第2話 はじまりの救命処置
ミルク色の世界にいるような感覚を、俺は感じた。
ミルク色の夜明けって、これの事だろうか。生憎、真っ直ぐな道はどこにも見えないが。
けれど確かに、何だかとっても眠かった。
俺はこれからどこに行くのだろうか、天国か地獄か、そもそもそんなものがあるのか。
俺はやがて、そんなとりとめのない思考すらも手放してしまった。
「…………わっ」
目が覚めたのは、土の上だった。
極楽浄土か何かだろうか。とりあえず地獄ではないようなので一安心する。
俺は今、背を土につけて仰向けに寝転がっているらしい。視線の先には青空が見えた。
さあ、閻魔様の審判かキリストの最後の審判か、来るなら来い!
そう思って俺は仰向けのまま天に向けて身構える。
傍から見れば非常に滑稽な姿勢だろう。
当然のように俺の前には鬼のような異形も上半身裸の神の子もあらわれることはなかった。
俺は何かを諦め、むくりと体を起こした。
「ここ、どこだ?」
あたりを見回すと、どうやら森の中のようである。
周囲には青々と木が生い茂っている。
とても、死後の世界と聞いて想起されるような風景ではなかった。
「なんだ、これ」
俺が寝ていた場所の背後、すぐ近くには、何かが枯れ倒れていた。花のような形の、しかし花にしては大きすぎるような植物だった。
「ここ、どこだ」
改めて同じセリフを呟いた声が、なぜか裏返る。
俺は立ち上がり、先ず今の状況を確かめるべく、周囲を歩き回ることにした。
ここが死後の世界かどうかは知らないが、とりあえずじっとしていても仕方ない。
周囲の草を荒らしてしまわないように注意を払いつつ歩く。何だか妙に足が重いし頭にも違和感があったがあまり気にせずに森の中を進み、やがて目の前に池が現れた。
日本では今時珍しいのではないかと思うほど澄んだ池だった。ナントカの池百選、とかに選ばれていそうである。池百個も選んでどうすんだよ。
俺は池のふちに座って顔を洗おうとその池を覗き込み、思わず声を上げてしまった。
「うわっ」
目をこすりもう一度池を覗き込むが、結果は同じだった。水面に映った俺の顔は、生前と変わり果てたものになっていたのである。
変わり果てたといっても、朽ち果てボロボロになっているという意味ではない。むしろその逆である。
「誰だ、これ……」
そう呟きながら俯き、視線を下に落として俺はようやくそれまでの違和感の正体を悟った。
俺の顔、いや服まで含めた体全体が、年端のいかない、色白に金髪の、とても可愛らしい少女のそれに変わっていたのである。声も、裏返っていたわけではなく地声が変わっているようだ。
何を言っているか分からないと思うが俺だって自分が何を言っているのかわからない。
「憑依……?」
もし死んで生まれ変わったというのならそれは多分、赤子からのスタートだろう。それに、前世の記憶も普通はないはずだ。
この状況はそれよりもむしろ、憑依に近いような気がする。悪魔になった記憶も、現世に執着した覚えもないのだが。
その時俺は、身につけている服のポケットに何かがあることに気が付いた。
「なんだこれ」
ポケットに入っていたのはカードのようなものだった。そのカードに書かれていたのは、見たこともない文字だった。日本語でも英語でもない。
しかし、なぜか俺はそれを読むことができた。この体の持ち主の記憶なのかもしれない。だがそれにしては、それ以外のこの持ち主の記憶らしいものは一切伝わってこなかった。
「ノエリア、14歳……身分証明書か」
ユスティナ中等学院普通科卒業、とある。14歳で中学卒業、普通に考えれば飛び級の超優等生である。
もっとも、ここがどこなのかは分からない以上その基準が正しいかの判断はつかない。
「どうすりゃいいんだ、これ……」
既に俺の脳はオーバーヒート寸前である。誰か俺の頭を冷やしてくれ。
