第69話 剣と鞘
「なぁ、セラ」
「はい」
お茶会で緩んだ空気を引き締めるように、俺は彼女を見つめ、そして彼女もそれに応えるように見つめ返してくる。
そもそも俺は今日、お茶会を楽しみに彼女の下を訪ねてきたわけじゃない。これもこれで嬉しい誤算だったけれど。
「今回のことで良く分かった。お前は、魔人に狙われている」
「……はい」
彼女の表情が曇る。当然自覚のある表情だ。
サルヴァ、そしてリザードマン。この短期間で2回も彼女は攫われている。そして奴らの狙いは――
「彼らは私の血を求めているのです」
「え?」
「私の母、そして私は、かつて魔神を封印した巫女様の血を継いでいるらしいのです。そして、魔神の封印を解き、甦らせるにはその血が必要だと……そう死に際の母に教えられました」
彼女の口から語られた言葉に、俺はただ茫然としていた。
知らなかったわけじゃない。それはゲーム知識として得ていたから。
しかし、彼女がそれを明かしたのは最終盤、語らぬ以外にどうしようもない状況になってからだ。それを今、俺に話すなんて思ってもいなかった。
「そんなこと、話して良かったのか?」
「母からは、誰にも言うなと……言うにしても心から信用できる相手だけにと言われていました。母は祖母からこの話を受け継ぎ、けれど私以外の誰にも語らなかったといいます」
「それならどうして……」
「以前、ジルと出会ったあの一件で、私は、魔物……魔人に立ち向かう理由として“復讐”と言いました。けれど、“因縁”と言った方が正しいかもしれません。母も祖母も、魔人に命を狙われた経験は無かったといいますが、しかし、常にその存在の影に怯え、誰にも明かせない悩みに苦しめられてきたことは事実です」
セラはそう言いつつ目を伏せる。
彼女の母、祖母が狙われなかった理由――いや、セラが狙われる理由はおそらく、彼女が王女だからだ。
王女というのは目立ってしまう。きっと彼女の母、そして祖母よりも遥かに。
だから魔人――魔神の眷属に見つかってしまった。
「……いえ、そんな話、今は関係無いですね」
彼女は直ぐに顔を上げる。強い輝きを秘めた双眸が俺を見つめてくる。
「どうしてというジルの質問に対する答えは一つ……私はジルを、心から信頼しているからです」
「信頼って……」
「正直、自分でも分かりません。今まで家族にさえ心を開いてこられなかった私が、どうしてここまで……と。けれど、私は魅せられてしまったんです。貴方の生き方に。貴方の強さに。貴方の光と、闇に」
「セラ……」
「だから、貴方にも私を信頼してほしい……なんて、虫が良いことだとは分かっていますが」
セラは照れを誤魔化すように苦笑いを浮かべた。
そうされてしまうと俺もどうにも照れくさい。いや、多分褒められたわけじゃないとは思うけれど。
「ええと……少し話が逸れちゃったけれど、俺が言いたいのはさ」
「はい」
「セラ、俺をお前の護衛に任命してくれ」
その言葉は、何よりも口にした俺自身に強く圧し掛かってきた。
――第三王女『セレイン=バルティモア』の護衛。
それは、ゲーム『ヴァリアブレイド』に残る数少ない『ジル=ハースト』のプロフィールだ。
若くして死ぬ運命にある俺の、ゲームで描かれた未来へと繋がる死亡フラグ。
俺はそれを自ら回収しようとしている。
「護衛……ジルが……?」
セラは目を真ん丸に見開いて、呆然と言葉を繰り返す。
「セラ、俺は魔人――魔神の眷属に恨みがある。理由は、奴らが俺の両親を殺したからだ」
「ジルの、家族を……」
「セラも話してくれたからな……俺も言わなきゃフェアじゃないだろ?」
どうしてこんな思考になったのか、自分でもよく分からない。
けれど、多分、俺は誰かに聞いて欲しかったのだ。吐き出してしまいたかったのだ。
それが何の解決にもならないと知っている筈なのに。
「信じられないかもしれないが、俺には母の胎に居た頃の記憶がある。その時の俺は世界を母の耳で聞き、母の目で見ていた。そして、魔神の眷属が、両親の弱みを握り、脅し、絡め取り――父を惨殺し、俺を孕んだ母を辱めた」
ずっと頭の中で蠢き、しかし一度だって口にしたことの無い事実。
今でも耳に残る父と母の慈愛に満ちた声。それが苦痛と怒りに染められたあの地獄を、その1分1秒余すところなく、俺は決して忘れられはしないだろう。
