第90話 剣
——ああ、これが巡り合わせというものか。
私はそんなことを思い、恍惚に頬を震わせた。
生まれて初めての感情だった。
これまで、このような好意を誰かに向けたことはなかったように思う。
母は既に死に、父は私を置いて失踪。
家族の情愛というものに私は疎い。
そして、そんな私の周囲に集まった人間も上っ面と下卑た下心を隠そうともしない連中ばかり。
それらに相応の対応をしていれば、血染めの剣鬼などと恐ろしげな字面の通り名をつけられてしまった。
友は無い。
私に並び立つ猛者もいない。
私は孤独で、その心地よさに酔ったまま、死ぬまで1人で剣を振るい続けるのだろうと。
だが、それは間違いだった。
これまでの人生で培ってきた感覚がたった一瞬、一目で塗り替えられてしまった。
ジルと名乗った剣士によって。
「ふぅ……」
刀を鞘に納め、深く息を吐く。
あれは“時見流”の納刀術。
鞘に納めた状態から繰り出す技……やはり、私と同じ剣術を扱っている。
私は納刀術は苦手だが、見るにジルはその逆らしい。
おそらく師から厚い手解きを受けたのだろう。私は所詮基礎を齧っただけの我流だからな。
であれば、その師とはいったい誰か……ふふふ、世界とは広く、しかし狭いものだ。
「さぁ、来い。ジル……!」
「喰らえ……! 光閃ッ!!」
瞬きよりも遥かに速い、まさに光のような煌めき。
私の身体が思考よりも先に反応し、正眼に構えた剣を動かす。
――ギィンッ!!
確かに手に、剣同士がぶつかり合ったような感覚が走る。
しかし、私が撃ったのは魔力を帯びた斬撃。衝撃波でしかない。
本命は――
「上かっ!!」
「ッ!」
斬撃を飛ばし、しかしそれを囮に視界外の上空から強襲。
「いささか真っ直ぐすぎるなっ、ジル!」
「くっそ……追い付くかよ……!?」
ジルが地面を叩くように振るった剣を私は体を逸らし、最低限の動きで躱す。
さぁ、次は私の番……
「はぁっ!」
「っと」
間髪入れず、流れのままに振るわれた剣を、私は咄嗟に自身のそれで防ぐ。
そう、彼の剣は私と同じものだったんだ。それを忘れてはならない。
時見流は、その名の通り、時を見極める流派だ。
大げさではあるが、その本質は如何に無駄な時間を削るかにある。
最適、最速の剣を以って敵を屠る。その為に必要なのは、自身の無駄を極限まで削りとることだ。
剣を振るった後の隙、踏み込みや溜め……攻撃、準備、攻撃と続く一連の動きの中で、攻撃をしながら次の攻撃の準備を終わらせ、準備という独立した時間を失くしてしまう。
たとえ防がれても、躱されても、反撃の隙を与えない……場を、空間を、時間を支配する剣。
「く、ふ、ははっ!」
思わず笑みが零れる。敵にするとここまで厄介とはな。
ジルは私が弾いた勢いをそのまま次の攻撃へと転化させる。のんびりと見ている余裕はない。
「ふっ、はっ、おらぁっ!!」
「くっ……」
ジルは一切手を緩めない。緩めるはずもない。
攻守が入れ替われば、また攻勢に出れるチャンスがくるか分からないのだから。
「だが……それは私も同じだっ!」
攻撃は最大の防御。
つまり最高の防御とは、最強の攻撃だ!
