジルだけなのだ。
彼女の孤独を癒し、認め、守ってくれたのは。
正面から向き合い、思いをぶつけ、同じ道を歩んでくれるのは。
セレイン=バルティモアにはジル=ハーストがいなければならない。
たとえそれが、世界が望む運命からかけ離れたものであったとしても。
「……っ」
それは最早、衝動でしかなかった。
理などなく、ただ、そうすべきだとセレインの身体が動いた。
まるで、何かに導かれるように。
ジルの身を起こし、土気色の頬を撫で、
苦しみに歪む唇に、自分のそれを重ねた。
(愛しています。貴方となら、どこへだって)
それは魔法などではない。
ただ想い、願う。無力で、しかし、全ての根源に存在するもの。
セレイン=バルティモアは、いや、セラはただ手を伸ばす。
たとえその先にある奇跡を願い、手を伸ばす。
それを掴み取るためなら、何を犠牲にしてもいいとさえ思いながら。
◇
◆
沈む。沈む。沈む。
深い海の底。光の当たらない、暗い世界にゆっくりと、確実に沈んでいく。
もういつからそうしているかは分からない。
死に体を無理やり動かした。レオンとの戦いより遥かに消耗した状態で、先生の制止も無い状況で、限界の先へと振り切ってしまった。
その結果がこれだ。
どうにも世界というのは融通が効かず、俺を甘やかしてはくれないらしい。
道を外れれば、ただ落ちるだけ。
「なんだったんだろうな。ジル=ハーストとは」
そんな愚痴にも近い言葉が漏れる。
王女の護衛、最強の剣士。前情報から得られる期待値に対して、なんだ、この体たらくは。
確かに俺は至高の領域へと足を踏み入れかけたのかもしれない。
フレアという剣士との戦いは、それほどに価値のあるものだった。
もしも互いに備え、万全を期してなお真剣勝負ができていたら……敗北の可能性が高くとも、そう思わずにはいられない。
しかし、だからなんだというのだ。
広い世界の中で、俺達の死合などちっぽけなものだ。
とある公益都市の近くに広がるとある森の中でくたばるなんて、あまりにしょうもない。しょうもなさすぎる。
一つ、ある予想が頭に浮かび、俺は思わず失笑する。
それは俺が追いかけていたジル=ハーストの末路。
彼は、ここで死を迎えたのかもしれない。このまま、今の俺と同じように。
第三王女の護衛。唯一彼女が指名した護衛がジル=ハーストだ。
あの才人が指名した護衛であるなら、さぞ素晴らしい人物なのだろう。立派な存在なのだろう。
誰もが噂し、想像する。既に死に、しかし彼女がいつまでも思うほどの人物を。
期待はどんどんと膨れ上がり、やがて“世界最強”なんて尾ひれがつくようになる。
それくらいつかなきゃとても釣り合わないだろう……世界を救うほどの才覚を持つ第三王女の護衛たるには。
とんだ二階級特進だ。何にも成れぬまま、死んだ後で身に合わない評価を受けることになるなんて。
あくまで予想だが……死んでしまえばそれこそ後の祭りだろう。何が起きても、どう扱われても死人に証言を語る機会は用意されない。
セレインの才能は既に目覚めている。きっかけであるジルの役目はもう済んだ。
彼女には真なる相棒である主人公が用意されている。何も憂う必要などない。
沈んでいく。深い闇の底に沈んでいく。
俺が俺でなくなる。何物でもない存在へと還っていく。
まぁ、案外最後というのはあっさりしたものだ。
なぁに、俺は復讐を果たせなかったが、代わりにセレインと主人公が果たしてくれる。
どちらにしろ死ぬのだから、それで……………………それで、本当にいいのか。
そんな簡単に諦めて、ゲームに描かれた未来を思い退場して、本当にそれで俺は満足なのか。
いつか誰かが成し遂げてくれるかもしれない。しかし、そんなもので納得ができるか。
納得ができるのなら、わざわざ死の結末へと近づくような危険を冒してまで、こんなところに来たものか。
ずっと親父と一緒に過ごせばよかった。鍛え上げた技があれば冒険者としても生きられたかもしれない。
けれど、俺はそうはしなかった。復讐を諦めることなんか毛ほども思わなかった。
まるで、心にそう刻み込まれたみたいに。
もしかしたらそれもジル=ハーストを殺すために世界が定めた布石だったのかもしれない。
けれど、この想いは俺の中で今もなお燃え尽きずにいる。
俺は、必ず両親の仇を討つ。
そのためには、こんなところで死ぬわけにはいかない。
俺は暗闇の中で手を伸ばした。
腕が伸びたり、手から糸が出たり、そんなことに期待したわけじゃない。
けれど……もしも、可能性があるなら。
俺が生き返る可能性があるとすれば、それは奇跡以外無いだろう。
俺は知っている。
俺の側には、奇跡を起こす、世界に愛された存在がいることを。
そして彼女は、誰よりも才能があり、誰よりも頑固で、誰よりも優しくて……絶対に俺を見捨てようとはしない。
だから、俺も諦めない。
この手を伸ばす。あいつを信じて。
「セラ……! お前なら、必ず……!」
最後は他力本願だが、なんだったら自分でなんとかするよりよっぽど希望が持てる。
そんな情けない思考と共に、場に不釣り合いな自嘲を浮かべたその時——
指先が暖かな何かに触れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます