第16話 その手

 安心をしたのも束の間だった。消火隊の活動が本格化したその次の瞬間、工場内を吹き荒れる熱風が大きくうねりを上げて突風となり、吹き飛ばした鉄塊てっかいがスパーシャの足元をすくい上げるようにして彼を跳ね飛ばした。

 彼は反射的に抱えた子供をその場に放り投げる。

 


「スパーシャ!」



 サイエは叫んで走り出した。スパーシャの身は大きく空中に放り出され、大通りを外れて下側にある、路地裏のような小さな通路のへりをキカイの右腕で掴んでぶら下がっていた。レファとコズもサイエの後を追って走る。



「今行く!」

「くんじゃねぇ!」



 キカイから降り、作業衣を袖捲そでまくりながら叫ぶサイエをスパーシャは一喝いっかつした。スパーシャが掴んだ通路は、既に使用されていない錆に塗れた過去の鉄くずだった。今はまだなんとかその形を保って彼のぶら下がる体重を支えてはいたが、いつ亀裂が入って崩れるともおかしくはない。



「行く! 行くとも!」

「話を聞け!」

「うるさい! お前が話を聞け!!」



 サイエは裂けそうなくらいに口を大きく開き、叫んだ。



「ボクは、お前に、青空を見せて欲しいんだよ! こんな所で勝手に死のうなんて思ってんじゃねぇ!」



 サイエのかつてない大声に、スパーシャは目を見開いた。それと同時に、掴んでいる部分が軋むのを感じる。キカイの塊である彼の身体を支えるには、錆びついた鉄くずでは強度が足りない。



「サイエ。気持ちは分かるけど、ここはわたしに任せてもらえる?」

「コズ?」



 状況を静観していたコズが、サイエが不器用な身体の動きでスパーシャのいる所まで向かおうとするのを見て、その肩を叩いて止めた。



「身のこなしなら、任せてよ」



 コズは了解を得る前に欄干らんかんを飛び越えた。壁の突起を伝い、みるみるうちにスパーシャのいる元へと到達する。二人分の体重を支えて、通路が軋む。



「助けに来ました」

「なんだ、オマエ。俺は死んだって良いんだ。早く戻れ」

「まぁ、今は黙って助けられてよ。じゃないとわたしも一緒に落ちて死んじゃうから。そういうのは、キミの好みじゃなさそうじゃない? と、言うか実はキミ自分で上がれるでしょう」

「……クソが」




***




「コズ!」

「スパーシャ!」



 結果的に、二人ともがほぼ無傷の状態で舞い戻ってきた。

 コズはすぐにスパーシャの横を離れ、レファの隣に並ぶ。うつむくスパーシャにサイエがその足で駆け寄った。

 暫く、無言の時間が続く。

 救助が済んだ後の消火活動は迅速に行われ、野次馬の群衆は既に散り散りになっていた。

 

 

「……くれよ」



 スパーシャは俯いたままに小さく呟いた。

 

 

「死なせてくれよ!」



 パンッ、と乾いた音が響いた。サイエが平手でスパーシャの生身の頬を打った音だ。



「逃げようとするなよ! ボクに……お前はボクに、この空よりも青い空を探して、ボクに教えてくれるんじゃなかったのかよ!」

「こんな身体でどんな空を見るってんだ、ええ!? 人間でもキカイでもない、こんな、こんな偽りの身体で……! こんな身体を通して見た空に、世界に何の価値があるんだ!」

「お前はだろうがよっ!!!」



 サイエは力の限り叫んだ。まだ変声期の来ていない甲高い少年特有の声は、それでも凄みを伴ってスパーシャを正面から迎え撃った。



「キカイとか、身体とか、そんな事の前にお前はスパーシャだろう。スパーシャが、その心を通して見る世界に、偽りなんてあるもんかよ……」



 サイエはスパーシャの両肩を掴み、嗚咽しながらその胸に崩れ落ちた。スパーシャは立ち尽くした。

 自らの胸の中で泣き崩れる親友を見て、スパーシャは自らの両手をそれぞれ見比べた。もう大きくなることはない人間の左手。それでも血の通った、スパーシャの手。無骨な金属でできた、キカイの右手。それはサイエがスパーシャに作ったスパーシャの手。


 そして自らの胸で泣き崩れるサイエを、スパーシャはそのでそっと抱いた。

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