第四十八話:歓びの幼馴染

「ねね、須賀すがくん」


 あずさとの挨拶あいさつを終えたおれたちはどこかでお昼ご飯を調達しよう、と校舎に戻った。


「ん?」


 なぜか少し頬を赤らめた小佐田がうつむき気味に聞いてくる。


「さっきの梓ちゃんのって……どう言う意味かな?」


「どう言う意味って? 何が?」


「『惚れさせる』って……やつ……」


「いや、言葉のまんまだろ」


「ええっ!?」


 小佐田が身体からだ全体を跳ねさせる。その驚きっぷりを見て、『ああ、そういうことか』と理解する。


「言っとくけど、あれ、告白とかじゃねえよ」


「え、そなの?」


「ただ単純に、『ダンスもっと上手くなってその『女だったら』って仮定かていも外してやるぞ!』っていうくらいの意味で。小学生くらいの時のリレーかなんかの時も1位でゴールした時『次は蓮の一番になってやるぞ!』って、さっきとおんなじ顔して言ってたしな」


「そんなの、そのときも告白だったかも知れないじゃん……!」


「いや、そのあと本当に借り物競走で一番でゴールしたんだって。おれが、みんなの持って来たお題をチェックする係だったんだよ」


 ちなみにその時のお題は『同じクラスのお友達』で凛子りんこを連れて来たのを覚えている。


「何そのとってつけたようなお話……」


「いや、事実だったんだから仕方ないじゃん……」


 その後もしばらく納得いかない様子の小佐田だったが、1年3組に着いて一緒に梓の作った(であろう)タピオカミルクティーを飲んだら『おいしい!』とすっかり機嫌きげんを直し、そのあとも謎解きを進めたり、校内放送で小佐田のクラスメイトががたりしたりするのを聞いたりして、時間を過ごした。


「あ、須賀くん、そろそろ器楽部だよ」


 スマホの時計を見て声をあげた小佐田にしたがって、2人で体育館に向かう。


「おお……」

「すっごい人だね……!」


 先ほどのダンス部もかなり人が入っていたように思うが、それ以上の大入おおいりで驚いた。


「なんでこんなに人がいるんだ?」


「んーとね、この公演で器楽部の今の2年生は引退だから、最後の演奏会なんだって。吾妻あずま先輩も今日で引退」


「なるほどなあ……」


 友人や家族の晴れ舞台を観にきた人たちで溢れているのだろう。


 ところせましと並べらた椅子の上には、今日のために作られたであろうパンフレットが置いてある。


 席に着きながら開いて、感嘆かんたんの息をらした。


「おお……! これ、小佐田おさだが撮った写真か」


「うんっ!」


 満点の笑顔でこちらにうなずく小佐田。


 改めてパンフレットに視線を戻すと、各部員の写真と共に紹介文が書いてある。


 例えば吾妻さんのところには、『器楽部歴代、最強の鬼部長! 鬼のように練習熱心で、鬼のように上手くて、鬼のように厳しい! もう、部長にはついていけません……なんて嘘です! 一生ついていきます、ついていかせてください!! 器楽部歴代、一番愛されている部長です!(異論は認めない!)』と書いてある。


 愛されてるんだなあ、吾妻さん。


 それもそうだろう。あの凛子りんこに『あの人のためだったらこの部活がどんなに辛くても乗り越えられる』と言わせたほどの人だ。凛子がおれや梓以外に心を開いたところなんか見たことがないのに。


 さて、そんな凛子のところにはなんて書いてあるんだろうか、と視線を移すと。


 その完璧すぎるスマイルの脇に、


『冷静沈着、たまーにお茶目な、みんなを導くパーフェクトレディ! いつだって余裕がある笑顔は崩れない! たまには泣いたっていいんだよ? 器楽部の未来は君に任せた! 満場一致で選ばれた次期部長!』


 と書いてあった。


「凛子ちゃん、次期部長なの!?」


「そうらしいなあ、相変わらずすげえよ……。満場一致だってさ」


 それにしても、『たまには泣いたっていいんだよ?』ってコメント、いいな。凛子の泣き顔なんか、おれも見たことがない気がする。怒り顔ならあるけど。


 なんだか面白くて他の部員の欄も読んでいると、照明が落ちる。


「はじまるねっ」


「そうだな」


 舞台の幕が上がり、


「みなさんこんにちは! 器楽部です!」


 吾妻さんの挨拶から、器楽部の公演が始まった。




 約一時間後。


「っぐ……、れん、ぐんっ……!」


「あれはやばいな……」


 泣きじゃくる小佐田と、涙を見せるものかと必死でこらえるおれの姿がそこにあった。


 理由はたった一つ、器楽部の演奏が素晴らしかったせいだ。


 なんと形容するべきだろうか。


 音楽にほとんど触れてこなかったおれには、正直、その演奏が上手じょうず下手へたかはおれには分からない。


 だが、とにかく青春のかたまりを音にしてぶつけられたような感覚が走っていた。ああ、そうだ、音って空気の振動だったな、と改めて認識させられるほどに身体からだじゅうこころじゅう、そのすべてを揺さぶられるような、そんな何かだった。


