第91話 満身創痍
頭が痛い。呼吸も苦しい。
身体は熱いのに、冷たい。
随分と無理して身体を動かしたし、フレアからの最後の一撃は、致命傷は避けつつもモロに喰らってしまった。
自分でも驚くくらいに満身創痍だが、それはあくまで肉体的な苦痛であり、精神的にはあまりそうでもない。
「俺の勝ち、か」
自分で言ったことだが、その実感はあまりない。
ダメージで言えば俺の方が負っているだろう。ああ、血が止まらない。
最後の駆け引き……完全に貰ったと思ったのに、手痛くやり返されてしまった。
旋刃……いや、風渦・旋刃か。まさかあんな不安定な状態であそこまで完璧に放ってくるとは思いもしなかった。
風渦・旋刃は自身を独楽のように回転させて放つ技で、当然大事になってくるのは軸足だ……と思っていた。
しかし、フレアは足が地面に触れない空中で、俺に投げ飛ばされた勢いを使い、身体を捻って無理やり回転を生み出すことで完璧に技を放ってみせた。
攻撃、防御、回避……全てを同時にこなす、正に究極のファインプレーだ。それを俺が王手をかけた瞬間に放ってみせるとは。
正直、痺れた。もしもこれが何かのスポーツで、俺が観客席にいたならスタンディングオベーションで称賛の指笛でも鳴らしただろう。
けれど、これはルールが定められた試合などではない。
賭けているのは互いの命と、剣士としての誇りだ。
観客も居なければ、名誉もない。泥臭く、惨めで、動物的な殺し合いだ。
刃を向けられた俺にはそれを前に感動している猶予なんか一切無かった。
選択にはコンマ1秒も掛けられない。
既に俺は詰めの為の準備をしていて、だから、最後の決断を取れたのはその準備が功を奏しただけ……ただの運だ。
フレアの剣術は俺と同じ時見流。本来目に見えない飛ぶ斬撃も、放った時の動きからほぼ完全に見えた。
防げばその分向こうに時間を与えることになる――だから、防がず、あえて受けた。肩をざっくりと切られ、当然激痛も走ったが、可動域に制限はつかない。
バリケードのように倒れてきた木々も、問題無く躱す。元々、フレアを追い詰めるために身体強化で足は溜めていた。
足を緩めなければ、完全に道を防がれる前に突破できるのは明白だったからな。
が……調子が良かったのはここまでだ。
こっちが景気よく突っ込んだおかげでその分斬撃による痛みは想像よりも深くまで入り込んだ。
木々を避けるのに気を遣わされた分、足も消耗させられた。
結局、俺にできたのは、意表を突かれたと顔に出ていたフレアに、思考させる時間を与えないよう最短最速で突っ込むことくらい。
もみくちゃになって、互いに駄々っ子のように技とはとても呼べない殴打を打ち合って……結局最後に俺がアイツを抑えられたのは、俺が突っ込んだ側だったというアドバンテージがあったからだ。
でなければ――
「結果が全てだ」
「……あ?」
「私が負けた。ふふふ、筆舌に尽くしがたい負けだ。私達が行っていたのは紛れもなく命のやり取り。どちらかがどちらかの命を奪わなければ決して止まる筈の無かった一生に一度の勝負だったのだ」
フレアは首に手をかけられたまま、放り出していた自身の手を、俺の頬に添える。
もう既に互いに闘志は無い。俺の手も形だけのものだが……しかし、この女にはまるで見えていないかのようだ。
「仮に私と貴様が逆の立場だったとしても、私は貴様を絞め殺したりはしなかっただろう。それだけの勝負が果たして人生の中で何度できるか……少なくとも私にとっては初めてだったよ」
「何度できるかって……俺はもう、二度とごめんだ。こんな……こんな無様な……」
もしも観客がいたら、きっと俺達が感じているほどの感動は得られていないだろう。
俺達は互いの技を、力を出し尽くし、がむしゃらにぶつけ合った。まるで子供の喧嘩だ。
俺はもはや自分の身体を支えることさえできず、フレアの上に倒れてしまう。
そんな俺を、フレアは文句ひとつ言わず抱き締めてきた。
「ふふっ、男をこの手に抱くのは初めてだな」
「変な言い方しやがって……」
「だか、形だけだ。面白いくらいに身体に力が入らん。最後の方は高揚感に踊らされていただけだったかもしれないな」
本当に楽しそうなやつだ。
事故的に出会い、互いの名も知らない内に殺気をぶつけ合い、こいつの口から聞いたこいつの情報はそれこそ名前くらいだ。
けれど今は、往年の友人のように、安らぎを感じさせる。
コイツの色々を知った気になっている自分がいる。
それも、ちょっとムカつくけれど。
「やれやれ。まさか、私を捨てた父にこんな形で感謝する日が来るとはな」
「アンタを捨てた……?」
「……! 立てっ、ジル!!」
「ッ!?」
気を抜いていたのだろう。
だからこそ、フレアの圧のある言葉に、身体が反射的に動かされた。
――ブオッ!!
先ほどまで俺達のいた場所が発火した。
咄嗟に、フレアを抱き転がって回避していなければ共に燃やされていた。
「まさか、私を助ける余裕があったとは……」
「余裕なんか無い。ただの偶然だ、次は無い」
「ああ、そうだな……なんとか、しなければ……」
迎撃しなければ……くそ、力が入らない……!
俺達は地面に転がりながら、森の木々の間を縫って出てきたそれを睨みつける。
『ふぉ、ふぉ、ふぉ』
余裕のある笑い声を漏らすそいつの身体は馬で、しかしその頭部はまるで死人の顔を引っぺがして張り付けたみたいな――
「人頭馬か……」
「知ってるのか、フレア」
「いや、今名付けた。人の顔をした馬だ。分かりやすいだろう?」
「テメェ……随分余裕があるな」
「余裕などないさ。剣も落とした。体力も底を尽きた。しかし、やるしかあるまい」
ああ、まったくその通りだ。
いつまでも芋虫みたいに地面にへばりついているわけにもいかない。
俺達は搾りかすのような体にそれでも鞭を打ち、無理やり立ち上がる。
「アレは私達の敵だ。いいな?」
「……ああ」
先ほどまでは敵同士だったが、状況も変わった。
人の頭をした馬……人頭馬。きっと、あの魔獣が本命だ。
今回の依頼について、解決できるかもしれないが……
立っているだけでも精一杯のこの状況は、正直、絶体絶命といってもいいかもしれない。
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