第34話 市長と村長
アレシアさんに倒れたままの少女をおんぶしてもらい、俺たちは森からチャロス村に出た。
あまり人気のない木陰の一角に座り、アレシアさんは口を開く。
「さて、まず何から説明してもらおうかしらね」
悪戯をするように言う市長に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「この子は誰なの?」
「えっと......分からないんです」
リアナが、ロイルから聞いた話をかいつまんで説明した。
「なるほどね......。それで、何があったの? 順番に話してもらえるかしら?」
俺は、はい、と頷いて今まであったことを順に追って説明した。
少女とお手玉をしていたこと。そのひとつを犬がくわえて逃げてしまったこと。少女がトレントに捕まったこと。俺とリアナでそのトレントを倒したこと。
「やっぱりあのトレントは、ノエちゃんとリアちゃんが倒したのね。すごいじゃない」
そう言って、アレシアさんは俺とリアナの頭を撫でた。
頭を撫でられるというのは気持ちいいというのは、この世界で知ったことである。
だらしなく笑みをこぼす俺に、アレシアさんは一転口調を変えた。
「けど、もう危険なことはやめなさいよ、二人とも。アーネストさんだって心配するでしょう」
はあい、という俺たちの子どもっぽい返事にアレシア市長は微笑んで、ヨルム市のものらしき大きな馬車の停まっている方へと歩き去っていった。
「トレントが、ですか!?」
俺とリアナは再び村長の家へと戻り、事の仔細を話した。
少女は既に目を覚ましていたが、大事を取ってまだ奥の部屋で休んでいる。
「ええ。それが多分、大凶作の原因ね」
そもそもトレントとの交戦途中から、違和感はあったのだ。
まず、魔力回復の動作と思われる葉の部分が光る現象だ。
この時光っていたのは、トレント自身の葉の部分だけで、森の他の木々の葉は光っていなかった。すなわち、トレントは森を従えてはいるが、そこから魔力を吸い取ることは基本的にしていないということになる。
アレシアさんによると、あの森は威厳を示すためのもので、実質的な価値はないらしい。
そして一方で、トレントは習性として周囲の土地から魔力を吸い取る。つまり、この周囲の土地とは、森のことではなくさらにその周囲、村のことだったのだ。
トレントに土壌の魔力を吸われたことで作物は栄養を失い、作物は全滅した、というわけである。
「しかし、どうして突然トレントなんてものが居ついたんでしょうね。幼いころからこの村に住んでいますけど、一度だって見たことありませんよ」
「あなたの父親が幼体のうちに狩っていたのでしょうね、きっと」
トレントは、一定の魔力と魔素が存在する森ならば、どこにでも発生しうる。
しかし、多くは冒険者や狩猟者によって幼体のうちに処理されるのが普通だ。幼体であれば、一般レベルの冒険者でも十分に倒せるから。
おそらくこの村の森でも、村長が狩りの際に見つけ次第討伐していたのだろう。
だが、ここ数年、村長が高齢で仮にいけないことが増えた。その間にトレントが森に住みつき、人知れず成長してしまった、といったところだろう。
トレントが成体になるのには3年かかるといわれているから時期的にも適合する。
そしてトレントが森の周囲の土壌の魔力を吸いつくしてしまったことで、未曽有の大凶作に見舞われた。
「不幸な偶然、とも限らないわね。あなた、森の中を見回ったりしなかったの?」
口もとを歪めて言うリアナに、ロイルは困惑の表情を浮かべる。
「いえ、さすがに私は……、一介の農民で、狩猟の心得もなにもありませんし……」
まあ、それはもっともな話だ。いくら村をまとめる立場とはいえ、力量の合わないような危険な場所に立ち入るのは自殺行為である。
「そうね……、なら、これから村民の安全はどうやって守るのかしら?」
「安全を守れ、と言われましても……
弱り切ったような表情で切々と言うロイルに、リアナはいくらか考え込む表情を見せ、それから立ち上がった。
「わかったわ。私からお父さんに話してみる。だから、あなたはまず村民の食糧確保を第一にして行動しなさい。いいわね?」
ありがとうございます!、と平身低頭するロイルに視線もやらず部屋を出て行くリアナ。
俺はその背中を追う前に、一度振り返ってロイルに声をかける。
「アーネスト市長もリアナも、みんな一生懸命だってことは、忘れないでくださいね」
「は、はい!」
「じゃあ、ロイルさんも頑張ってください。応援してますから」
ノエリアの天使の笑顔を振りまきながら、俺は部屋を去った。
帰り際、村の街道沿いのあたりで俺とリアナがセサルの馬車を待っているとき、後ろから駆けてくる足音があった。
「ノエリアちゃーん、忘れ物!」
その声を聴いて俺がばっと振り返ると、そこにいたのはあの少女だった。
奪われていた魔力が回復したのか、すっかり元気そうだ。
「ああ、ごめんなさいっ! ありがとう」
少女が手に掲げていたのは、桜色の手帳だった。
迂闊だった。危ない危ない、そんなものを置き忘れていたとは。
その手帳は、俺がリアナの家庭教師になったときに、市長がくれたものである。
そしてその手帳に俺は、あえて
一つの目的は内容が見知らぬ人にバレないように、もうひとつは日本語を忘れないためだ。
人間、使わない言語は忘れてしまう物である。異世界に来た今とあっては、母国語もその例外ではないだろう。
しかしこれには難点があり、もし中身を読まれた場合には内容はバレない代わりに、俺がおかしな奴だと思われてしまう。この少女にも中身を読まれていなければいいのだが。
「わざわざ届けてくれたんだ。ごめんね」
「いえいえ、いいよ。あたしも危ないところを助けてもらっちゃったしね。それよりノエリアちゃん、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「え、何?」
「あなたは――――――どこから来たの?」
「……へ?」
「ほら、ノエリア先生、何してるの、早く帰るわよ」
後ろから声をかけられて振り返ってみると、気が付かないうちにセサルの馬車が到着していたようだった。
リアナに急かされて、俺は慌てて馬車に乗る。
質問の答えを聞いていないはずなのに、どうしてか満足そうに微笑んでいた少女の表情。
それは、屋敷に帰り着いて寝床に潜ってからも、俺の頭にこびりついて離れることはなかった。
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