私は少しずつジルの剣を弾く力を強め、少しずつ歪みを増やしていた。
私の刃を叩き込めるだけの隙間を生むために……今だ。
「「旋刃ッ!」」
旋刃は刃につむじ風のような魔力を纏わし放つ技。
時見流において基礎的な技ではあるが……
「まさか、合わせてくるとはな……!?」
互いに刃を押し付け合った、いわば鍔迫り合いの状態になる。
私としては予想外の展開だが、ジルは違う。
不意を打ったと思い技を出した私に対し、ジルはその手を全て読みきっていたのだからな。
当然、次の手も彼が先手を取る。
「ぐっ……!?」
ジルはほんの一瞬腕から力を抜き、わざと私に剣を押し出させる。
そして私が僅かばかり体勢を崩した隙に手首を掴み、
「おぉらぁああっ!!」
全身を回転させる勢いで私を投げ飛ばした。
凄まじい力だ。彼の筋肉量、そして投げるまでの溜めから想像できるものより遥かに強い。
この感じ……覚えがある。そう、ポシェ=モントールだ。彼女の使う身体強化術によく似ている。
さて、困った。私の身体はこのまま木に打ち付けられるだろう。その間にジルは納刀を済ませ、先の納刀術“光閃”を以って止めを刺しに来る腹づもりだろうか。
もちろん防ぐ……が、無事では済まないだろう。空中ではろくに受け身も取れないだろうし、刀は弾き飛ばされるかもしれない。その一撃を防いだところで詰みは必至だ。
木にそのままぶつけられるのは論外。姿勢を整え、木を蹴って反撃に出ても、おそらくジルのスピードには追い付けない。
「ならば……抜刀術、風渦・旋刃ッ!」
私は体を捻り、駒のように回転させながら技を放つ。
風渦・旋刃。先ほどの旋風の派生……いや、上位版というべきか。
自分を中心に、剣圧によって風の渦を起こす技で、周囲の敵を一気に切り刻むことができる。
今回の狙いはジルではなく、周囲の木々だ。
「チッ……!」
納刀したジルが忌々し気に舌打ちするのが見えた。
旋刃はジルの元まで届く――彼はその迎撃を強いられる。
さらに、私の切り倒した木々が壁となり、進路を塞ぐ。
そして私が飛ばされた先にある木も薙ぎ倒し、自らの進路も確保。
攻撃こそが最大の防御――いいや、攻撃も防御も、そして回避も全てを成し遂げる。私は欲張りなのだ。
「舐めるな……!」
ジルの声が聞こえた。その声は悔しさではない、どこか闘争心を感じさせるもので――
「なっ……!?」
血飛沫が舞った。次いで、崩れる筈だった木々の動きが不自然に――揺らぐ。
「まさか……!?」
「はああああああっ!!」
力。
そう、力だ。
斬撃の隙間から、そして崩れ落ちる木の壁から、それは真っ直ぐに飛び出してきて、そして私に衝突する。
「ぐっ……!?」
「ぬぅ……!」
私達は無様に転がった。私が切り開いた更地を、2人組み合って。
互いに掴み合い、殴り合い、頭突き合い、唾を掛け合い。
共に剣を投げ捨て、それでも求めるのは互いに一つ――
「俺の……勝ちだ」
「私の、負けだな」
私の上に覆いかぶさり、息を荒くし、それでも私を抑えつける右腕と、私の首に添えた左手の力は一切緩めない。
――剣は、私自身であり、呪いだ。
幼き頃に父に捨てられた。
そんな私を生かしたのは、皮肉にも父の残した剣と技だった。
父に感謝したことは無い。恨みを抱くほどの想いもない。
私は剣に生かされ、剣で多くの命を奪い、たった一人で生きてきた。
ああ、私は負けたのか。
鬼と恐れられ、全てを剣に捧げた、この私が。
あろうことか、私と同じ剣と技を使う少年に負けた。
こんな、どこでもない、誰の目にもつかない深い森の中で。
おそらく初めての明確な敗北だ。
しかし、不思議と悔しさはない。
握り続けた剣はどこかに落としてしまった。
私に残ったのは、背中で感じる地面の柔らかさと、彼の手から伝わる熱と、身体の殆どが抜け落ちたと思える疲労感と、そして――
私だけを映し出す、夜空のような漆黒の瞳の美しさだけだった。
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