第4話 コズ

「おっはよー、はよー。さぁ、今日も張り切っていこー!」



 その声は村の中心の広場から響いた。金髪のロングヘアを無造作にサイドテールに結びあげた少女は朝方からよく通る大きな声で叫んでいた。それから少しして、広場の鐘が打ち鳴らされる。朝が来たことを知らせる鐘だ。

 随分と早く寝入ってしまっていたレファは、その騒々しい音に――村長の家は村の中心に近い――目を覚ました。目を開け、横向きになっていた身体を仰向きになるように寝返りを打ち、ゆっくりと上半身を起こす。ベッドから身を降ろすと、たっぷり寝たおかげか大分体の疲れが取れている事にレファは気付いた。



「おはようございます」

「はい、おはよう」



 レファが階下へ行くと、村長の妻は既に起き出していて朝食の準備を始めていた。村長の方は、丁度レファと同じタイミングで起きてきていたようで、まだ少し眠たそうにしながらも着替えは済まされている。



「川へ案内するよ。顔を洗うと気持ちがいい」

「はい、お願いします」



 「いってらっしゃい」という村長の妻の声を背に、二人は家を出て川岸へ向かう。川は村の外からやってきて、村の中を流れている。二人が川縁かわべりに着くころには、もう何人もの村人たちがそこで朝の身支度を始めていた。



「村長さん、おはよー」

「おっはよー」

「はい、おはよう」



 小さな、年端としはも行かない男の子と女の子が裸で水浴びをしながら、村長へ挨拶をする。村長はにこやかにそれに返事をすると、川縁に座り込んだ。レファはそれにならい、村長の隣に座り込む。

 両手で器を作り、清流に浸す。朝陽を受けてきらめく川面は、レファにはとても神聖なものに思えた。

 手を沈めて行くと、すぐに川の流れが水を運び、あっという間にレファの手は水に飲み込まれた。そしてゆっくりとそれをすくい上げ、目をつむって勢いよく顔にかける。まだ少しぼんやりとしていた頭の中が、霧が晴れるようにすっきりとしていく。

 冷や水で肌が引き締まり、気持ちよく目が覚めていくのを感じて、レファはもう一度水を顔にかけようとした。

 

 

「あ!」

「ぅ、わっ!」



 ひとつ、少女の声がしたと思った時にはレファは体勢を大きく崩していた。顔を洗う為に前のめりになっていた事、一連の行為に妙な清々しさを覚えて集中してしまっていた事、それらの状況にあわせて完全に不注意だった背後からの素っ頓狂な大きな声にレファは反射的に身体を前にやろうとしてしまい結果――大きな水音を立てて川に落下する羽目になった。



「えっ、わ、わたしのせい? ごめんなさい」

「い、いや。僕の不注意です……川が浅くて良かった」

「ごめんね。ほら、捕まって」

「ありがとう」



 川に落ちたレファに対して、その声の主は手を差し伸べた。自らの大声が招いた惨事に少なからず罪悪感を感じているようで、その顔は心配そうにレファを覗き込んでいて、金髪のサイドテールが所在なさげにゆらゆらと揺れていた。

 レファはその手を取ってゆっくりと立ち上がる。衣服は半分無事、半分浸水といったところだった。



「コズ、相変わらずだな」

「村長さん! おはようございます」

「ああ、おはよう」

「コズ。あなたの名前ですか?」

「そう、わたしはコズ。あなたは……というか、その堅苦しい喋り方、やめなよ。あなた17歳よね?村長さんから聞いてたの。わたしも17歳で同い年!」



 コズはころころと表情を変えながら早口に喋った。レファはその勢いに圧倒されながらも、できるだけ自分のペースを崩さないように口を開く。



「えっと、僕はレファ。よろしく」

「うん、よろしく! レファ」



 レファが名乗ると、コズは笑顔を満開にしてレファのまだ水に濡れた手を取って、強引に握手を執り行った。レファは気圧されながらもその手を握り返す。同年代の友人はレファ自身国に沢山もってはいたが、コズのように初対面から勢いのある友人というのは記憶を掘り返しても存在しなかった。



「レファは外の国から来たんだよね!いいなぁ」

「うん……あの道のずっと先から」



 レファは自分がやってきた方角の門を指さす。



「それよりも、外の国……ってことは」

「そう。レファの国と同じように、この国も外に出ることは禁じておる」



 レファが語ろうとした先の言葉を、村長が継ぐ。この国もまた、レファの国と同じように国の外へと至る事を禁止していた。コズは少し不満そうにはしているが、それは決まり事として受け入れているようだ。

 しかし、レファはそこで一つの疑問を抱いた。何故、外に誰も出ることができない国同士の長が、情報を交換できているのだろうか。この国の長はレファが来ることを前もって知っていた。そして、レファの国の王は、他の国には既にレファの事を伝えていると言っていた。

 レファは生唾を飲み込み、コズを一瞥してから村長に質問をする。



「その理由って教えてもらう訳にはいきませんか?」

「生憎、私一人では決められなくてな」

「……そうですよね」

「悪く思わないでくれ、力になれなくてすまなんだな」

「いえ、仕方ありません」



 レファは心の中で小さく肩を落とした。しかし、あくまで他国のまつりごとである。いち旅人であるレファに教えてもらえるであろうことはないだろうと、期待はあまりしていなかったのが事実ではある。

 今はまだ知るべき時ではないのだろう――あるいはその時はこないのかもしれないが――こととして、レファは一度頭を切り替えることにする。



「ねぇ、それよりも、レファ。あなたの国について教えてよ!」

「えっと……」



 レファが神妙な面持ちで思案にふける中、ころっと機嫌を持ち直したコズが前のめりにレファに詰め寄った。レファはどうしていいものかわからず、言葉に詰まったまま村長の方に視線をやる。



「コズになら、いいだろう。だが、他の子ら、人には教えんでくれよ」

「わかりました」

「わーい! 秘密ってワクワクするね!」

「コズ! 声が大きい!」

「ごめんなさーい!」



 コズは両手を上げて大げさに喜ぶと、くるりとその場で一回転をしてみせた。サイドテールがふわりと舞い、花のような爽やかな香りがすっとレファの鼻を通り抜ける。コズはぴたりと止まってレファに向き直り、ウィンクをしながらひそひそ声で語りかける。



「だいじょーぶ。わたし、約束は守れるから」



 それはきっと、他の人には教えないでくれという村長の言葉に対しての物だろう。大衆が集まる場で、大声で喋っていた時点で機密も何もないのじゃないだろうかとレファは考えたが、口には出さないことにした。最初にこの国にやってきた時に守衛が、レファが外からやってきたことを知っていたように、外から来たことについては知られても問題なく、恐らく外の国について話してその内容に興味を持たれてしまうのが行けないのである。と、レファは解釈することにした。



「あ、それじゃあわたし、お水を家に持って帰らなきゃ! じゃあね、後で聞かせてね!」

「ああ、それじゃあまた」

「私たちも戻るとしようか。家内が朝食を作ってくれているだろうから」

「はい、そうしましょう」



 そして、現れたときと同じようにコズは突風のようにその場を去っていく。レファと村長は並んでそれを見送り、自分たちが何をしていたのかをたっぷり数秒考えなおしてから村長の家に戻る事にした。

 

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