第7話 ポシェ=モントール

 俺の放った矢は、隙間を縫って少女と鬼の手の平の間に滑り込み、そのまま鬼の手の中にズブリと吸い込まれていった。


「ウグォオオッッ!?」


 鬼が手を押さえて大きく仰け反る。


「へ? わっ、痛ぁっ!?」


 寸でのところで捕らえられるのを回避した少女は、重力に従うまま地面に落ちた。

 着地ではなく落下。辛うじて受け身は取ったらしいが不意を突かれたのは鬼だけではなく彼女も同様だったのだ。


「いちち……いったい何が……」

「ボーっとすんな、お嬢さん!」


 鬼が後退って出来た空間に入り、少女を庇うように立つ。また、移動しながら弓をホルダーに仕舞い、刀、アギトを抜いて構える。


「あんた、冒険者?」

「ふぇ? 誰……って、お嬢さんじゃないよ、あたし!」

「え……もしかして女装癖の男の子?」

「違うよ! 女の子!!」


 じゃあお嬢さんじゃん……と文句を言いそうになったが、咄嗟にソレに気が付いた俺は彼女の襟首を掴み後方へと飛ぶ。

 次の瞬間、ズゴォンと俺達が立っていた場所からけたたましい音が鳴り、砂埃が舞い上がった。


「きゃっ!?」

「っと、向こうはまだまだやる気満々だな」

「き、君何者!? この森に住む原住民!?」


 否定しずらいな……人生をトータルするとかなりの時間この森の中にいるし、ビバークをした経験も中々に多い。

 なんて、そんなプロフィールを呑気に聞きたいわけじゃないだろう。


「ジル=ハースト、怪しい者じゃないよ」


 名乗るには唐突だが、名乗らずに怪しくないと言うよりはマシ。

 ほらー、怪しいお兄さんじゃないよー的な。ま、そう口にしてしまうと余計怪しいか。


「ジル……? あたし、ポシェ。ポシェ=モントール!」


 ただ、自己紹介をしあいたかったわけじゃないんだけどなぁ……。

 土煙が晴れ、俺達が立っていた場所に突き立った金棒が姿を現す。次いで、それを掴み引き抜いた鬼の姿も。


「あ、ていうかキミがあのジルくん!? 危ないから下がってて!!」

「あのってどの……っていうか、危ないはこっちのセリフだから」

「きゃっ!?」


 暴れられても困るので彼女を前から抱っこする。背負った方がいいのだが、後ろには弓と矢筒があるためそれはできない。


「にゃ、にゃにゃっ!? いきにゃりにゃにをっ!?」

「掴まっといてくれよ。ちゃんと掴まっててくれないと剣は振れないからな」


 と言いつつ、彼女を抱いたまま鬼に背を向け走り出す。

 背後から咆哮が聞こえ、ガシガシと追ってくる足音が聞こえるが無視だ。

 そんな俺たちを逃がさまいと飛び出してくる雑魚魔獣共を切り払いつつ、走る。


「ちょ!? 逃げるの!?」

「ああ。今のままじゃ分が悪い。君だって怖いだろ、さっきだって殺されかけたんだし」

「こ、殺されかけてなんかないよ!? さっきだってちょーっとピンチっぽかったけど、掴まったとしても抜け出す技は覚えてるもん!」

「へぇ……でも、仮に君が自分を圧殺できるほどの手に握られて無傷で抜け出せる腕前を持っていても……今回は相手が良くなかったな」

「へ?」


 少女が腕の中で首を傾げる。どうやら気が付いていないらしい。あの鬼の秘密に。


「あの鬼、金棒を振り回して力強さをアピールしているが、本当の武器はそれじゃないと思う」

「本当の、武器?」

「首は大丈夫だったみたいだけれど、手の平は、もしかしたらそれ以外もだけど、あれは口だ」

「くち……?」

「ああ。あのまま掴まれたら、君捕食されてたよ」


 腕の伸ばし方は目的によって動きが変わる。物を掴む時、殴る時、手の平だけでなく肩の動かし方や肘の捻りが違う。

 あの鬼が少女、ポシェに向かって伸ばした腕は彼女を掴むためのものではなかった。そして殴るためのものでもない。

 ベースは掴み。しかし少し叩き潰そうとするような動きも混じっていた。


 まぁ、手に口が付いている奴なんて今まで出会ったことはないからそれだけじゃ確信にはならないけれど、彼女を掴む直前、縦にぱっくりと筋が入っていたし涎のようなものが漏れていたから、多分そうだろう。

 食べたられたのはポシェではなく俺の矢の方だったが。異常なまでの仰け反り方から察するに、さぞ美味しく味わってくれたに違いない。


 という説明を掻い摘まみつつ伝えると、彼女は一瞬顔を青くした後、キラキラと目を輝かせて見上げてきた。


「あの一瞬でそこまで分析したの!?」

「普通だ」

「普通じゃないよ! ……たぶん」


 少女は自信無さげに俯く。

 俺は他の同世代がどうかなんて、それこそ入試で出会った連中くらいしか知らない。

 ただ、彼女の反応は少し実感がこもってて、全く意味が分からないというよりも、自分の行動に照らし合わせて反芻している感じだった。


 やはり、ただの少女ではなく、それなりに訓練を積んだ子らしい。

 今の反応的にも思考まで落とし込めていなくても、本能的に察してはいそうだし。

 着ているのも、もしかしたらどこかの訓練校の制服なのかも……?


「……ねぇ、ジルくん。降ろしてくれないかな」

「はい?」

「あたし、死にたくない……でも、逃げたくもないの。だって、あたしは強くなるためにミザライアに入ったんだから」


 ミザライア?

 どこかで聞いたことのある名前だ。どこでだ……? ゲームの中だろうか。


「一度逃げれば癖になる。次同じようなことに遭遇しても頭によぎっちゃう。けれど、それじゃああたしは……」


 少女の声は切実だ。必死で、本気だ。

 ただ、それには何の意味もない。どんなに強い想いがあっても、それが結果に影響をもたらすなんてことは稀だ。


 力の差とはあまりに明確で残酷だ。

 強い者が強い。それは明確に事実としてそこにある。

 弱者がどんなに強い想いを持っていても、強者が薄っぺらい感情しか持ち合わせていなくても、勝つのは強者だ。たとえゲームと同じ世界観であっても、現実は世知辛いままだ。


 なんて前提は一般論にすぎない。

 ならば、彼女は弱いのだろうか。

 そう自身に問いかけたとき、明確な答えは返ってこなかった。

 ポシェ=モントールは少女ではあるが、鬼の猛攻を躱し続ける身のこなしや首を穿った蹴りを見るに常人のそれではない。

 鬼の力は不明瞭。しかし、それなら彼女のことも俺は上澄みさえ理解していない。


「……分かった」


 ほんのりと湧き上がった興味に促されるまま、俺は首を縦に振った。


「アイツはポシェ、お前に任せる」


 鬼との距離は十分開いた。

 俺は足を止めると彼女を下ろし、弓を抜く。


「万が一ピンチになったら容赦なく横入りさせてもらうけどな」


 ポシェは俺を少し呆けたように見上げてきていたが、冗談ではない俺の軽口を受けて微笑んだ。


「ありがと。でも、頑張るよ。カッコ悪い姿ばかり見せられないからねっ」


 大丈夫とは言わない。言えないことは彼女自身理解しているのだろう。

 しかし、俺に向いた小さな背中は妙に力強く感じた。

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