第16話 我儘

◇◇◇


――大丈夫、少し偵察してくるだけさ。出口を見つけたら迎えに来るし、何かあれば必ず連絡する。


 そう言い残しジルが部屋を去った後、私は1人、部屋の中座り込んでいた。


 彼を1人にしてはいけない。そう分かっていたのに、引き留められなかった。

 歩を進めるごとにジルの中から昏い感情が漏れ出していて、それが彼を苦しめていると分かっていたのに。




 私はこのヴァルティモア王国を治める王族の三女として生まれた。

 けれど、自分が王族であるということに誇りを持てたことはただの一度も無い。


 ヴァルティモア家は長い歴史の中で一度もその血を絶やさず、世襲のみで国を治めてきた。

 血を絶やさぬよう国王は多くの女性を娶り、そして正妻や妾のような序列をつけることなく子を増やす。

 私にも多くの異母兄弟がいるけれど、その関係はあまり良好とは言えなかった。


 他の兄弟には"本当の家族"がいる。母親、そして同じ母から生まれた兄弟が。

 しかし、私にはいない。お母様は私を産んですぐに亡くなってしまったらしい。母という繋がりがない私には、父である国王陛下も殆ど気にかけてはくださらなかった。


 自分の家の筈なのに、私はこの家を、私の中に流れる王族の血を愛せたことは無い。

 いつも自分を押し殺し、愛想笑いを浮かべ、周りに合わせる。機嫌を損ねないように、目立たないように、波風を立てないように、そこに自分がいないかのように……。


 そんな私にとっては、ミザライア王立学院に入学するということが唯一の希望だったのだ。


 私は自分が求められる役割を知っている。

 政略にも武にも学術にも、何にも才能を持たない私が、唯一周りから褒められるのは容姿。母親譲りの顔だ。

 正直、"顔がいい"などと持て囃されたところで、それが良かったなんて感じたことはない。

 むしろ男兄弟からは揶揄われ、女兄弟からは睨まれ、使用人達からは下卑た厭らしい視線を向けられる……良いことなんて何一つ無い。


 そんな私が、ヴァルティモア王国、ないしは王家の力をより強固とするために貢献できることはただ一つ。他家に嫁ぎ関係を高めることだけだ。

 父も、父の妻達、兄弟達、そして使用人さえも、私をそう見ている。


 王立学院を卒業すれば、とんとん拍子で婚姻の話は進んでいくだろう。

 だから、ミザライア王立学院は、そこで過ごす3年間は、私にとって最初で最後の"セレイン"でいられる時間だったのだ。


 「寮に入りたい」という私の願いを父、国王陛下はあっさりと了承した。

 元々愛情も感じたことの無い相手だ。私を説得する時間さえ無駄だと思ったのかもしれない。

 王族たるもの、王立学院を卒業していなければという伝統さえ守れれば他はなんでも良いだろうし……。


 私はすぐに入寮を済ませた。

 他の兄弟たちが学院に入る際は騎士家や使用人の子どもを専属として傍に置くのが通例だったけれど、単身で。

 私のような王族で無くなることが内定している者に取り入りたいという家もないだろうし、父を含めた誰もそのことを指摘をしてこないのだから"そういうこと"だろう。




 そんな私がまさか誘拐されるなんて、全く想像していなかった。

 しかもその目的が王家を強請る為などではなく、何処かの誰かにおそらく奴隷として売る為だというのだから滑稽な話だ。


 けれど、唯一救いがあるとすれば、それは"彼"と出会えたことかもしれない。


――セラ。


 セレインではなく、セラ。

 それは分かりやすい愛称だったのかもしれないけれど、そんな呼び方をしてくれるのは彼が初めてだった。


(ジル……)


 私に巻き込まれる形で拉致されてしまった少年、ジル。

 どうして私は、初めて会った筈の彼に、こんなにも心を開いてしまいたくなるのだろう。


 拉致されたという特異な状況がそうさせるのだろうか。

 この場において唯一頼れるのはジル。確かに彼は優しく、落ち着いていて、とても頼りになった。


 私を王女と特別扱いしてこないのも新鮮だった。

 セレイン=バルティモアではなく、“セラ”として接してくれる。

 だから、仮面を付けずに接することができると。


 分からない。分からないけれど……彼と一緒にいると、気分が良かった。

 手にはまだジルの手の暖かさが残っている。

 幼少期以来殆どしてこなかったのに、何故か彼には自然に甘えてしまって、それを思い出すだけで、また顔が熱くなって……

 しかし、その熱も、1人になった虚しさが掻き消してしまう。


「どうして、ジルはあんなに……」


 私はジルのことを殆ど知らない。知るはずもない。

 けれど、出会った最初と最後ではまるで別人のようになってしまっていたのは感じた。太陽の光のように暖かかった彼が、夜の闇のように冷たくなっていくのを。


 それが分かっていたのに私は何もできなかった。


 今も、勘違いであってほしいと、ジルは疲れていただけで直ぐに戻ってきて笑顔を向けてくれると、そんな風に祈ることしかできない。

 それが何の解決にもならないと分かっているのに。


『セラ』


 不意に頭に彼の声が響いた。


「っ……!」


 すぐに動けなかった。

 この、何か痛みを隠すような声の示すものを知っていたから。


『すまない、連中に見つかった。出口はそこからすぐ近くなんだが、盗られた物を取り返してやろうなんて、変な色気を出さなきゃ良かったな』


 伝心石を通して伝わるジルの声は明るい。明るく装われている。


 けれど、これが嘘だと分かってしまう。

 彼と同じような声を、他ならない私自身がこれまで何度も発してきたから。


 幾度に渡って私の本音を隠し、守ってくれたこの声色が、まさか他の人から聞くとこれほどまでに痛々しいなんて。


『俺はこいつらを引きつける。なぁに、自分のケツは自分で拭くさ』

「……はい、分かりました。ジル、お気をつけて」

『ああ、そっちもな』


 ジルの言葉はそれで最後だった。


 ジルは、私が聞き分け良すぎるなんて気が付いてはくれなかった。

 言葉の裏に込めた感情を読んで欲しいなんて思うのも我儘だと分かっているけれど。


「ジル、私は……」


 手を引いてくれるジルはいない。待っていても、もう戻ってきてはくれないだろう。

 けれど……。


 ジルがくれたビスケットを1つ頬張る。

 新品のように甘くて、しょっぱい。なんだかジルみたい、と思ったのが可笑しくて少しだけ笑ってしまう。


「私は、もう自分からあの家に帰りたくはないから」


 心はもう決まっている。どうせもう数年で私は私でなくなるのだから、それまでは我儘でいい。


「けつを拭く、なんて、やっぱりジルは下品です。しっかり叱ってあげないと」


 座り込むのはもうやめだ。

 逃げるなら彼と一緒に。生まれたばかりの我儘を果たすために、1人で部屋を後にした。

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