今も、思い出すだけで視界が滲んでくる。強く拳を握り、唇を噛み、それでも、溢れ出してしまう。
「ジル……!」
セラの声は潤んでいた。そして、傍に来て俺の身体を強く抱きしめてくれる。
暖かい……それでも、俺の中から無限に湧き上がってくる冷たい感情が全て打ち消してしまう。
「父は拷問のような苦痛を受けてもなお、泣き言は吐かなかった。母は父が殺され、執拗に責められても決して嬌声を上げたりはしなかった……」
2人は強かった。優しかった。暖かかった。
その2人を殺したのは魔神の眷属であり――俺だ。俺を、母が身籠ってしまったから。
この世界において、近親相姦は悪だ。多様性を求める生物倫理に反した行為であり、ましてや双子であった両親が犯した罪は大きい。
それでも2人は愛し合ってしまった。共に天才と呼ばれ、誰からも称えられ、故に孤独だった2人には、もうお互いしか残されていなかったから。
けれど、2人は幸せだった。幸せに、誰にも知られることなく、密やかに蜜月の時を送り続けられる筈だった――俺さえ、出来なければ。
「俺は――あの人達を殺したあの男を……魔神の眷属を殺さなくちゃ、復讐を果たさなくちゃいけないんだ……! そうしなくちゃ、本当の意味であの人達の子どもにはなれない……! 自分で自分を許せない……!」
セラからしたら溜まったものではないだろう。
前世の記憶があるなんてことは決して言えない。両親の関係と、その子である俺の罪も言いたくない。
恐怖、意地、保身――様々な感情によって削ぎ落された真実は、ガラクタのようにバラバラになって俺の口から吐き出される。
それでも、止められない。俺は涙を溢れされる両の目は押さえられても、自分の口を止めることはできなかった。
「ジル……」
「ごめん、セラ。駄目だな、俺は。こんな弱いままじゃ、とても――」
「弱くなんかないっ!」
セラは強く俺の身体を抱きしめる。彼女もまた涙を流していた。
「私は貴方じゃない……貴方の本当の苦しみを理解することはできないけれど……でも、貴方が今もなお苦しみ続けていることは分かります!」
「セラ……」
「ジル、貴方は以前、復讐が果たせるのであれば死んでもいいと言いましたね。私は、それが悲しかった。貴方と出会ったばかりで、でも、貴方が良い人だって分かっていたから」
身を震わせ、それでも力強く言葉を紡いでいくセラ。
俺は嗚咽を上げながらも、ただその言葉を聞いていた。
「私は、貴方の中に有るものが復讐だけなんて思いません。だって、ジルは私を助けてくれたもの。私だけじゃない、もっと沢山の人がきっと貴方に助けられている……貴方と出会えて良かったと思っている筈です」
「でも、俺は……」
「いいんです、復讐でも。私は、貴方が生きていてくれることが何よりも嬉しいから」
セラはそう、俺を離して微笑んだ。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら。
「ねぇ、ジル。私の護衛になりたいと言ってくれたのも、復讐の為、ですか?」
「……否定はしない。セラは魔人に狙われている。だからお前と一緒にいれば、仇へと辿り着く可能性も増えるって――でも、それだけじゃない。お前を守りたい、守らなくちゃいけないって、だから――」
セレイン=バルティモアは世界の希望になる。
俺はそれを守る。それがジル=ハーストの使命なら。
いや、これは建前だ。
俺は、彼女を――セラを死なせたくないんだ。彼女を1人の人間として好きになってしまったから。
彼女だけじゃない、この学院でできた友人達、仲間……もう、誰一人として大切な人を失いたくない。
誰かを失う悲しみをまた背負うくらいなら、俺は――
「ジル」
「むぐっ」
セラが両手で俺の頬を挟み、言葉を止めてくる。
「私、ただ守られるだけのお姫様じゃありませんよ。もっと強くなって――私がジルを守ろうって思ってるんですから」
「セラが、俺を……?」
「私はジルと共に歩みたい。たとえそれが復讐の道であっても、貴方を傍で支えたい。だって、そうしなくちゃ危なっかしいんですもん」
「……かもな」
冗談めかした感じで言う彼女に乗っかって、俺は苦笑した。
お互い涙は止まっていたけれど、しゃっくりも、頬を伝う跡も、まだ残っている。
それでも幾分か空気は軽くなったように感じた。
