第3話

「はぁーー……」


「とりあえず――ため息しないでもらえますか?」


 俺は今、世にも不思議な空間にいる。いやもう、異世界という時点で相当に不思議であるのは百も承知なのだが。


「人を捕らえて何をしようとしていたんだか」


 呆れたように少女は言う。


「だってさ……周りに誰もいないんだからさー、そりゃ人影が見えたら近寄るわ」


「自己完結しないでくださる?」


 ――。どこまでもドライな少女だ。淡々としている。


「でさ。話は変わるが、この辺の――ってか、この世界の状況とか色々教えてもらえるのかなー俺は」


 何せ異世界から来たもんで。

 なんて、絶対に言わない。ってか、言えない。

 言ったらなんて言われるか、分かったものじゃない。


「ん――どうしようかな――」


 ――。あくまで教えるつもりはないらしい。

 そういうスタンスで来るのなら、俺にだってやることはある。


「ほお。教えてくれないのか。言っとくけど俺、お前にかくまってもらわないと死んじまうぜ?」


「――? 何その脅し?」


「いやいや~? 脅しじゃないんだわーこれが。この世界に俺の知り合いはいないわけよ。ってことは、今お前に助けてもらわないと死んじまうと。――もう分かるよな?」


 そう! これが、俺の――というか『あちら』の汚い奴らの戦法!

 あっちの世界では通用せんが、こっちの世界ではいかに!

 人の善意に付け込んで、「俺、助けてもらわないと死んじゃうんです~」ということでッ! 助けてもらう寸法!

 一見、善意に付け込んで、遠回りに「助けて~!」って言ってるようなもんだ!

 それを、そう感じさせないようにする。

 さて――最後の一押し!


「俺を助けなきゃ――お前は、『人殺し』になるわけだ」


 姑息だとは分かっている。こんないたいけな子供にしてはいけないと。

 だがそれは『あちら』の話ッ!