『ありがとうございました! これが、あたしたちの青春そのものでした!』


 そう最後に叫んだ吾妻さんの声が今でも頭の中にこだましている。


 さすがの凛子も、泣きはしなかったもののその綺麗な瞳をうるうると輝かせてじっと吾妻さんのことを見ていた。というかむしろあれで涙を流さない凛子は、何があったら泣くんだろうか。


 まともにそのエネルギーを食らったおれと小佐田はしばらく席を動けずにいたが、十分後くらい、なんとか身体を動かして外に出る。


 すると、出入り口付近で、


「あら、れん君、小佐田さん」


 さっきの舞台上での潤んだ瞳はどこへやら、平然とした顔をした凛子に声をかけられた。


「あぅ、凛子ちゃぁん……!」


「まあ、小佐田さん泣いちゃったの? もう、憎めないなあ」


 あはは、と笑っている凛子と小佐田、どっちが器楽部員かわかんないな。


「蓮君も、普段見られないような顔してるねー? 私たちの演奏が素晴らしすぎちゃった?」


「ああ、本当によかった……」


「ええー、ちょっともう、私は意地悪言ってるんだから、そんな素直にならないでよ。私が性格悪いみたいじゃない……」


 すこし不満げな息を吐いてから、少し声を落として、


「……ところで、蓮君、ちょっといい?」


「どうした?」


「ちょっと、これから体育館の倉庫で1人で泣いてる吾妻部長にこれ持っていくんだけど、付いてきてほしいの」


 これ、と言って缶のカルピスを一つ胸元にかかげた。


「倉庫で1人で泣いてる……? カルピス……?」


「演奏終わった後、舞台ぶたいそでで吾妻部長泣きすぎちゃって、ちょっと息できなくなっちゃって。このあと部長最後の挨拶しないといけないんだけど、『みんなの顔見ると込み上げちゃうから!』って、みんなの片付け終わるまで、こもっちゃったんだよ。カルピスは、吾妻部長が好きだからってだけ」


