第47話 村暮らしの少女

「それにしても、こんなことになるとはねえ」

舞花、いやルーシェが、俺に苦笑いを向けて言った。


「ホントに。何でこんなことになったんだろうね」

俺はそう言って、深々とため息をつく。


いま、俺たちは浴場にいた。言うまでもなくお風呂に入るためである。


俺は、肩まで浴槽に浸かって楽しそうに足を伸ばすルーシェに視線を投げながら、またひとつ深々とため息をついた。

どうして幼馴染の女の子と一緒にお風呂に入っているのだろうか。


俺は思わず頭を抱えて俯く。

そうすると、視界の隅に綺麗な金色の髪がちらつくのだ。


いつものように風呂場が空いたことをセラフィが俺に伝えに来た時、ルーシェはまだ俺の部屋にいた。

セラフィはどうして新米使用人のルーシェが俺の部屋にいるのかを幾分か不審がっていたが、その声をかき消すようにして、ルーシェがこう言ったのだ。


「ノエリアちゃんと一緒にお風呂入る!」


ただでさえ幼い見かけをいっそう幼く感じさせるような甲高く作った声で、だ。


それにセラフィがまんまと乗せられたのである。

しっかり教育するなどと昼間セラフィは言っていたが、これでは先行き不安だ。


「はあ……夢みたい」

ふっと、声を漏らすようにルーシェが呟いた。


「何が?」

俺はあまりルーシェの方を見ないようにしながら問い返す。


「こうやってちゃんとしたお風呂に入ってること。この世界に来てからの2か月、ちゃんとしたあったかいお風呂になんて、入ってなかったからね」

「そうだったの?」


「当たり前よ。村に温泉なんてなかったしね。いつも川の水で体を流してただけだったからね。日本出身としては結構きつかったよ。ロイルさんに拾ってもらえたおかげで、飢えはしなかったけどね」


本当に感謝しているような表情で、ルーシェは言う。


ロイル……俺にとっては、優しいが頼りない村の代表、その程度の印象だった人間だ。

そんな人でも、ルーシェからすれば、これ以上ないほどの恩人なのだろう。


「そっか……」

俺は、上手く返す言葉を見つけることができなかった。


どうやら俺は、かなり恵まれ過ぎていたようだ。

少女の身体になったというただ一つの変化が目立って感じられるほどに、俺の生活は、元の世界とほとんど変わっていなかったのだ。


十分な食事も、清潔な部屋も、あたたかい風呂も。元の世界と変わらない程度の時間を勉強に充てることすらできた。


普通の生活ができる事がいかに恵まれているかという、元の世界でも散々説かれたことが、突如俺の頭の中に強烈な現実感を伴って現れた。


十分な食事やあたたかい風呂がなくたって、村の人々は精一杯楽しく生きているのだろう。だから、その「恵まれない」生活を卑下することは、村の人々への冒涜になる。しかし。


俺は結局うまい言葉を見つけられず、俺は、本当に幸せそうな様子で浴槽に浸かっているルーシェに、短く言葉をかけた。


「お疲れさま、舞花」




「アーネストさん、失礼します」

俺は、風呂から上がりルーシェと別れた後、市長の書斎に来ていた。


「やあ、どうしたんだい。ノエリア君」


市長は何かの作業中であったようで、机の上にはたくさんの資料が散らばっていた。文字だけではなく数式や図形など、さまざまなものが書かれているようだ。


「実は、少しお願いがあって」

そう切り出して俺は、ルーシェの身分証を手配してほしい旨を伝えた。するとアーネスト市長は微笑を浮かべ、


「それなら大丈夫だよ。心配無用。もうじき用意できるはずだよ」


と事も無げに答える。どうやら俺がわざわざ伝えるまでもなかったようだ。

言われてみれば当然。アーネスト市長がその手の手配を俺が気付くまでしていないはずがない。


俺は、軽く礼を言って、誤魔化すように苦笑いを浮かべた。

まあ、これを言ったのはついでみたいなものだ。本題は別にある。


「それとあの、もう一つお願いがあるのですが……」

「まだ他にあるのかい?」


そう言ってアーネスト市長は、優しい笑みを俺の方へと向けた。

「あの、もしよろしければ、魔法工学の本を貸していただけませんか?」


以前市長の書斎に来た時にも気になっていたのだが、この書斎の本棚には、なぜだかは知らないが、結構な数の魔法工学に関する本が置いてあるのだ。


「魔法工学? ああ、いや、一向にかまわないよ。好きなのを借りて行ってくれ。しかし、どうして急に?」


魔法工学は一応、魔法科学の延長という事にはなっている。だが、高等学院を受験するような年齢の学生が学ぶ科目ではない。その事を市長は言っているのだろう。


「今日、ギルドで魔法具を作っているお爺さんに会って、魔術電池を見せてもらったんです。それで、気になってしまって……」


俺は正直に理由を話した。要はただの好奇心である。魔法科学の教科書には碌な説明が無かったが、魔法工学の専門書になら書いてあるのではないかと思ったのだ。


「なるほど。わかった、好きに使ってくれ」

俺はありがとうございます、と深々と礼をして、市長の部屋を辞去しようとする。


と、そこで、急に市長に呼び止められた。

「ああ、ノエリア君、一ついいかな」


振り返って尋ねる。

「何でしょうか?」

一瞬、躊躇うような表情を見せた後、市長は口を開く。


「ノエリア君は、ケルヌ鉱山を知っているかな?」

ケルヌ鉱山……地理歴史の教科書で見たような気がする。


「市内にある鉱山ですよね。ジンクがとれるとかいう……違いますか?」


すると、市長は笑って首を振った。

「それで合ってるよ。……いや、何でもないんだ、忘れてくれ。おやすみ」


「おやすみなさい」

少し怪訝に思いながらも、俺はそう言って市長の部屋を出た。



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