第76話 二兎を追う者は
弓を引き絞りながら、俺は自分の失敗を激しく悔いていた。
馬を飛ばし、盗賊達を見つけた時には既に馬車は倒壊し、おそらくそれに乗っていたであろう少女が地面に投げ出されていた。
俺はセラに待っているよう一言伝えると、返事も待たずに飛び出し、そして少女に迫っていた男の頭を確かに矢で打ち抜いた――筈だったのだが、何故か矢は不自然に逸れ、盗賊の別の奴に刺さった。
そして、男は冷静に少女を掴み上げ、盾としてしまった。男の撃破、少女の保護――その両方を目論んだ結果、どちらも取り逃がしたなんて、あまりに笑えない。
「へ、へへへ……なんだぁ、兄ちゃん。混ざりたいってか」
「…………」
ビビりながらもどこか余裕な男に、俺は警戒しつつ無言を返す。
武器を向けているのはこちら。この距離でなら矢を外すこともない。
しかし、向こうが構えているのは人の命という強力すぎる盾だ。
強度ではこちらが上でも、精神的な圧力は向こうが断然上だ。
俺が構えたこの矢も、今のままでは放てない。ただの木偶でしかない。
「カッコいいじゃあねぇか。ええ? ヒーロー参上ってか! けれど惜しかったなぁ、俺には女神の加護が付いてるのよ」
「ひいっ!?」
男が強く少女を抱き寄せ、少女が悲鳴を上げる。彼女は目に涙を浮かべつつ、縋るようにこちらに目を向けてきていた。助けてと強く訴えかけてきているが、その口は震え、およそ言葉を発せれるだけの余裕も残ってはいない。
「兄ちゃん、腕に覚えありってか。けれどよぉ、打たない方がいいぜぇ?」
男が口の端を大きく吊り上げる。
「知ってるか、女神のネックレスってよぉ。こいつは俺の身に起こる不幸を別の人間に肩代わりしてくれる代物なのよ」
女神のネックレス。ゲームでもその名前のアイテムは有った気がする。うろ覚えだが……確か、受けるダメージをフィールド上の敵・味方のいずれかにランダムで肩代わりさせるというアイテムだったはず。
「さっきは運よくお嬢ちゃんには流れなかったがよぉ、今度はそう上手く行くかな?」
「ぐ……」
「おうおう、試してくれても構わねぇぜ? けれどよぉ、この状況は変わらねぇ、お嬢ちゃんに刺さるか、テメェに刺さるか、俺の可愛い子分共に刺さるか……それでも俺は痛まねぇ。腕の力は緩めねぇからよぉ?」
延々ロシアンルーレットでこちらが引き金を引き続けるようなものだ。一発目に弾が出ようが、出まいが、結局出るまでトリガーは離せない。
少女を見捨てるという選択を取らない限りは。
「ノコノコ出てきたところ悪いがよぉ。次にテメェがどうするべきか、ちゃあんと分かってるよな?」
「……チッ」
俺は弓と矢筒を地面に下ろす。
丸腰になったのを確認してから、男は周りの手下たちに合図を飛ばした。そして手下たちはベタに手首をぽきぽきと鳴らしながら近づいてくる。
ああ、どうしようか。このまま大人しくボコボコにされたところで、何の解決にもならない。
少女は救えず、盗賊団は倒せず、ただただ痛い目を見るだけ。
けれど、下手に暴れれば少女は無事では済まないだろう。結果、盗賊団は妥当できたとしても。
二兎を追う者は一兎をも得ず。先ほど陥ったその理論に当てはめれば、一兎を追えば一兎を得れる可能性は高まるだろう。
盗賊団の撃破。それも十分社会貢献だ。行きずりとはいえ、中々の成果じゃないか。少女には悪いが、俺達が結局俺に彼女の運命を変えるような大役は背負えなかったと――諦めることができたら楽だったんだけどな。
俺も彼女と同じだった。
本来助かる筈の無かった命。死ぬ筈だった存在。
それが、ゲームに描かれた未来がそうさせたのか――生きている。
いや、俺を生かしたのは運命とやらじゃない。親父だ。
親父が、持っていた全てを捨てて、俺を生かすことを選んでくれた。きっとその選択の裏で、俺に見えないどこかで誰かが涙を流していただろうに。
親父は、本来親父が守るべきものだったものを捨て、俺を選んだ。
一兎を選んだのだ。
その結果、俺がいて、俺はその結果しか知らない。
きっと少女を選ばなくても俺の人生に大きな変化は生まれない。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、なんて言葉もある。今は苦くても、それは『もう誰も見捨てたりしない』なんて都合のいい決意にすり替えられるかもしれない。
けれど、死ぬ筈だった俺が、他を犠牲に生かされた俺が、たとえ行きずりでも一度目にしてしまった絶望的な状況の彼女を見なかったことになんか出来はしない。
咄嗟に、地面を蹴っていた。盗賊たちを縫い進み、少女を盾にした男と対峙する。
「当たったらごめんよっ!」
そして、一言だけ断りを入れ、拳を振り抜いた。
この拳は、ただの拳だ。威力はまぁまぁでも殺傷性は殆ど無い。身体強化も発動していないただのパンチだ。
これなら少女に逸れたとしても殺すことはない。
「フンッ!」
が、拳は易々と男に捕まれてしまう。
少女を避けて顔面に突き刺すために出した手は利き手とは逆の左。そして、少女に対する遠慮が乗っていたせいで、自分で思っていたより遥かにその勢いは弱かった。
「武器を無くしたガキなんかに後れを取るかよ!」
そう男が叫ぶ――が、俺はそんなものは碌に聞いちゃいなかった。
今の行動はおかしい。この男は自分に対する攻撃をアイテムで逸らせるというのに。
……攻撃を逸らす? 違う、そうじゃなかったかもしれない。
女神のペンダントの一番の使い道は確か、回復役の仲間に持たせることだった。理由は単純で、回復役が倒れたら、それを蘇生する役がいないからで――
一つ思い出すと、次々に情報が湧いて出てくる。そうか、俺は思い違いをしていた。
女神のペンダントの本当の効果は――
「エリック! もうアイテムの効果はないッ!!」
やれ――そう叫ぶ前に、男の目が不自然に歪んだ。
次の瞬間に、暖かな液体が俺の顔を濡らして……そして、俺は見た。少女を掴んでいた男の首を、水面に浮き出た鮫の背びれのような刃が斬り進んでいくのを。
「ぐゃ」
行き場を失った空気が、鈍い音を漏らす。
男は断末魔も上げれぬまま、その首を地面に落とし――死んだ。おそらく自分が死んだことにも気が付かなかっただろうと思えるほどに、あっさりと殺された。
いつの間にか、音も無く彼の背後に現れていた、俺の同級。
エリック=ファンダスの手によって。
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