しかし、さらにそこに追い打ちをかけるように、遠くから妙な声が響いてきた。
「だれかっ! だれかいませんか!」
森の静けさゆえか、その叫び声は割にはっきりと聞こえた。叫んでいるのは子供、幼い少年のようである。
「どこだ?」
じっと耳を澄まし、方向のあたりをつける。左手、向こう側か。
俺はその声に導かれ、現在の自分の状況などすっかりと忘れてそちらに向けて全力で走った。といってもこの体だと、大したスピードは出ない。
「どうした?」
森の中の少し開けた場所に出る。そこにいたのは、子供が三人だった。気弱そうな少年と元気そうな少女、いずれも7、8歳といったところか。
そしてもう一人、丁度今の俺と同じくらいの体格の、長い銀髪の少女。そしてこの、13歳前後と思しき少女が、地面に力なく横たわっていた。
「リ……リア、ちゃんが、大変なのぉ!」
隣に立つ幼い少女が半ば泣き叫ぶようにしながら俺に訴えかけた。
原因はどうあれ現在の状況をとりあえず把握した俺は、倒れた銀髪少女の様子をとりあえず観察する。胸の部分を観察し、耳をあてるが呼吸がある様子はない。
すぐにでも救命処置が必要な状態だ。幼い少女の胸に耳をあてる事に多少の申し訳なさを感じたが、この体ならまあ、許してもらえるだろう、多分。
救命処置には、通行人などが行う一次救命処置と、救急隊の二次救命処置の二種類が存在する。
そしてこの森の中では救急隊がすぐに駆け付けることは期待できない。そうなれば、一次救命処置でどうにかするほかない。
「お姉ちゃん、回復の魔法、できるの?」
少年の言葉に一瞬お姉ちゃんって誰だよと思いかけて、俺の事だと思い至った。
というか回復の魔法ってなんだ。『痛いの、痛いの飛んでけー』、みたいなやつか。あれって痛いのをぶつけられた人ってどうなるんだろうな。
「魔法は使えないが、心肺蘇生法なら慣れてるよ」
地域の救命訓練の集会に皆勤賞だった俺にしてみれば、心臓マッサージは余裕である。
別に、中学時代野球部で夏休みの練習中に倒れた同級生男子に人工呼吸して助かったはいいがそいつとそのあと気まずくなったとかそういう経験があるわけじゃない。
子供の救命処置は、まず早急に心臓マッサージと人工呼吸をする事が大切だ。心臓マッサージ30回に、人工呼吸2回。
「う……」
一瞬、その少女の薄くきれいな唇に人工呼吸することを躊躇ってしまう。
いや、駄目だ。これはあくまで人命救助である。恥ずかしがっている場合ではない。大体、あのときあいつにしたのに比べればずっとマシだ。
「はむっ…………あぅ、ふー」
妙な声が出てしまった。そのまま間を置かないようにしてもう一度繰り返す。
「はむっ……………う、わ、ふー」
俺は一つ大きく息をつき、それから我に返って心臓マッサージを再開した。
さっきまで泣き叫んでいた二人の幼子が困惑するような視線を俺に向けてくる。ええい、そんな目で俺を見るな!
それからしばらくの消耗戦、主に俺の精神をすり減らす攻防があって、ようやくその少女が咳込むようなしぐさを見せ始めた。
「………う、……こほっ、……」
どうやら、息を吹き返してくれたようだ。やがて瞼が小さく開く。
「うう、私………」
「リアナちゃん!」「リアちゃん!」
少年と少女の声が重なって、少女はようやく意識を取り戻したようだった。
良かった。と、達成感に思わずガッツポーズをし、そのまま仰向けに寝転がる俺。
たが、この油断がいけなかった。
俺が入ったこの少女の体は、活動限界をとうに超えていたようで、俺はそのまま瞼を落とし、瞬く間に眠りに落ちてしまったのである。
「………ところで、この方は誰なの?」
目の前で寝息を立てて寝ている金髪の少女を指さし、リアナと呼ばれた彼女は二人の幼子に問いかけた。
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