第2話 アイスドラゴン

 まだ奴が来て時間が経っていないのが幸いした。

 凄まじい吹雪の中だが、まだ深い積雪には至っておらず足を取られずに済んだからだ。


 走りながら、身体を暖めるように深い呼吸を繰り返す。

 先ほど口論を交わしたのも幸いし、身体に震えは無く、むしろ戦いの緊張から来る熱さえ感じていた。


 ドラゴンは俺に気がつくことなく、獲物だけを見つめて舌なめずりなんてしている。

 どうやらドラゴンに見つかってしまった誰かさんは腰でも抜かしてしまったようで、逃がすまいと追い駆けだすなんてことにはならなかった。

 きっとドラゴンの脳内では勝利のファンファーレでも流れていることだろう。


「はッ!」


 強く息を吐きながら槍を投げ、地面に突き刺す。そして地面に突き刺さった槍の石突を踏み台に、高く跳び上がった。

 ドラゴンの頭越しに腰を抜かして尻餅をついた女の子の姿が見え、逆に彼女からも俺が分かったのだろう、しっかりと目が合う。


 なんて、悠長に思っている一瞬の間にドラゴンの尾が槍を叩いたようで、バキリと木製の柄が砕ける音が響いた。

 ドラゴンが反射的に背後、こちらを振り向く。そして空中にいる俺と目が合った……想定通りの行動だ。


「食らえっ!」


 ドラゴンの目に先程借りたばかりの剣を投げ込む。中々いい切れ味をしているのは一週間彼と共に行動して知っていた。

 剣は一切の抵抗を受けることなく、ドラゴンの大きな右目に吸い込まれていった。


――ギュオオオオオンッッ!!?


 片目を潰された痛みで悲鳴を上げつつ仰け反るドラゴン。デカい図体ながら、目はやはり急所らしい。

 が、今は首を大きく動かしてしまってもう片方の目を狙うのは難しい。そしてドラゴンの胴体は硬い氷に覆われていて、普通に攻撃したのでは蚊ほどのダメージも与えられないだろう。


 “設定”では、この“アイスドラゴン”は氷で体を覆い守っている分、皮膚は柔らかいという。

 なので“ゲーム”では氷を炎系の攻撃で剥がし、皮膚を露出させて叩くというのが正攻法だった。

 しかし、それはこの現実のヒントにはなっても答えじゃない。


 実際、対峙してみれば堅牢な氷も全身隈無く覆っているわけではないらしい。

 目や鼻、腕や脚などの関節部分に氷の鎧は無い。だったら律儀に氷を剥がす必要なんかなく、そこを叩けばいい。

 名付けて、『ビキニアーマー、露出部分は全裸と同じ理論』……いや、我ながら呑気だな。


 俺は頭を切り替え、アイスドラゴンの背を踏み台に、再度跳ぶ。今度はより前に跳ぶことを意識して。


「その首っ、貰った!!」


 氷が張っていない首筋目掛け、腰から下げていた自前の剣を抜き放ちざまに横凪ぐ。

 ドラゴンであるなら鱗も頑強、かと思いきやすっぱりと切ることができた。程よく気持ちがいい感触を手に伝わってくる。


「ギュオォォォオン!」


 再度咆哮。しかしその声は痛みを打ち払うためか、中々に悲惨な響きだ。

 折角隙だらけなので振り払われるまで思う存分剣を打ちつけさせてもらう。何度も、何度も。ここで命を奪えずとも、少しでもこいつが弱るように。


「ギュオオッ!!!」

「っと」


 全身を振るい、払い落とされる。咄嗟に受け身を取った先は、ドラゴンに見つかって腰を抜かしている少女の前だ。

 思わず舌打ちを漏らす。これは良くない。ドラゴンが攻撃を放てば、俺が躱せても彼女がやられる。


「おい、立てるかっ!」

「ふ、ふぇ……?」

「ああ、くそ……!」


 少女は目の前で何が起きたのか分からないといった放心状態になってしまっている。

 そしてアイスドラゴンは怒りに片目をギラギラ光らせていて……ああ、本当によろしくない状況だ。


「ギュオオオ……ッ!」


 大きく息を吸うアイスドラゴン。この動きは氷のブレスを吹き出す前兆だ。

 真っ正面から食らえばたちまち身体は氷に包まれ、そして尻尾に凪払われて氷と一緒にバラバラにされてしまう。

 当然食らうわけにはいかないが、だからと避けるわけにもいかず……、


(仕方ない……こんな状況で使うのは初めてだけど)


