第3話 最初の国

 レファは歩いた。両端を真っ黒な森に覆われた、平坦な草原の道を真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに道の先を目指して歩いた。

 太陽はいつも変わらず昇り、そして太陽が沈むと夜が来て月が現れた。その月も沈むと、また太陽が現れた。国の外でも一日はごく普通に繰り返された。

 レファは有名なおとぎ話を思い出していた。それはある種、義務教育と言えるくらいに国民に広く知れ渡った話。






 昔々、あるところに綺麗で大きな蒼い宝石がありました。

 その宝石の輝きは絶えることなく、世界を優しく包んでおりました。

 ですが、その輝きを狙う姑息こそくな一人の人間がいました。

 姑息な一人の人間は「これだけ大きいのだから、少しくらい貰ってもいいだろう」と、その宝石を削り取ってしまいました。

 それからすぐのことです。

 綺麗だった蒼く透き通った海は一寸先も見えない程に真っ黒に染まっていき、そこにはマモノが溢れかえりました。

 人々は逃げ惑い、多くの多くの国がなくなりました。

 そうして世界のほとんどは、黒い海の中に沈んでしまいました。






 レファは、幼少期からとりわけ熱心にこの話を反芻はんすうした。この話はおとぎ話ではあるが、実際にこの世界に、自分の生まれ育った国の周りには黒い海が存在していることを知っている。マモノこそレファは自分の目で見たわけではないが、国が魔法の結界で守られている事も教育で習う為に知っている事だった。

 だが、だとしたら結界で守られているのなら安全だということだ。国の外――一本道をレファはよく時計塔から眺めていたが、マモノと呼ばれる姿をついぞ見ることはなかった。それなら、何故国の外に出歩いては行けないのか。この外には、他にも生き残っている人間がいるはずなのに。レファの疑問は好奇心となり、そして今もレファの足を前へと突き動かしている。

 あるいは、この旅の果てにはこのおとぎ話の謎を解明できるかもしれない。そんな根拠のない期待をレファは胸に抱いていた。




 そうして日々色々と考えているうちに、いつの間にか振り返ってもレファの国は見えなくなっていた。振り返っても一本の道、前を見ても一本の道。レファは少しだけ不安に陥った。本当にこの先に、国があるのだろうか。

 レファが進む一本の道は不気味なほど穏やかだった。日は昇り、時間は経過しているようだが、動物などは見当たらない。それは危険と出会う可能性も低いという事ではあったが、この辺りは実は既にマモノとやらに全て食べつくされてしまったのではないかという不安も、レファの中をよぎった。

 しかし、その不安は後数刻して晴れる事となった。レファの進む道の先に、ようやく次の国が見えてきたのだ。レファは足取りを変えずに、そこへ近付いていく。やがて、ぼんやりとしてしか見えなかったその国の様子が見えてくる。しかしてそれは、国というにはいささか質素な風体をした物だった。



「こんにちは、レファという旅人です」



 レファはできるだけ意識して、人当たりの良い笑顔を浮かべた。レファの国ほどではないにしても、この国にも門が存在した。簡素な木のやぐらで囲まれた質素な門だったが、それでも幾人かの守衛がその門を見守っている。レファはそのうちの誰に声をかけるわけでもなく、全員に挨拶するような形で呼びかけた。



「レファ……数日のうちにレファという旅人が来ると村長から聞いている。歓迎しよう」



 櫓の上から声が降りてきた。その声は落ち着き払ってはいたが、少しの驚きをはらんでいるようにレファには聞こえた。

 質素な門がきしむ音を立てながらゆっくりと開く。レファはその下をくぐりながら、物珍しさに辺りを見回した。

 ここは、自分の国で言う農耕地帯によく似ている、とレファは思った。木造の建築がちらほらと立ち並び、街道はあまり整備されておらず、家と家の区画も綺麗に分けられているわけでもない。あるいは、ここは国の端っこに位置するような場所、先ほどの守衛が「村長」と言ったことから村なのかとレファは推測する。

