第15話 泡立つ感情

 あれからまた、随分と歩いた気がする。

 盗賊共にかち合いそうになっては隠れ、進んではまた隠れを繰り返す、その進みはあまり良いとは言えなかった。


 ただ、いつからか。俺の中にある感情が生まれ、どんどん強くなっていた。

 じわじわと何処かから漂ってきたこの気配は……間違い無い。


「……ル……! ジルっ!!」

「んぁ……?」


 セラの声に、気づく。

 俺が今、壁により掛かりながら足を止めていたことに。


「ジル、疲れているのでは……」

「あぁ、いや……大丈夫だ。特に何かしているわけじゃないし」

「でも、凄い汗が……」


 セラに指摘され顔を拭ってみると、確かにやけにベタベタした。


「はは……柄にもなく緊張してるのかもな。セラみたいな美人とこんなに話す経験なんてそう滅多にないからさ」

「び、美人!?」


 雑な煽てだが、セラは顔を真っ赤にして狼狽える。

 俺も元気なら柄にもない歯の立つようなセリフに赤面を禁じ得なかっただろう。けれど、今、俺の頭は恥なんかよりもよっぽど大きい感情に支配されていた。


 この感情を言葉に表すならば……そう、“怒り”だ。

 彼女にじゃない、この遺跡のどこかから漂ってくる、そして次第に強くなってくる“とある気配”に対するどうしようもない怒りが俺の身体を泡立たせている。


「……まぁ、でもそうだな。少し休むか」


 ズボンで手に滲んだ汗を擦り付け、再びセラの手を取り、手近にあった部屋の戸に手をかけた。

 外から気配を探り、中に誰もいないことは確認済みだ。


 部屋は俺達が捕らわれていたような小部屋だった。中は暗く、先ほどと大して変わらず無造作に物が積まれている。


「埃が少し溜まってる……普段使いの部屋じゃなさそうだな。ここなら少しはゆっくりできそうだ」

「あ、あの、ジル。貴方も少し休むべきでは……」


 休むなどと言っておきながら部屋に入ってもガラクタの山を漁りだす俺に、セラは気を遣うように声をかけてくれる。

 優しさが身に染みるが、今の俺にはボーッと身体を休める余裕なんか無かった。

 この部屋に入ったのも俺の休憩の為じゃない。俺の身体は今も早く行けと急かしてきている。


 けれど、セラをほっぽりだして行くなんてできないという理性がそれをさせない。


「お、ビスケットがあった。あと……いつのか分からない水瓶も」

「あ……私、浄化魔法なら心得がありますっ!」

「……そうなのか。だったら見てもらえると助かる」


 浄化魔法と一口に言っても様々だが、この場合だと腐った水をまるで汲み立ての状態に清めるものだろう。

 大枠で見れば傷や病気を癒やす回復系、光属性の魔法に当たる。

 魔法の多くは四大属性と呼ばれる火、水、土、風。そして二極属性と呼ばれる光、闇に分類されるが、二極属性は才能が求められ、かつ扱いが難しいため使用者が少ないとされている。


 正直セラからのこの申し出は意外だった。

 彼女のゲームでのスタイルは“ゴリゴリの魔法特化前衛アタッカー”だ。ノーガードで近距離魔法をぶっ放し捲るスタイルは1対多を得意とし、圧倒的な殲滅力を誇る代わりにサポート力はほぼゼロ。

