第23話 黒の世界
広場に足を踏み入れた瞬間、地面が大きく揺れた。
「きゃっ!?」
地震が滅多に起きないこの世界に慣れ親しんだセラはその場で転んでしまうが、俺はまだ日本に住んでいた経験が少し頭に残っていたのかふらつく程度で済んだ。
ただ、これは都合良く偶然に起きた地震ではない。
「ジィィィィルゥゥゥゥ……!」
この揺れはあの魔物が、腕の森が侵入者を察知し動き出したことによるものだ。
ただ、おそらく奴は俺を俺として認識はしていない。
俺に対する殺意は最早奴の全てとなっていて、それは生きる全てのものに向けられる。この部屋に盗賊が1人たりとも残っていない状況を見ると彼らも奴の犠牲になったのだろう。
仮に俺を殺せたとて、それで満足はしないだろう。
「魔人と組むような連中……金に釣られたからとて同情する気は無いけどな」
伸びてきた腕を切り払い、本体に向かって走る。
この辺りは先ほど、魔人であるサルヴァと相対した時と変わらない。奴の攻撃の密度は増しているが、俺にもアギトがある。迫る腕を全て切り落としてなお、前進し続けられる余裕がある。
「ジルゥゥゥゥ……!!」
「気安く呼びやがって……これで終わりだッ!」
脅威だった腕の壁も、俺とアギトの前では薄っぺらな紙の幕と何一つ変わらない。
最後の踏み込み――俺は一切の躊躇なく魔物の体を、それを守るように絡みつく腕ごと切り裂いた。
「あ……?」
奇妙な手応えに思わず首を傾げる。例えるな、そう――ドロッと溶けたアイスにスプーンを刺した感触に近い。
サルヴァの体は、俺の放った斬撃を受けて地面に溶けていく……いや、体だけじゃない、俺が切り離した腕も、それ以外まだ残っていたものも全て――
「ジル、地面が……!」
「地面? こ、こいつは……!?」
地面が全て、一切の隈無く、黒に塗りつぶされている。
それに気が付いた直後、再び地面が大きく揺れる。
先ほどのように奴が蠢いたことによる振動じゃない、本当に地面が動いている……?
「……ッ! セラ、下がれ!!」
「え……?」
「くそっ!」
咄嗟にアギトを鞘に納め、セラに向かって投げる。
「きゃっ!? ジル……!?」
無防備にそれを受けたセラは後方に吹っ飛ばされ、そのまま広場の、黒い床の外に出る。
その間にもどんどん揺れは強くなっていき……
「ジルっ!!!」
広場と外、それを完全に分けるように黒が床から広がっていく。
床から壁へ、壁から天井へ――松明の光も、セラの叫び声も、まるで全て幻だったかのように黒く塗りつぶされていった。
◆◆◆
「やぁ、ジル。フフフ、何とも無様じゃないか」
この声……。
いつの間にか閉じていた目を開くと、そこには目を閉じていた時と同じ暗闇が広がっていた。
「お前……!」
「おっと、僕に怒りをぶつけたところで何も解決しないよ。君を飲み込んだのは僕であり、僕では無い……。今の僕は、そうだな……人から物へと堕ちた際に零れ落ちた人間としての僕の欠片のようなものと言うべきかな?」
「……無駄に喋る奴だ」
「もう僕は消えゆくだけだからねぇ。出し渋っていても仕方がないだろう?」
まったく姿は見えないが、声だけは聞こえてくる。
ただ、この空間はサルヴァから感じたもの同様の、反吐が出そうな臭気が充満していた。
「君は今自分がどこにいるか分かるかい」
「……」
「つれないねぇ。どうせこのまま消化されるだけなんだ。最後にお喋りでもしていこうじゃないか」
「消化……」
この言葉は本当だろう。
あの時、地面に溶けた魔物の体は俺を捕らえるために身体を広げ、広場ごと包み込んだ。丸ごと胃に収める為に。まぁ、ポシェ先輩と戦ったスライム同様にドロドロに実体を崩した魔物に胃のような器官が残っているかは分からないが。
「僕の言っていることが嘘だと思うかい? 傷つくなぁ」
「傷つくなんて感情は無いだろ、お前ら魔人如きに」
「いやいや、僕らだって人として生まれ、人として育てられてきたんだ。血も涙もある、君たちと同じ存在だよ」
下らない。
俺はサルヴァの声を無視して歩き出す。しかし、妙に貼り付いてくる足元と、暑くもあり寒くもある嫌な空気と臭いにイライラが募っていく。
「いいや、君には分からないか。なんたって君は人間の倫理から外れた存在だからねぇ?」
そしてこの声も。
妙に慣れ慣れしく一方的に語ってくる。前からか後ろからかも分からないが、付かず離れずを保って。
「君の両親は父のお気に入りだったからね。よぉく覚えているよ、ジル」
「気安く名前を呼ぶな」
「それじゃあ君の両親の名前ならいいかい? レクス=ディカード、セシル=ディカード……共に人間の世では広く名前を知られた才人だったらしいねぇ。レクスは剣を握らせれば文字通り最強の男であり、セシルも並び立つ者のいない弓と光魔法の達人……フフフ、まぁどちらも死んでしまったとあっては、なんとも空々しい呼ばれ方だねぇ」
「……黙れ」
その口を塞ぐことも、殴って黙らすこともできない。
こんな怒りを滲ませたところでサルヴァを喜ばすだけだと分かっている。
しかし、両親を貶され、それでも感情を抑え込むことはできなかった。
「しかし、伝説と呼べるほど昔でないが、逆に新しい記憶として人民の中には残っているんじゃないかなぁ。良かったねぇジル。君の両親、“ディカード兄妹”は死んでなお人々の心の中に生きているってことだからさぁ」
思わず歯を強く噛み締める。
この男は両親を称えたいわけじゃない。
ディカード“兄妹”……俺を辱めるためだけに言葉を発している。
「なぁジル……どんな気分だい? 実の双子の間にできた、人の倫理から生物の摂理からも外れた“忌み子”として生きる気分はさぁ?」
ズブリ、と胸の奥に何かが刺さったような感覚がする。物理的な痛みではない、深い、感情がくすぐられる感覚――
『ヴァリアブレイド』の中では当然語られることは無いし、そういう設定があのゲームの中に有ったかは不明だ。
そして俺を引き取り、本当の家族に見限られてなお俺を育ててくれた親父……両親の親友であった彼さえもそんなことは語ったことは無い。
しかし、誰に言われずとも俺はそれが真実であると知っている。
ジル=ハーストは近親相姦によってできた子どもである。
そんなこと、俺はとっくに知っている。
この世界に転生した日から、ジルと名付けられるその前から。
何故なら俺は、母が身籠ったその瞬間から、この身に意識を得ていたのだから。
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