第26話 メイドとお手玉
夜の8時ごろ。メイド服での2度目の掃除を無事に終えた俺は、夕食の後、自室に一人佇んでいた。
そして、俺の手に握られているのは球体状の玩具……すなわち、お手玉である。
「よっと」
声で軽く勢いをつけお手玉を投げ上げる。初めは体の感覚が少し変わっていてうまく扱えなかったが、30分も練習しているとだんだんと調子が戻ってきて、元の世界でと同じ程度にまで扱えるようになった。
「ほっ、ほっ、ほっ……」
お手玉4つを使ってのジャグリング。本当は5つ使ってもできるのだが、天井に当ててしまってはいけないので、これが限界だ。
基本は同じペースで、時に遊びを入れながら、俺は玉を操る久々の感覚に酔いしれる。
元の世界でも、ジャグリングをしている時間は、俺にとって最も幸せな、まさに至福の時間であった。
自らの手で投げたものを掴み、また投げる。単純なことだが、決して簡単ではない。そしてそうしているうちに、まるで自らの体までも宙に浮いているかのような、不思議な心地になってくる。
俺はそれがたまらなく好きだった。
もっとも、その俺の趣味を知っていたのは、家族以外では仲の良かった幼馴染くらいのものだが。
しばらく無心でお手玉を投げていると、扉を開けて、セラフィが顔をのぞかせた。
「ノエリア先生、お風呂を――」
その姿勢のまま、俺の動きを見て固まるセラフィ。
「……新しい、魔法ですか?」
「魔法? ああ、いえ、違いますよ」
俺は敢えて、手を止めることなく答えた。
「お手玉、という遊びです。セラフィさんは、ご存じないですか?」
「遊び、ですか……? 恥ずかしながら、存じ上げません」
興味津々といった感じで、俺の手とそれに操られる玉を、セラフィはまじまじと見つめる。
「お手玉というのは、どういった遊びなんですか?」
俺は、そこでようやく手を止めて、簡単に解説した。
「このお手玉を片方の手で投げて、もう片方の手でつかむんです。そしてまたその手でお手玉を投げて、もう片方の手で掴む、というのを、何度も繰り返します。それだけですよ」
「なるほど……私にも少し、やらせていただいてもよろしいですか?」
「いいですよ」
そういって俺はお手玉をセラフィに渡す。
「最初は二つぐらいがいいと思いますよ」
「ありがとうございます」
セラフィは軽く礼をしながらお手玉を受け取り、それを少し顔に近づけて改めて観察した。
「中に入っているのは、小豆、でしょうか」
「多分。わたしも中身は見てないから、正確なことはわからないけどね」
うんうん、と頷いたセラフィは、それから左右に持ったお手玉をいっぺんに空中へと放り投げた。
当然のように同時に落ちてくるお手玉に、混乱して手を何度も振り動かすセラフィ。
「わ、お、あっ」
そのままキャッチすること叶わず、お手玉は床に落ち、特有の柔らかい音を立てた。
「これは、なかなか難しい遊びですね」
苦笑いを浮かべながら、セラフィはそれを拾った。
「左と右と、同時に投げるんじゃなくて、ちょっとタイミングをずらしてみるといいと思いますよ」
「タイミングをずらす、ですか?」
「うん」
俺は手元のお手玉を2つ使い、今度はさっきとは違うゆっくりとしたスピードでそれをやってみせた。
「右で投げて、左で投げて、左でキャッチ、右キャッチ、左キャッチ。右、左、左、右。右、左、左、右。って、こんなふうに」
それを見て、同じようにセラフィも口ずさみ始めた。
「右、左、左、右、右、左、左、右、あ、できました!」
「あとは、続けて同じことをするだけです。ちょっと難しいですけど、『右、左、左、右』の、左、右、の部分で、キャッチすると同時に、またお手玉を投げるんです。だから、右で投げて、左で投げて、左キャッチで投げて、右キャッチで投げる。右キャッチで投げて、左キャッチで投げる。右キャッチで投げて、左キャッチで投げる。って、いうふうに。だから、右、左、左、右、右、左、左、右……」
セラフィもそれを真似して手を動かす。
「右、左、左、右、右、左、左、右……」
はじめはぎこちない動きのセラフィだったが、だんだんと動きのコツをつかみ始めたようで、表情もどこか嬉しそうだ。
俺は手を止め、笑顔がこぼれているセラフィに言った。
「ね、楽しいでしょ? お手玉」
「はい! ノエリア先生」
それから俺とセラフィはしばらく、お手玉で遊び続けた。
セラフィは物覚えが良いようで、最後にはお手玉三つを操るまでになっていた。
時計の針はいつの間にか、9時半を過ぎている。いつもならベッドに入るための準備をしている時間帯だ。
「そういえば、セラフィは何の用でわたしの部屋に来たの?」
そう尋ねるとセラフィは、
「あれ……言われてみれば確かに、何かご用件があったような……」
しばらくの間頬に指をあてて静止し、それから不意に思い出したような声をあげた。
「あ、そうです! ノエリア先生にお風呂お先にどうぞ、と申し上げようと思って来たんですよ。あれ、今は何時でしょうか……」
時計を見て、あっ、と声を漏らすセラフィ。
「どうしましょうか。私も今日はまだ入浴が済んでいないのですが、消灯の時間まであまり時間がありませんね……」
困ったような表情を浮かべるセラフィ。
消灯時間というのは10時30分のことだ。
市長は早寝早起きな人間で、リアナにも同じようにその時間までには床に就くように言っていて、屋敷の灯りも、一部の例外を除き、すべて同じ時間に消すことになっているのだ。
二人分の入浴時間を取っていると、消灯時間を過ぎてしまう。そう言いたいのだろう。
「そうです、先生、一緒に入りませんか?」
「入るって、どこに?」
答えは分かっているような気もするが、一応聞いておく。
「お風呂ですよ。順番に入っていたら、ご主人様の希望される就寝時間を過ぎてしまいます。先生も、お風呂に入らないのは嫌でしょう?」
「い、いや、わたしは……」
有無を言わさず、俺の手を引っ張り風呂場へと連行しようとするセラフィ。
結局俺は、セラフィとともにお風呂に入る羽目になってしまった。
………どうして俺の周りには、こんなに強引な人が多いのだろう。誰か、教えてくれ。
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