「うおお、すげえな……」


 そんなに人って泣くのか、と思ったものの、大した事前知識もなく観ている方でこれだけ感情を揺さぶられたのだから、当然なのかもしれない。


「……で、なんでおれがついてくことになんの? おれが一緒にいったら意味わかんなくない?」


「うん……だから、近くで隠れて聞いてて欲しいの。私、しっかりしてないといけないから。蓮君が聞いてると思ったら、多分、しっかり出来るから」


 凛子の瞳が揺れる。


「どういうこと?」


 質問ばかりで申し訳ないが、いまいち分からないから仕方ない。


「だから……次の部長の私がしっかりしてるとこ見せないと、吾妻部長が安心して引退いんたい出来なくなっちゃうでしょう? だから……」


「『さようならドラえもん』かよ……まあ、いいけど」


 ようやく理解したおれは、頬をかきながら承諾する。


「ねね……須賀くん」


「ん?」


 小佐田がおれのすそをきゅっと引っ張る。


「わたし、どっかそこらへんにいるから、終わったら電話して?」


「おう、そうか……?」


「小佐田さん、ごめんね」


「いいのいいのっ! 凛子ちゃん、頑張ってねっ!」


「うん、ありがとう」


 ニコッと笑うと、たたたっと小佐田は去っていく。


「あれだけ可愛くて、天真てんしん爛漫らんまんで、成績優秀で、しかも空気が読めるとか、かなわないよねえ、小佐田さん」


「そうなあ……」


「あ、吾妻部長の口癖」


 凛子は楽しそうに微笑んだ。





 倉庫の引き戸をがらがらと開けて、凛子が入っていく。おれは、その扉を背に立った。


「吾妻部長、泣きみましたかー? はい、こちら、差し入れです」


「ああ、ありがとう……。さすがよく分かってるなあ凛子は……カルピスは青春の涙と同じ成分で出来てるから……」


「カルピスにそんなキャッチコピーはないと思いますけど……」


 凛子が苦笑気味の声を出す。ゴクゴクと、吾妻さんがカルピスを飲んで、一息ついた。


「はー……ありがとう、だいぶ落ち着いた……。それで、凛子はどう? 次期部長。緊張する?」


「そうですね、吾妻部長は仕事が出来るので、後任こうにんは荷が重いです」


「あはは、顔に嘘って書いてある」


「そんなことないですよー?」


 棒読みで冗談っぽく返す凛子に、吾妻さんは、


「そんな、別の嘘・・・ついて誤魔化ごまかさなくていいのに」


 とつぶやく。


「……なんのことか分かりません」


 一瞬ののあと、同じ声音こわねのまま凛子は返した。



「ねえ、凛子?」


「なんですか……?」


 ふわっとした声で、吾妻さんは続ける。






「たまには泣いたっていいんだよ?」






 それは、パンフレットに書かれた、部員からのメッセージと同じで。


 凛子の声がわずかに揺れそうになる。


「何を、言ってるんですか。そんなわけにいかないじゃないですか……。私は、ここで泣いたりしちゃ、駄目なんです……!」


「んー? どうして?」


 なんとかこらえようとしている凛子に、優しく吾妻さんが問いかける。


「私はしっかりしてて……冷静沈着で、凛としてて……! だからこそ、そんな私をみんなは部長に選んでくれたんです。だから、その期待を裏切るわけにはいきません……!」


「ふーん?」


「私は、そういう私でいないと駄目なんです。じゃないと、きっとみんなに幻滅げんめつされちゃいます」


 おれは凛子の使う『期待』という言葉ににそっと思いをせる。


 みんなの望む『凛子』と、素の自分。


 どちらに合わせても、前者なら『いい意味』で距離を置かれ、後者なら『悪い意味』で距離を置かれるだろう。


 それを考えた結果、前者を選び続けてきたのが、凛子のこれまでの人生なのだ。


 吾妻さんはふうー、と息をいて、


一説いっせつによると、あたしは人の表情が読めるらしいじゃん?」


 と演技がかった声で話し始めた。


「はい……そうですけど……?」


「そんなあたしは、凛子が隠してるつもりのことで、知ってること結構あるわけ」


 そっと、優しく語りかける吾妻さん。


「凛子は堂々としてるふりして恥ずかしがり屋だし、冷静な顔してすっごくヤキモチ焼きだし、しなやかなふりして我慢してるだけだし、『1人が楽』みたいな顔してるのにみんなのこと大好きだし、」


「……吾妻部長、やめてください」


「それで、笑顔が上手だけど、ほんとはこんなに泣き虫だもんね?」


「そんなこと、ないですってばあ……」


 凛子の声が震え出す。


「それでね、凛子。こっからがサプライズ。凛子は全然気づいていないみたいだけど」


「はい……?」


 吾妻さんは、少し鼻をすすって、へへ、と笑う。





「今言ったこと全部、あたしだけじゃなくて、器楽部の全員が知ってるよ?」





 その音葉に、凛子が大きく息を呑んだ。



「そんでね、そんな凛子に器楽部を預けたいって、青春を預けたいって、全員がそう言ったんだ」


 震える声でもう答えられない凛子に、吾妻さんはそれでも続ける。


「あたしだってそうだよ。ねえ、凛子、あたしにとって器楽部が何だったかって知ってるでしょ?」


「『青春のすべて』……ですか?」


「そう、それ」


 吾妻さんは、しっかりとうなずいたのだろう。


「あたしは、本当に大切なものも、本当に大切な思いも、本当に大切な人にしかたくさないんだ。だからさ、」



 吾妻さんは、震えそうな声を押さえつけるように、しっかりと発音する。



「器楽部のこと、凛子にお願いしたいんだ」


「吾妻、部長……これ、以上は……」



 きぬれの音がする。吾妻さんが凛子を抱きしめたのだろう。

 

「凛子、もっと笑っていいよ。もっと泣いていいよ。取り繕わなくていいよ。こんなこと言ったら気持ち悪がられるんじゃないか、とか、距離を置かれちゃうんじゃないか、とか、考えちゃうけど、それもわかるけど、でも、いいんだよ。絶対、大丈夫。そんな凛子をまるごと大切にしてくれる人がいるから。あたしが言うんだから、間違いない」


「あずま、ぶちょう……!」


 ああ、もう、駄目だ。


「行かないでください、あずまぶちょう……!」


「あたしも、行きたくないなあ……」


 涙腺るいせんは完全に決壊した。


「引退しないでくださいよぉ……、また、明日からも、『器楽部はあたしのすべてなんだ』って笑ってくださいよぉ……、『死ぬ気で青春しなさい』ってしかってくださいよぉ……!」


「そうだね、そう出来たらいいのにね」


「ヤキモチ焼いて顔赤くしたり、図星ずぼしつかれて、ほっぺをピンクにしたり、肝試しで怖がって青ざめたりしてくださいよぉ……!!」


「あはは、あたしの顔、カラフルだなあー……」


 吾妻さんの声も震え始めた。


「部長は、厳しいし、怖いし、青春とか、そういう変なこといつも言ってて、理路りろ整然せいぜんとしてないし、してないのに、」


「うん、うん」


「本当に、本当に、最高の部長でしたぁ……!」


「あははー、そう言われる部長になれて、本当に、良かったなあ……!」


 そこから先は、もはや声にもならない。


 泣きませにそこにいったんじゃねえのかよ、とおれはボロボロ涙をこぼしながら思う。


 ややあって、


「ねえ、凛子」


 吾妻さんがまた、凛子を呼ぶ。


「はい……?」


 そして吾妻さんは、極めてシンプルな言葉で、本当に大切なものを大切な人に託すのだった。





「器楽部を、よろしくね」




「はい……!!」


 もう限界だ。おれはなるべく音を立てないようにそこから立ち去る。


 去り際、一瞬だけ振り返り、その扉の隙間から見えた2つの輝く笑顔。





 初めて見た凛子の涙が、こんなに綺麗な涙で、本当に良かったと、そんなことを思った。

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