第19話 火魔法と少女たち

「『water flow:β; do emerge;』」

今度はリアナが詠唱する。もちろんセラフィに教わった通り、人差し指を立てて、だ。


すぐに、その指の先に、拳大の水の球ができる。そして軽く手首を使って指を動かし、地面に向けてその水球を弾いた。


「やった、できたわ」

リアナが満足そうに、そう言葉を零した。


「魔力の消費はどう? リアちゃん」

アレシア市長に尋ねられ、リアナは視線を空に向けて指先を口許にあてる。


「うーん、消費は3ぐらいかしら。残り197って所ね」

「あら、基礎魔力量が多いのね、いいことだわ。基礎魔力量が多いと、肌や髪も老化の影響を受けにくいっていうから」


......ん? それは、基礎魔力量が少ない俺は老化しやすいってことか?

そう思って俺が一瞬表情を歪めたことに、市長が目ざとく反応する。


「あらー、ノエちゃん、嫉妬かしら? まあ、女の子だものね。でも気にすることないわよ、まだ若いんだから」


............いや、待て待て待て、どうして俺が肌の老化を気にする必要がある?

俺は自分が先刻考えていたことに狼狽し、いや、筋肉とかの老化が気になっただけだ、と心の中で言い訳をする。


「リアナ、水魔法以外には、何か使ったことはあるかしら?」

アレシアはそんな俺の心中の困惑に気づくことなく、話を進める。


「風魔法の『breeze』くらいかしら。成功するまでに結構時間がかかっちゃったけどね」


苦笑いを浮かべるリアナ。そう言えば、昨日セラフィに魔法実技を教わっていた時は『α』の『breeze』を使うのにも、かなり苦労をしていた。それでも、昨日上手くいかなかった水魔法の『emerge』は、『β』で操れるようになったのだから、練習すればある程度はできるようになるという事なのだろうが。


「なら、一度火魔法を使ってみましょうか」

「火魔法、いいわね!」


思わず表情の端に喜びを伺わせるリアナ。そういえば、昨日も火魔法が使いたいとか言っていたか。


「じゃあ一つ問題よ。火魔法の宣言文は何かしら?」

「『fire burn』でしょう、それくらい、暗記してるわ」


誇らしげな顔で胸を張るリアナ。

「そうね。じゃあ、使ってみるわよ」


そう言って市長は、地面に置いた藁束から、一本藁を引き抜いた。

「『fire burn:β;do ignite; to right』」


すると、市長が右手に持った藁が突然、ボッ、と燃えだした。

ロウソクに火をつけたように、小さく、しかししっかりと燃える藁。


それを見て、感嘆の声を上げて炎に顔を近づける俺とリアナ。

その二人の顔を、市長は満足そうに見つめた。


やがてそれが短くなり、アレシア市長は軽く息を吹きかけてそれを消す。


「これが一番簡単な火魔法、『ignite』よ。簡単と言っても、無機魔法は自然魔法より指向性が弱い分、集中力が高くないとできないけどね」

「最後の『to right』って何? 必要なの?」


「必要よ。初心者が扱う魔法は基本的には『宣言文:魔力値;do 本文』だけど、場合によってはその後に『指示文』とか『転用文』みたいなのがくっ付くこともあるわ。今の『to right』は指示文ね」


「『指示文』?」

「魔法の対象を指示する文、よ。まあ、ちゃんと集中すれば、魔法の対象なんて頭で考えるだけでいいから、本来はそんな指示なんてする必要は無いわ。けど、例えば今みたいな状況で火魔法を使う時、何かの間違いで集中力が途切れたら、どうなると思う?」


そう言って、市長はわざとらしく視線を地面に積まれた藁の束の方へ向けた。

リアナが恐る恐ると言った感じで答えを発する。


「藁の束の方に、火がつく......?」

市長は表情を崩し、そうね、と大きく頷いた。


「そうなってしまう可能性は大いにあるわ。だから、安全の為にあらかじめ『指示文』で、何を対象に魔法を使うかを指定しておくの。『right』っていうのは、右手に持ったもの、っていう意味ね」


右手に握ったままの、先の焦げた藁を俺達に向けるアレシア。


「まあ、リアちゃんがそれでも必要ないって言うなら、アタシは別に構わないんだけど」

どうする? と悪戯っぽく笑うアレシア市長に、リアナは少し強張ったような表情で答えた。


「使うわ、指示文」



「『fire burn:β;do ignite; to right』」

意識を研ぎ澄ませ、リアナが詠唱する。


ボッ、と市長の時と同じように、右手の藁に火がついた。

「わあ、すごいわね、これ」


リアナが小さな声で呟く。

そのままうっとりとした表情で、リアナはその火を見つめ続けていた。確かに、火というものはどこかずっと見ていたくなる魅力というものがある。

俺もリアナと顔を並べて、またその火を見つめる。


そしてしばらく、時が経つのも忘れ小さな灯を見続けていた俺の耳に、突如リアナの声が響いた。

「ひゃっ、熱っ!」


見ると、既に藁はかなり短くなり、リアナの手もとまで火が迫ってきていった。そしてリアナは驚きのあまり、藁から手を放してしまう。火のついた藁は、そのまま地面に積まれた藁束の上に自由落下した。


「ひゃっ!」

俺は叫び声を上げながらその場を飛び退く。


一瞬で藁束に火が燃え広がった。おいおい、一体何のための『指示文』だったんだ。

燃え広がる火に、どうしていいか分からず狼狽える俺とリアナ。


庭の中央の魔法陣の方で何か作業をしていたアレシア市長が、俺たちの声でようやく事態に気づき、こちらに向けて魔法を放った。

「『water flow:ω; do flow;』」


突如頭上から滝のように流れ始めた水に、藁束の火は嘘のように一瞬にして消えた。


その周囲にいた俺達が、巻き添えを食らって濡れ鼠になったことは言うまでもない。

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