第36話 合成魔法理論
「今日は93ページね。教科書を開いて」
俺はすっかり慣れた口調でリアナに声をかける。
あれから二か月ほどが経過し、今は牧月の19日。俺がこの世界に来てから、実に70日目だ。
リアナや市長たちとのヴェルダ市での生活は特に大きな事件もなく、平和に過ぎていた。
俺もそろそろ家庭教師が板につき始めたころだと自分でも思う。「女の子」が板につき始めている可能性も否定はできないが、いやいや、この体はノエリアという俺の知らない少女のもので、俺のものではないんだ、と頭を振って思い直す。
市長から出る給与の一部は毎月ノエリアの母親に送っているが、実家にはこの世界に来た当初以来、一度も行っていない。それゆえ、ノエリアという少女の正体もいまだ謎のままであった。
今日の授業は魔法科学。単元は「合成魔法」だ。
合成魔法とは、複数の属性の魔法を一つにまとめた魔法のことである。
例えば、水を生み出しそれを竜巻のようにして敵にぶつけるような場合、普通は水属性で水を生成した後で風属性の竜巻を使うことになるが、合成魔法を使えば1回の詠唱だけでこれを実現できる、というわけだ。
しかも、魔力の使用効率も良いため、魔術師軍などにおいてもよく使われる、極めて実用性の高い魔法である。
「へえ、面白いわね。どうやって詠唱するの?」
「宣言文と魔力値をそれぞれの属性で詠唱して、その後に『synthetic』ってつければ、合成魔法になる」
俺は教科書に目を落としながら答える。教科書の上では知っているし、風呂場での練習くらいなら俺も何度かしたが、合成魔法を実戦で使った経験は俺にもまだない。
だからどうしても説明が形式的なものになってしまうが、これは致し方ないだろう。
「『synthetic』? 何それ、必要なの?」
「必要だよ。魔法は宣言文を詠唱しても、実行されないまま別の属性の宣言文を詠唱したら、普通は初めの分の宣言文はキャンセルになるからね」
それを防ぐための「synthetic」である。意味は「合成」といったところか。
「なるほどね......」
「じゃあリアナ、問題『drill/ water flow:γ,wind blow:δ;synthetic , do 』と詠唱する時、魔力値はいくらになるかわかる?」
ちなみに「drill/」とは、先行否定宣言文と呼ばれるもので、「これから宣言文と同じ言葉を口にするが、魔法を使うために詠唱をしている訳ではない」という意味を持つ。だから実践で詠唱するのは、今言ったものから「drill/」を外したものだ。
普通は集中していないとそもそも魔法は発動しないからこんなものは不要なのだが、俺の場合風魔法が絡むと無意識に発動してしまうことがあるので、授業中のような時に室内で詠唱文を口にする際はこれが欠かせなかった。
「『water flow:γ,wind blow:δ; synthetic , do 』でしょ? 3足す4で7じゃないの?」
「違うよ。さっき『魔力の使用効率もいい』っていったでしょ。それじゃあ別々に詠唱しても変わらないよ」
リアナは納得したように頷いて答えを変えた。
「あ、そっか。じゃあ、5とか6とか?」
「そうだね。正解は5」
そっか、と呟いてから、リアナは不意に顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。
「けど、なんで一緒に使うだけで魔力の使用量を減らせるの?」
いい質問だ、と俺は心の中で手を打った。疑問は成長の第一歩である。
「魔法には指向性があるから、だよ。前にアレシアさんにも教えてもらったでしょ?」
二ヶ月ほど前、俺とリアナがヨルム市を訪れた時の話だ。あの時と火事の一件以来、まだアレシアさんには顔を合わせていない。近いうちにまた会いに行こうと思っているが。
その、二ヶ月前に訪ねた時にいくらか時間をかけて教えて貰った魔法科学の理論の中に、この話があった。もっとも当時はリアナも俺も魔法を扱い始めたばかりだったので、アレシアさんの講義をきちんと理解することは叶わなかったが。
「指向性? なにそれ」
「魔法の属性は、それぞれに向きを持っているってこと。魔法は魔素を思考のエネルギーによって振動させてエネルギーを与えるけど、その振動の向きが属性によってそれぞれ決まっていて、互いに垂直に交わっている―――」
「誰が確かめたの?」
「―――と、考えられている」
要は、モデル化というやつである。実際にそれを見て確認した人はいないが、そう考えれば色々と辻褄が合うのである。
「この考え方を、リトルトン・モデルといって、この考え方を使えば、合成魔法で魔力の使用量を抑えられる理由がわかる」
「どういうこと?」
さて、どうやって説明しようか。
「それじゃあ……たとえば、空中に小さなボールが浮かんでいるのを想像してみて」
「ボールね、わかった」
「次にそれを、左右に揺らす、振動させるの」
リアナが宙を見つめながら頷く。
「じゃあそのボールを今度は、上下に揺らしてみて」
リアナの首がほんのわずかに上下に振動して見える。想像は出来ているようだ。
「そして最後に、その二つの振動をあわせる」
「あわせる?」
「そう。ただし、必ず真ん中から始めて、、同じ周期で振動させる」
リアナが訝しげに眉間にしわを寄せて、しばらく唸る。
「想像できた?」
「……うん、そうね……あ、なんとなくわかったかも。斜めに動くってこと?」
「そういうこと!」
そういって俺が頭を軽く撫でてやると、嬉しそうにリアナは笑った。
頭を撫でた時のリアナの反応は、どことなく従順な犬を想起させる。口元が緩んでいてかわいい。
「……、それで、ノエリア先生、これが合成魔法と何の関係があるの?」
「まさしくこれが合成魔法だよ。普通の魔法は、魔力によって魔素を単一の方向に揺らしてエネルギーに変える。けれど合成魔法は、2つの属性を同時に発揮するために、斜めに魔素を振動させるの。そうしたら、上下と左右に同時に揺らしているのと同じになるでしょ?」
「うーん……そうね、わかるような、わからないような、上手く言えない気分だわ」
「そう?」
俺は合成魔法について初めて学んだときは、高校数学で出てくるベクトルみたいだな、と思い理解した。だが、リアナのやっている算術は、まだ中学生レベルにとどまっている。そのあたりで納得するかどうかの差が出るのは仕方がないのだろうか。
「なら、一度外に出て実際に使ってみようよ。身体を動かした方がわかりやすいんじゃない?」
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