 ――そもそも、俺を助けなくても、お前は人殺しにはならない。


「誰になんと言われなくても、俺とお前だけが知っている。そして、お前には、自分が殺した人がずうっと頭の中に付きまとって――それは呪いになるぜ、きっと……」


 嗚呼、姑息。実に姑息。

 だが、生き抜くのには関係ない。

 どんな心清いもんだって、自分の死が近付いたら、平気で味方をも蹴落とす。

 それをダメだなんて言わないさ。むしろそれを正しいと言ってる奴らを尊敬したい。

 俺は――それを幾度となく、この、疑うことなき我が眼で見てきているのだから。


「えーと……その……」


 少女は戸惑いながら、言った。


「――前言撤回、してもよろしくて?」


 「助けてあげましょう」でもなく、「あなた、可哀想ね」でもなく――遠回しに「こいつめんどくせえ」と……。




 何とか少女の名前を聞き出せた俺は、目の前の少女――イルマという名前の少女に連れられて、荒野のど真ん中をともに歩いていた。

 少女との会話を経てようやく落ち着きを取り戻した俺は、周りを見渡してみる。

 そこにはもちろん、荒野、荒野、荒野荒野荒野荒野……。


「キリがねえ」


 そう思った――いや、こんな景色をしたら、誰もがそう思うはずだろう――だから俺は、今度は空を見渡してみた。

 対して期待していなかった俺は、その『異物』を見て、目を疑った。

 ――浮いている。島が、浮いている。

 何の比喩でもなく、ただ動かず、雲と共に流れるわけでもなく――その場に居続けて浮いている。


「おいイルマ。あの浮遊島って?」


「え? ああ。その――フユートーって何か存じ上げないけれど、あれは確か――ああ、そうか……」


 イルマは頭を唸らせる。一から説明したものか、それとも島の名前だけ教えようか。そんなことを悩んでいるのだろう。

 もちろんそんな苦労、俺は知ったこっちゃないので、回答を待っているだけだが。

 まあ結局すべて説明することにしたらしい。


「えとね? まずここの島の名前から教えますよ?」


「あ――。その敬語やめてくんね? 俺、そんな敬語使われる立場じゃないんだわ」


「そうで――そう。分かった。――じゃあ、順に説明していくけど」


 そう言って、近くから枝をとってくる。

 それを地面にこすりながら、この世界の地図であろうものを描いていく。


「まずここ。ここが、今私たちがいる『ヒューマニティ』って島」


「ヒューマニティ……ね……」


 俺はその言葉に少し違和感を感じたが、それは一度見送って、再度話を聞くことにした。 


「で、ここに住んでいる私たちは『人類|(ヒューマン)』


「――――――――――」


 俺は――絶句するしかなかった。

 ――名づけたの、誰だ……。

 俺には違和感しかない。だってそれは。

 明らかに、『英語』が用いられているから。

 ヒューマニティ。確か意味は――『人間らしさ』。

 ヒューマン。それはもうそのまんまだ。

 こちらの会話も日本語で伝わっている。ならば。

 ならば――『あちら』から来た奴が、『こちら』に知識を持ち越せるわけであって。

 ということは。

 昔の偉人に、日本人、もしくは英語圏の人物がいることになるではないか。

 ――俺だけじゃ、なかった。まずそれに、俺は絶句した。

 そして――何らかが原因で転移してきた人物が、国一つに名をつけられるような『偉業』を達成したことにも、同じく絶句した。


「どうしたの? 大丈夫?」


「あ、ああ……大丈夫だ、問題ない」


「じゃあ次行くわね」


 突っ込まれなかったことに少しへこんだが、そういえばだれも分かるはずもないことだ。我慢しよう。

 そして少女は、地面に書かれた地図の右上を指して説明を始めた。


「で、ここが、『エルニブル』。首都は『エルフィン』で、住んでる種族は『妖精類|(エルフ)』」


「エルフ、ねぇ……」


 エルフ。想像通りだとすると、妖精に近いだろうが――妖精ではなかろう。

 妖精はフェアリーだしさ。

 まあ、何かあって妖精と呼ばれるようになったのだろう。あまり深く考えず、次へ行こう。

 次にその『エルニブル』の左隣を指して。


「ここが、『マシニティ』。で、首都は『マシーン』」


 まんまじゃねぇか。


「で、住んでる種族は――『機械類|(ヒューマシン)』」


 ヒューマシン。その名の通りなら、ヒューマンとマシン。人間と機械ってことだろう。

 その二つをあわせたもの、深い意味はあるのだろうか?


「で、ここが『スカイジャンジー』。首都が『スカイパラス』で、住んでる種族は『天使類|(ヘブン)』」


 ヘブン?

 種族名が、天国?

 おいおい、マジかよ……。


「この島が、さっきソラが見つけた島。――で、最後にここが、『オールアイランド』」


 イルマが地図の中央にある、星型の島を指して言う。

 確かに、世界の中心にあるしオールっぽいイメージだが。


「全種族、って感じかな……?」


 ぽつりとつぶやいた言葉を、意外にもしっかりと受け取っていたらしいイルマが、補足説明する。


「そう、その通り! ――なんと噂では、ここには、誰も知らなーいような種族がいるとかいないとか……」


「マジで……?」


「まじで」


 ファンタジーだな、全く……。

 ――――どれだけ俺を楽しませるつもりなんだッ!!


「それくらいで、そろそろこちらを向いてもらおうか?」


 ――。

 不意に後ろから。

 声がした。

 男の声。だが、よく通る声。決して低くない声。

 音のほうを振り返るとそこには――――男がいた。

 明らかに『人間』では――『人類』ではないような。

 背中に大きな翼を持ち、それを広々と、大きな影を作るほどに伸ばした――。

 ――――天使が、いた。

 とても美しい、まるで絵画のようなそれに見とれていた俺は。

 直後に起こったことに、唖然する。

 視界が、回転する。

 一、二、三四五六回転。何度まわったかさえ、俺には分からなかった。

 そして気付いた時には、手に血の付いた刃物を持った天使がいて。

 その視界に――血の吹き出している自身の身体が、映り込んでいた。


「――――。は――――?」


 ぶしゃぁ。

 そんな効果音が、近くで、しかも二つの音として、耳に入ってくる。

 首から出るそれと、顔にこまごまとかかるそれが、妙に温かい。

 場違いにもほどがある感想を持って――そしてやっと、気付いた。


 あ。これ。俺の身体か……。


 死は意外にも、実感のないものだった。

 痛くない。ただ、温かい。熱いまである。

 死というのはこんなにも実感の湧かないものか。まるで他人事のように感じてしまう。


「は、はぁ……」


 俺の異世界人生、案外すぐに終わっちまったな……。


 それだけが後悔として。

 そのささやかな後悔が胸に柔らかく残りながら。

 ――俺の息の根は――。




 イルマは、何が起こったか分からなかった。

 視界には、天使類が一人。そして――。

 ソラの顔と、ソラの身体があった。

 何の比喩も存在しない。言葉のままの意味。

 つまり――ソラの死を表し。

 イルマの全身が恐怖を感じた。


「……君は本当に――これでよかったのかい……?」


 その天使類は、ソラに――いや、先程までソラだったものに話しかけていた。

 空を見つめる目は――どこか物悲しげで。

 そして――空のかなた――スカイジャンジーの方向へ飛び立っていった。


「そ、ら……?」


 触れる。

 冷たい。

 触れる。

 冷たい。

 触れる。

 冷たい。

 触れる。

 冷たい。

 触れる。

 ――冷たい。

 もう――死んでいる。

 少しの付き合い。そうだったけど。

 その場で会って、さっきまで気兼ねなく話していた相手が。

 目の前で殺された。

 また、私一人残された。

 誰も――助けても話しかけても来ない世界に――舞い戻った。


「――――――きゃ……」


 こんな世界、変えなきゃ……。

 どんな手段でもいい。どんな方法でもいい。

 この国を。この種族を。この――世界を、変えなくては。

 ソラがいたから気付けた、世界の残酷さ。

 それを――正さなくては。

 そしてイルマは――一人の少女は、荒野を歩き始める。

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