第92話 ゲームではない現実 

「もっと速く走れないのかよ……!?」

「馬鹿言え。遅いのは貴様の方だ」


 ふぉっふぉっふぉっ、と思わせぶりな笑い声を上げる人頭馬が放ってくる火の玉から、俺とフレアは互いに肩を組み、身体を支え合いながら、二人三脚のように逃げる。

 

 人頭馬自体の脅威はそこそこだ。

 奴の周囲にはぐるぐると複数の火の玉が飛んでいて、それをノーモーションで投げてくるのだが、速度はあまり速くなく十分躱せる。いつものコンディションであれば、だが。


 もしもこれがヴァリアブレイドの世界で、それぞれにレベルというものが振り分けられていれば、フレアのレベルは100、俺はちょっと劣る80か90、そして人頭馬はせいぜい50くらいだろう。それくらいに力の差があると感じられる。

 しかし、今の消耗した俺達じゃ、そんな力の差は埋まるどころか十分乗り越えられてしまっているだろう。

 あの火の玉に足元を掬われれば、簡単に燃やし尽くされてしまう。当然コンティニューなどない、ジエンドさんがこんにちはだ。


「あの馬、遊んでいるな」

「ああ、普段オオカミとかに追い回される側だから新鮮でいいんだろ」

「ニンゲンとニンジンは響きも似ているしな」

「ぷっ」

「ふははっ」

 ボンッ、と足元に火がつき、思わず体勢を崩しかける。


「笑っている場合じゃねぇよ、フレア」

「笑っている場合じゃないぞ、ジル」


 先に笑ったのは俺かもしれないが、ふざけてきたのはフレアの方だ。

 視線でバチバチと責任を押し付け合う俺達だが、当然こんなこと、まったく建設的ではないとは分かっている。


「さぁ、このままでは埒が明かん。ほどなく我々は追い詰められ、燃やされるだろう」

「同感だ。どうする。自棄になって突っ込んでみるか」

「ふっ、それこそ無駄に命を棄てる行為に他ならないな。だが、悪くない」

「はぁ?」

「私が突っ込んで気を引く。その隙にジル、お前は逃げろ」


 思わぬ提案に、俺はつい足を止めそうになる。

 この女の言っていることはつまり、自分が犠牲になるからお前だけでも助かれってやつだ。


「何が目的だ」

「目的? そんなものは無いよ。ただ、私は2度死ぬ筈だった」

「2度?」

「1度目は先の勝負。負けた私は命を奪われてしかるべきだった。そして2度目。あの人頭馬の奇襲に、まさかジル、お前が私を抱き込んで避けるとは思っていなかった」

「俺がお前を見捨てて、お前だけ燃やされている筈だったって?」

「そう、私は直感したんだがな」


 フレアは自嘲するように笑う。

 2度失いかけた命を、3度放り投げたっていいってことかよ。

 ああ、くそ。こういうのが一番ムカつく。


「だからジル、敗者である私のことなどお前が気を遣う必要は無い」

「うるせぇ馬鹿女」

「ば……!?」

「敗者だろうがなんだろうが……2度助かったなら3度目も助かれ。折角拾った命だろうが」


 ここではいそうですかとこいつを見捨てれば……いや、見捨てられるわけがない。


「俺達は共通の敵を手に入れた。暫定的だろうが、仲間なんだろ」


 足元が熱くなったのを感じ、覚束ない足取りのフレアを抱きかかえ、前方に飛び込んだ。

 なんとか火の玉は回避できたが、完全に足は止まってしまった。


「くそっ……! フレア、立て!」

「ぐ……」


 再び地面に這いつくばった俺達を見て、人頭馬がケタケタと笑う。

 既に飛ばした分の火の玉は補充されていた。後は俺達が絶望に震える姿を堪能してから撃ち込むのみってか。


「しょうがない……寿命は縮めるかもしれないが、ここで死ぬよか何倍もマシか……」

「ジル?」


 俺は全身の、なけなし程度の体力を無理やり魔力に変換させる。

 中身のない鍋を熱するようなものだ。全身に激痛が走り、良く無い感じの熱が満ちてくるが、それでも止めない。


 限界を超えた先の、身体強化。

 かつて、レオンとの模擬戦で使おうとして止められたあの失敗作を出すしかない。


(まぁ、それでも死ぬかもしれないが……)