 “前衛物理アタッカー”である主人公と対となるというのも彼女のただ守られるだけじゃないヒロインとしての魅力だった。


 そんな彼女は作中では浄化魔法を扱う素振りなんて見せなかった。まあ、パーティーメンバーの中にサポートに優れた味方がいて一任していたというのもあるが。


「いきます……!」


 透明な、水が入ったガラス瓶を両手で持ち、セラは強く祈るように目を瞑る。緊張しているのか、眉間にシワが寄っている。

 けれど、そんな面持ちとは対照的に魔力の流れは繊細で、お世辞抜きに美しかった。

 水が輝きを放ち、濁りが晴れていく。問題無く成功だろう。


「上手くいきました!」


 すっかり透明になった水を見て喜ぶセラに、俺もほんの少し頬が綻ぶのを感じた。


「どうぞ、ジル」

「セラが飲んでいいよ。喉乾いてるだろ?」

「でも、ジルの方が働いていますし……私なんて守ってもらってばかりで」

「俺がセラの何を守ったよ。手ぇ引いて歩いていただけさ」


 仮に俺が主人公なら失格と言えるくらいに何の活躍もしていない。

 だから変に恩を感じられるのもお門違いなのだが……セラはそうは思ってくれないらしく、水瓶を両手で握り締めたまま俯いてしまった。


「セラ」

「私、少しくらい役に立ちたくて……」


 まるでいじけた子どものようにそんなことを呟くセラに、俺は小さく溜め息を吐く。


「あー……気、遣わせて悪いな。ありがたく頂戴するよ」


 そして、礼を言いつつ受け取ると、一口だけ喉を潤した。

 ただ水を飲んだだけなのだが、セラはホッとしたように微笑む……なんとも不思議だ。


「美味かった。ほら、残りはセラが飲めよ」

「えっ、でも……」

「あとビスケットも。ほら、まるで新品だぞ?」


 拾ったビスケットの袋から一枚取り出し齧りつつ、残りを袋ごと押し付けた。


「あ、食べすぎないようにな。ほら、入れた分だけ出ていくのもーー」

「だからその話はやめてくださいっ! ジルは下品です……」


 ムスッと唇を尖らすセラだが、おかげでビスケットをあっさり受け取ってしまっている。勿論意図してのことだ。

 喉の渇きも、空腹もある。けれど、飲む気にも食べる気にもならない。

 彼女と平静を装って話しながらも、俺の身体は“早く行け”と急かし続けているのだから。


「それともう一つ、丁度良い物が見つかったんだ」

「丁度良い物……? あっ、それは……」


 セラに見せたのは一見ただの石ころだ。しかし、石ころなんかじゃない、もっと高価で希少なもの。

 流石セラは分かったようだが、盗賊連中には見分けがつかなかったのだろう。


「何か分かるか?」

「伝心石、ですよね?」

「ご名答」


 伝心石。この石ころは魔法的効果を持った“魔石”と呼ばれる品だ。

 こいつを2つに割るとまるで糸電話のように直通で、離れた場所にいても会話ができる。

 電話ならぬ、“伝話”と呼ばれたりもするが……まぁ、それは電話が普及したゲームの外が有って成立するシャレだ。この世界に広まっている言葉かは分からない。


 俺は力を込めて伝心石を割り、その片割れをセラに投げる。


「わっ!? わ、わわ」

「ははは、ナイスキャッチ」


 手元で何度か跳ねさせつつもなんとか落とさずに手中に収めた彼女に拍手を送る。

 からかわれたと思ったのか、セラはじとっと半目を向けてきた。


「使い方は分かるか?」

「むぅ……それくらい分かりますっ。喋る時は口に当てる、です!」

「相手の話しを聞く時は?」

「え? 聞く時……? ……持っていれば、特に何もせずに聞こえてくるのでは……」

「正解。流石だな」

「……絶対馬鹿にしてます。何がどう流石なんですか」


 子ども扱いされているとでも思ったのかもしれない。セラはやはり拗ねたような態度を取っていた。

 同い年だよな? ゲームとの違い云々より先にそこを疑いたくなる。


「もしかして怒ってる?」

「怒ってないですっ。……ただ、どうしてジルがこんなものを渡してくるのか分からなくて……」


 分からなくて、という言葉にほんの少し嘘が混ざっているのは分かった。

 彼女は俺が何故伝心石を渡したか察している。今までのように一緒に行くのであれば決して必要のないものなのだから。


 性格が違っても頭の回転は悪くない。やはり流石は未来の正ヒロイン、セレイン=バルティモアだ。


「セラ、自衛に心得は?」

「え……」

「お前が察している通りだ。ここで一度別行動を取る」

「っ!!」


 ショックを受けたようにセラが目を見開いた。そして、そのぱっちりとした猫目の端にジワリと涙を浮かべさせた。


「おい、なんで泣くんだ。貴重な水分だぞ」

「なんですか、その慰め方……」


 我ながら酷いとは思っている。

 けれど気の利いたことを言ったところで彼女の気が晴れるわけでもないだろう。

 とりあえず物理的に涙を止めるため、服の袖をあてがう。


 セラは決して癇癪を起こし、子どものように泣きわめいているわけではない。

 そもそも俺達が出会ったのは偶然の事故であり、こうして共に行動してから経った時間はほんの僅かでしかない。

 別行動を切り出したくらいで泣かれるほどの友好値を稼いだとも思わない。


 そりゃあ、セラからしたら見捨てられたと思う気持ちもあってもおかしくない。

 自分だけ助かろうとしているんじゃないかと怒られても、それこそ泣き喚かれても仕方がないことだ。


 けれど、彼女が怒っているのはそういうのでは無い気がした。

 彼女は思っていたよりも無邪気で、純真で、しかし馬鹿ではない。


 何か、別のものを見られている。

 彼女の涙には俺が思いもしない何かが隠されている気がする。


 袖の影から覗く、俺をじっと見つめる紫色の瞳は感情的ながらどこか冷静で……けれど、それを察していながら俺の方には、彼女を意を汲むだけの冷静さは殆ど残されていなかった。

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