 俺は覚悟を決めると、剣を腰の鞘に納め、柄を握った。

 そして左手で、鞘に取り付けられた4つの突起、トリガーと呼ばれるスイッチの内、1つ押し込みながら握り込む。


「ふぅ……」


 白い息を吐きつつも、身体が熱くなるのを感じる。

 そして僅かに緊張を感じながら、ドラゴンが口から思い切りブレスを吐き出してきたと同時に抜剣した。


 居合い。父のずっと前の代から受け継がれてきた戦闘術は、“前世の俺”が知識として知っているそれを取り入れたものだった。

 さらに、この剣も日本刀と呼ばれた片刃の剣に酷似している。日本という国はこの世界には無いのにだ。 

 俺は前世で日本刀なぞ握ったことは勿論、手に持ったことさえ無かった。


 しかし、“今生の俺”ならば何一つ問題は無い。

 何故なら俺は、俺自身でさえ信じられない程に才能に満ちているからだ。


「炎閃……!」


 鞘の中に仕込まれた“ファーストトリガー”、摩擦熱によって発火する機構により刀身が炎を纏い、氷のブレスとぶつかる。

 瞬間、氷が水蒸気に変わるジュワァという音が響き、視界を白い煙が包み込んだ。


(押し負ければ2人纏めて氷の底か……でも!)


 今の行動には2つ壁があった。


 1つはこの吹雪舞う低温下で刀身に火を付けられるかという問題。ここは抜刀スピードを速めることでクリアされた。

 そして2つ目、ブレスが吐ききられるまで持ちこたえられるかどうか。この炎が押し負けば末路は見るまでもなく明らかだ。

 

(……いや)


 そんな嫌な予測を俺はすぐさま否定する。

 一瞬でも耐えている。そして、この瞬間、アイスドラゴンは隙だらけだという事実が、何よりもデカい。


 この状況を、虎視眈々と隙を狙っていたアイツが動かないわけもない。


「貰ったぜ!」


 瞬間、俺の期待に応えるように、茂みから女が飛び出した。

 その手に巨大な、刃渡り1.5メートル程ある大剣を携えて。


「オォォォラァッ!」


 そして、駆けた勢いを一切殺すこと無く跳び上がり、空中で一回転しつつも、傷ついたアイスドラゴンの首筋に刃を叩きつけた。


「ギュオオオオオオッ!!?」

「うっ、ちょお……!? 大人しくしやがれ……!!」


 首筋に大剣を食い込ませながらアイスドラゴンが暴れだす。

 それに振り回された女は、やがて握力が持たずに吹っ飛ばされ、そして、彼女が気を引いている隙に少女を抱いてその場を離れようとしていた俺の前に落ちてきた。なんでよりにもよってここに!?


「いちち……クソ、骨かっ! かってぇなぁ!」

「おい、お前」

「んあ……? おおっ! サムライ!」


 女に声をかけると彼女は嬉々として呑気にそう返してくる。……ちゃんと見るとこいつ、ビキニアーマーだ。


「んだよ? ジロジロ見て」

「いや……寒そうだと思って」

「寒いっ! だけど気合いでカバーだ! 大物前にしてアドレナリンドバドバ溢れてきてっからな!」


 にかっと歯を出して笑う彼女はそういいつつ小刻みに体を震わしていた。あっさり剣を放してしまったのはこの寒さも影響してそうだけど……。


「なんて呑気に話してる場合じゃねぇ、サムライ。アイツ、ブチ切れてる」

「サムライって……まあ、そうだな」


 侍なんて呼ばれるのはちょっと嫌だ。刀は持ってるけれど着物は来てないしちょんまげを結っているわけでもない。

 まあ、この世界にサムライと呼ばれる連中がいるのは知っているけれど……なんて、今は呑気に否定している場合でもない。


 ひとしきりその場で暴れたおしたアイスドラゴンが、目には剣を、首には大剣を生やしながら息荒く俺達を睨みつけてくる

 ちなみに先程の少女は俺の腕の中で既に気絶している。


「おい、露出狂」

「誰だよ!?」

「お前だよ。こいつを頼む」


 明らかに戦士タイプ、屈強な体つきの女に少女を投げ渡す。


「わっ!? ちょっ、おいお前! 何をこんなタイミングで……」

「大丈夫だよ。どうやら腹を括ったらしいから」

「はぁ?」


 女が怪訝そうに顔をしかめるが、すぐにその顔が驚愕に染まる。

 気持ちは分かる。もしも俺が、彼の実力を知らなければ同じように動揺しただろう。


「まったく、見ていられないな」


 今にも突っ込んでこようとしていたアイスドラゴンの身体を巨大な炎の渦が包み込む。

 その向こうから少しキザな声で、少しキザな登場の仕方で、あの少年が木の枝片手に歩いてきた。


「遅かったな」

「お前が僕の杖剣を持っていくからだ。代わりとなる質のいい触媒を見つけるのに時間が掛かっただろうが」


 そう、口では苛立ちを現しつつも、声の雰囲気では間に合ったことに安堵したような少年の声に、俺は思わず苦笑した。

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