第32話 森の本性
「『wind blow:ω; do wind-cutter;』」
空気を刃物のように鋭く撃つ「wind-cutter」。つい最近覚えたばかりの魔法だ。
トレントの幹ではなく枝を狙う。
もちろん太い枝は、風で作った見せかけの刃物で切り落とせるほどにやわではない。だが、末端部の細い枝は、その限りではないはずだ。
これなら葉を切り落とすことができる。これを繰り返し、葉をすべて落としてしまえば、光合成、つまりエネルギーの供給を絶えさせることができる。
地道だが、確実な作戦だ。そう思った刹那、俺は自らの誤算に気付かされる結果となった。
切り落とされて空中に舞った葉が、形を失って灰となる。そしてそれと呼応するように、今しがた切り落とした枝の部分から、同じようにまた新しい葉が生えてきたのだ。
俺はしばし絶句し、それからそれは当然の結果だと思い至る。
まだ切り落とされていない葉で魔力を生産し、それによって切り落とされた部分の葉を再生できる。当たり前だ。
「ねえ……、なにかいい方法……、ないの?」
リアナが息を切らしながらも俺に尋ねてくる。俺には答える言葉がない。
すでに、捕らえられた少女はかなり衰弱してきている。
このままではジリ貧だ。何か良い手はないものか。
「リアナ、ちょっと下がって、森の中に隠れてて」
「何をする気なの? ノエリ――――」
「いいから」
俺は半ば強引に、リアナをその場から下がらせる。
俺一人になったからなのか知らないが、トレントはいくらか触手の攻撃の手を弱めたようだった。
やはり植物といえども、戦いの疲れというのはあるものなのだろうか、などと考える。こっちはもうへとへとに疲れてるんだから、少しくらい疲れてもらわなくちゃ困る。
さて、どうしようか。
俺には大した思い付きがあるわけではない。ただ、リアナの魔力の消耗が激しかったので休ませようとしたわけだ。
俺はさっきまでずっと風魔法しか使っていない。だから魔力の消費は0だ。だが、リアナは違う。触手を避け攻撃の機会を探るために、火魔法や水魔法、風魔法をさっきから何度か使っていた。
詠唱の魔力値よりも過剰に消費するようなことはしていないだろうが、それにしたってεやζ程度の魔法でも、一度に5や6の魔力を消費する。
いくら魔力の保持量が200のリアナであっても、この蓄積はなかなかに痛い。
それに、魔力の消耗は体力の消耗にもつながる。動きっぱなしでは、いつ倒れてしまってもおかしくはないだろう。
ともかくリアナに下がっているように言った以上は、何かしら攻撃を試みてみるべきだろう。そう思って俺は、トレントから目を逸らさないようにしながらすばやくお手玉を取り出し、そのまま投げ上げた。
「『wind blow:αω; do squall;』」
あまり格好の良い攻撃ではないが、ある意味最も素直な物理攻撃である。
次に狙うのは目だ。こちらを見下ろすように黒と赤に光る目の部分をめがけて、風によって目いっぱい加速した球体を打ち込む。
お手玉は美しい軌道を描き、トレントの眼球の丁度真ん中に直撃した。見た目よりもずっと硬いであろう眼球に弾き返されたお手玉が落下するのを、俺は慌てて魔法で風を起こして回収する。せっかく手に入れたお手玉を、こんなところで失くすのは御免だ。
一方のトレントは叫び声をあげて、軽く体全体をゆするような動作をした。
これは……効いているのか?
だが、そう思った次の瞬間、巨木の葉全体が淡い光を見せ、その光がおさまった頃にはトレントは、元の様子を取り戻していた。
まったく、厄介だな。
今のは恐らく回復魔法だろう。静かに広がる森の中で、ただ巨木の葉だけが妖しく光る様子は見る者に畏怖の念すら抱かせる。
あれをどうにかしなければトレントを倒すことは愚か、いまだ縛られたままの少女を助ける事さえできないだろう。
「大丈夫、ノエリア?」
待ちかねたのか、いやおそらく俺の作戦の失敗を察して、リアナが戻ってきた。
リアナがすぐ近くの木の陰に隠れて俺の様子を見守っていたのは、なんとなく感じていたからな。
「強いね……どうしよう」
そう話している間にも、俺たちは触手を避ける足を休めることはかなわない。
俺は必死に頭を巡らせて、トレントの基本習性を思い出そうとしていた。
森の木々を従えている、周囲の土地から魔力を吸い取る......。他に、他に何か有用な情報は無かったか。
何度頭を叩いてみても、何も浮かんでは来ない。むしろだんだんと疲労で思考が回らなくなってきている。
その時、傍で触手を一つずつ確実に避けていたリアナが、思いつきのように呟いた。
「周りの森の方を攻撃したら、どうなるのかしら?」
「そんなことしても......」
そんなことをしても意味は無いだろう、と俺は思った。トレントは森を従えているというだけであって、体の一部なわけではない。切り捨てようと思えば切り捨てられる............。
そこまで考えて俺は、何か大きな違和感があることに気がついた。
「......やってみよう、リアナ。周りの森を焼き払うんだ」
当のリアナも軽い思いつき程度の気持ちだったのか、俺の答えに困惑の色を示した。
「え、焼き払うって、この森全部?」
「いや、そこまでしなくていいよ。この周りの木を二、三十本を焼き払うくらいかな」
結構な規模ね、とリアナは小さく呟く。
「けど、そんな大きな魔法、動きながらじゃとても使えないわよ」
確かにそうだ。目的が木を燃やすことである以上、密集した森の中に自分が入って行うのも危険を伴う。
「なら、私が時間を作るね」
思い出したような少女的口調で俺はリアナに言う。これ以外に案がない以上、やってみるしかない。そんなことを考えながら、俺は大きく息を吸い込んだ。
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