 あの時はリスタ先生に止められて、結局その先へ踏み込むことはなかった。そして、その状態からも復帰にはきっつい薬を飲まされて……ああ、思い出したくもない。

 けれど、今この場に先生はいない。ストップをかけ、助けてくれるあの人はきっと学院で、俺達がクエストを片付け報告してくるのを待ってくれている。


 これは不義理になるかもしれない。褒めて貰える筈もない。

 けれど、止まるわけにはいかない。


「ジル……貴様、まさか生命力を……!?」

「黙って見てな……俺があの馬をぶっ殺す様をよぉ……!」


 溜まりに溜まった灼熱のような熱を放つ吐息を吐き出しながら、俺は地面を蹴った。


 風が体を打ち付けて来て、痛い。

 吐き出した吐息が舌や顔面を焼くような感覚だ。

 身体がバラバラになりそうで、今この瞬間にも繋がっているか疑心暗鬼になる。


「はああああああっ!!」


 放たれた火の玉が俺に追いつくことはない。

 人面が俺の動きを追うよりも先に、俺は真っ正面からそのニヤケ面に飛び蹴りを喰らわした。


「ふぉおおオオオオオ!」


 憎たらしい人を模したものから、魔獣らしい本能的な悲鳴に変えながら、人面馬は吹っ飛んで行く。木々をなぎ倒しながら、彼方へ。


「ジル……!」


 フレアが身を引きずりながら、こちらに近づいてくる。

 出会ったばかりで、言えた義理ではないかもしれないが……らしくもない、その顔に心配を張り付けていた。


「褒められたもんじゃねぇ……ただの、自爆技だ」

「分かっている……! この、馬鹿者め……!」


 全身が爆発しそうなくらいに熱く、痛い。

 自分の呼吸音や心臓の鼓動がデカすぎて、おかしくなりそうだ。


 でも、脅威は去った。人のふりをしたあの馬はもう……


「くそ……!」


 不意にフレアが舌打ちをする。


「な……」


 彼女の視線の方向、俺が人面馬を蹴っ飛ばした方に目を向け、俺も言葉を失った。


「ふぉ、ふぉ、ふぃ、ふぃ」


 奴はまだ生きていた。

 それどころか、頭に増えている。

 まるで漫画とかに出てくるヒドラみたいに、首ごと、二つに。


「フレア……逃げろ……!」

「馬鹿が……お前を置いて逃げられるものか!」


 さっきとは言ってることがまるで違うフレアは、満身創痍の身体を、まるで盾にするように俺の前に出す。

 火の玉が倍に増える。単純だが明快なパワーアップ……当然、今の俺達にアレを止める術はもう――


「影刃!」


 突然、この場にいない筈の声が響き渡った。


「ふぉ、ふぃっ」


 突然地面から這い出た黒い、影のような刃が人面馬に飛び、人面馬は大きく首を振りながらその迎撃に火の玉を使うことを余儀なくされた。

 

「この、声」


 俺は今の声を知っている。

 なんたって、もう何が月も一緒に過ごしてきて、研鑽を重ね合ってきた仲間の声だ。


「随分と暴れたね。そのおかげで、僕もここが分かったんだけどさ」

「エリック……!」

「ジル、ここは僕に任せて。そこの見慣れない人、ジルが余計なことをしないように見張っててよ」


 共に学院を出て、途中で別れたクラスゼロの級友、エリックはそう頼もしく言うと、人面馬の方へと一歩踏み出した。

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