 守衛に連れられて、村の中をレファは歩いた。途中途中すれ違う人たちは皆、珍しそうにレファを眺めていた。レファは少し気恥ずかしさを感じながらも、守衛に連れられて歩き続ける。やがて、その村の中でも少し大きい家に辿り着く。



「ここが村長の家だ。ここまでで俺たちの役目は終わりだ。まぁ、何もないが、ゆっくりしていってくれ」

「ありがとうございます」



 守衛は不愛想にそう言い放つと、村長の家の扉を大きくノックしてその場を去って行った。レファは暫くその場で立ち尽くす。数秒の後、村長の家の扉が開け放たれた。中から顔を表したのは、初老の男性であり、恐らくこの人物が村長であろうことを察するにはレファには簡単だった。



「旅人のレファと申します。我が国の王――」

「ああ、大丈夫。聞いている、聞いているさ、レファ君。君を歓迎するよ。どうぞ、中に入って」



 レファが言い終えるより早く、村長は柔和にゅうわな笑みを浮かべてレファを中へと招き入れた。指定された位置に荷物を降ろし、居間の木製のイスに腰を下ろして人心地つけたところに村長の妻と思しき初老の女性が、飲み水の入った木製の器を運んでくる。レファは椅子に座ったまま礼を述べると、器の中の水を飲んだ。自国の水より、少し甘い気がした。



「改めて、歓迎するよレファ君。我が国へようこそ」

「国――ですか」

「ああ、そうか。君の住んでいる国はもっと大きいんだったか。心配しなくていい、ここも小さくて慎ましいが、立派な国だよ。とはいえ、あまりにも小さいから、皆村だ村だと言ってるけれどね」



 村長は薄い皺の入ったおもてを、くしゃっと笑顔にしておどけてみせた。

 国。そう認められたことによって、レファはついに外の世界にやってきたのだと実感をする。一本道の先に、確かに国はあった。王の言うとおりに、国は存在していた。



「旅で疲れただろう。暫くはゆっくりしていくといい。寝泊りは、うちの部屋を使ってくれて構わん。国を見て回るなら、好きに見て回ってくれればいいが、もし旅立つ気になったら声をかけてくれ。私たちも準備を手伝おう」

「ご厚意、痛み入ります」

「よせよせ、固くならんでいい。我が家だと思って、気楽に過ごしてくれればいいさ。なんせ、こんな小さな国だからね」



 村長は機嫌がよさそうに笑うと、レファの肩を叩いた。つられてレファが笑うと、村長はより一層機嫌が良さそうに笑った。



「では、お言葉に甘えて。歩き詰めで疲れてしまったので、今日は休ませて頂きます」

「わかった。家内が部屋まで案内するよ」

「こっちよ、レファ君」

「はい」



 旅の荷物を持ち、椅子から立ち上がる。村長の妻の後について、二階への狭い階段を上る。



「一生懸命掃除したんだけどね、汚くてごめんね」

「いえ、素敵です」



 そこは屋根のすぐ裏にある部屋だった。簡素なベッドと、木製の家具がある程度揃えられ、夜の灯り用に蝋燭ろうそく立てがいくつか置いてある。必要最低限に近い寝泊りの道具しかなかったが、レファはむしろ十分だと思った。長い今までの道のり、草原の上に敷いた布の上で寝ていたのに比べれば楽園のようにまで見える。

 レファを部屋へ送り届けると、村長の妻は階下へと降りて行った。レファは床に荷物一式をドサリと置くと、靴を脱いでベッドに横になる。敷布団の優しい弾力がレファの身体を包み込んでいく。



「明日は、国を見て回ってみよう……か……」



 呟いた言葉は夢うつつに呑まれていく。

 まだ、陽は傾きかけたばかりだが、レファは長旅の疲れからかこの日すぐに眠りに落ちてしまった。

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