「だから、ジルのお願い、受けることにします! でも、只の護衛関係じゃありませんよ? 私は王女で、ジルは平民……だから私が立場的に上になっちゃいますけど、私だってジルのことを守るんですからっ」
「……ああ、分かった。それで構わない」
「まぁ私としてもこれで表立ってジルと一緒にいることができますし、断る理由は無いですし……あっ、そうだ。こういう時って何か儀式的なことをするものなんですかね?」
努めて明るく振る舞うセラに、俺は感謝の念を抱きつつ、微笑む。
「お姫様の手の甲に口づけする、ってやつか?」
「でも、私達はお互いがお互いを守り合うんですから、私が一方的にされるのは……あっ、じゃあお互いがお互いのくちび……る……」
セラは途中で言葉を詰まらせて、じわじわと顔を赤く染めていく。
……いや、流石にこれは俺も分かった。彼女が一体何を言おうとしたか。
けれど、それを指摘するのも恥ずかしくて、俺はつい目を逸らしてしまった。
「あっ、ち、違いますよ!? 決してはしたないことを考えたわけじゃありませんからっ!?」
「分かってるよ」
「絶対分かってない! もうジルったら、そんなに私とキスがしたいんですか――って何を言わせるんですか!」
「いや、今のはこれ以上無いくらいの自爆だったろ!?」
「ま、まぁ? 私も王女という立場でなければキスのひとつやふた――むぐっ!」
俺はこれ以上セラが暴走を続ける前に、彼女の口を塞いだ。当然、手のひらでだ。
「セラ、一旦落ち着け」
「ふんふふ、ふふふっふ」
「俺はもう落ち着いてる――っていうか、お前が暴走してくれたおかげで強制的に落ち着かされた」
あれだけ渦巻いていた負の感情が嘘みたいに収まっているのは間違いなく彼女のおかげだ。意識的かは分からないけれど。
冷静――今の俺は非常に冷静だ。セラが口を塞がれながら「そんなの、ジルだって」と抗議してきたのも分かるくらいに冷静だ。
「落ち着いたか?」
少し間を置き、セラに問いかけると、彼女はコクコクと首を縦に振った。
その顔はやっぱりちょっと赤い。
「ぷはっ。ジル、私思いつきました」
「何を」
「儀式です! 互いが互いの護衛になった記念の儀式!」
セラはそう言って手を天井に向けて掲げる――瞬間、彼女の手の平に鞘付きのナイフが落ちてきた。
例の、トンデモ空間収納魔法か。このナチュラルボーンチートめ。
「はい、ジル」
「……?」
セラはナイフを抜くと、それを俺に渡してくる。刃をこちらに向けるという危なっかしい形で。
それをおずおずと受け取ったのを見届けた後、彼女はコホンと小さく咳払いをした。
「ジル、貴方はそれと同じ、
「これ、ナイフだけど」
「剣ですっ! 貴方は私の――私達の敵を討ち払う剣。決して盾なんかじゃないと心得てくださいっ」
だから、簡単に死のうとするな。
そんなメッセージが込められている気がして、俺は表情を引き締め頷く。
「そして私は鞘です。貴方という剣を優しく包み、守る存在です。流石に私が剣というのはまだおこがましいですから」
「流石お姫様、中々オシャレなことを考えるな」
「茶化さないでください。こほん、ではジル。貴方の剣を私の鞘へと収めてください」
セラはそう言って、笑顔で鞘をこちらへと差し出してきた。
こういう時は真剣な表情を浮かべた方がそれらしい気もするけれど――でも、いいか。俺も笑ってしまっているし。
刃が鞘へと入っていき、カチっと、鍔と鞘が当たった音が響いた。
「これで完了です。今から、ジルは私の護衛ですね」
「ああ。必ず守り抜いてみせる」
「ええ。共に魔を討ち払いましょう」
剣は鞘へと収まった。
けれど、俺達は互いに手を離すことなく、微笑み合う。
近い未来、この日のことを“運命が大きく動いた”と思い返すことになるかもしれない。
誰に見守られることも無く、密やかに行われたこの儀式は、不思議とそう思わせる力があった。
――ジル=ハーストは、セレイン=バルティモアの護衛である。
それは死の運命へと大きく近づく死亡フラグ。
俺は今日、自らそれを掴んだ。
けれど、もしも俺は死の運命に飲み込まれたとしても――
俺は今日という日を、彼女の護衛となったことを、きっと誇りに思い続けるだろう。
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