第27話 転ばぬ先の
翌朝。午前8時をちょうど回ろうかという頃、俺は屋敷の前の庭で馬車の到着を待っていた。
朝早起きして昼食のサンドウィッチを作った俺は、既にスカートの端まで整えて準備万端である。
「どうしてまた、こんな朝早くに起されないといけないのかしら……」
寝ぼけ眼の呂律が怪しい状態のまま、俺の隣に立つリアナが愚痴をこぼす。
眠たそうな目、とは言っても、それ以外の髪や服装はきちんと整えられていた。多分、セラフィがやったのだろうが。
「市長も結構強引だね……」
どうしてリアナがここに居るのか。それは市長がリアナに、俺と一緒にチャロス村に行くように指示したからである。
外に出て市民と交流し、公人としての自覚を持て。それが市長の建前だったが、本当のところはどうだろうか。俺としては、市長が、俺の仕事が重くなり過ぎないように気を使ってくれたようにも思えなくもない。自意識過剰というやつかもしれないが。
いまだ眠い目を擦り続けるリアナを、俺は微苦笑を浮かべて見つめる。
と、そこに、セサルの馬車が軽快な音を立ててやってきた。
「おはよう、嬢ちゃん。2日ぶりだな」
俺は、馬車に揺られながら、いつものとおり明日リアナに教える範囲の確認をしていた。
明日の教科は「地理歴史」だ。といっても、その範囲には経済や生物、民族文化などの知識も含まれていて、どちらかといえば一般常識に近い。
そしてこの科目は、「書学」と並んで俺の鬼門となる科目だった。
この世界に来たばかりの人間と、この世界で十数年育ってきた人間で、どちらのほうがその世界にまつわる常識を身につけているかなんて、考えずとも答えは明らかである。
それゆえに俺はこの数日間で、教科書に載る「常識」という情報を頭に叩き込まねばならなかった。
半金貨は分金5枚分の価値、森の主トレントが成体になるには3年かかる、ケストゥナ王国の民族舞踊の名前はロトゥロト……。
家庭教師を引き受けた以上、これもしなければならない仕事だ。俺はそう切り替え直して、また教科書に視線を落とした。
チャロス村が近づいていた時、セサルが不意に口を開いた。
「あの街道あたりを持ち場にしてる仲間から聞いたんだが、どうも、街道沿いだけじゃなく、あのあたり一帯がああいう状況らしい」
「全部、枯れちゃってるってこと?」
御者台の近くの椅子に座り、俺はその話に耳を傾ける。リアナは客車の後ろの方で、既に眠ってしまっていた。
「ああ、作物は全部、だ。備蓄食料はちゃんとあるみたいだから、すぐに飢え死ぬとかいう話にはならねえだろうが。それでも食料が少なくなってることに変わりはねえ」
備蓄食料? そんなのがあるのか。俺の中のファンタジーな農村(つまりは中世の農村)のイメージでは、凶作が起きたら、即、飢饉、という印象があるのだが。
「備蓄食料は、今の市長の親父さんの代から始まった制度だ。街に住む人間からすれば大して関係のない話だったが、農村の住民からすれば大改革だったらしい。財政改革をして税を引き下げた上で、各農村に、村民全員が半年間生き延びれる量の作物を備蓄させるってわけだ。これで、少なくとも次の作物が実るまではもつだろう」
なるほど、と俺は感心していた。飢饉を起こさないために先手を打っておく、ということか。
飢饉が起きれば農民が飢え死に、市の損失になる。農民を生き延びさせようとするなら、市税を使って他の食糧に余裕のある市から購入するしかなくなる。それも、食糧不足という足元を見られかねない条件で、だ。
それならば、いつかは必ず起こる凶作に備えて税を下げ、食料を蓄えておくというのは、市の損失を最小限に抑えるには合理的な手段と言える。
「じゃあ、こんなに急いで来なくても良かったのかな?」
もしかして、俺の早とちりだったのだろうか?
確かに、凶作の危機の割には、市長がやけに落ち着いているような気がしていた。あれはきっと、備蓄食料があることを知っていたからなのだろう。
「いいや、早いことに越したことはないと思うぜ。何か月もかけて育てた作物が全部パーになったんだ。飢饉じゃなくたって、村民にとっちゃ計り知れないストレスだろうよ。そこに市の対応が遅れたんじゃ、農民の怒りを買うことは請け合いだ。そもそも農村には、エーベルト前市長を尊敬するあんまりに、アーネスト現市長のことをよく思ってない人間も多いからな」
父が優秀に過ぎると子が過剰なプレッシャーを受ける、というのはどこの世界でもよくあることのようだ。
アーネスト市長も、それなりに市民の為に頑張っているとは思うのだが。
「なら、市長の関係者って名乗った方がいいのかな?」
「そうだな、まあ、村長に話を聞くなら、身分を明かす必要はあるだろうな。だけど何て名乗るんだ?」
「えっと、……『市長の住み込みの家庭教師です』とか?」
家庭教師が何しに来たって言われそうだな。
「『市長のメイドです』とかか?」
「メイドじゃないってば!」
昨日はメイド服を着ていたが、そのことは黙っておく。
「『市長の娘です』でいいんじゃないの?」
唐突に、馬車の後ろから、さっきまで眠っていたはずのリアナが声を上げた。
「ああ、そっか」
俺はそこでやっと、リアナを俺について行かせた市長の本当の目的を理解した。
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