第三十七話:幼馴染にありがとう

「あ、須賀すがくん、あの本!」


 何かを誤解して部屋に飛び込んで来たあやがまだぜえぜえと息を切らしている中、小佐田おさだ無邪気むじゃきにおれの机の上に立てかけてある本を指差した。


「ねえお兄ちゃん、この人全然日本語通じないよ!?」


「そういうやつなんだよ。成績はいいらしいけど。適度てきどなところであきらめた方が体力を削られないで済む」


 おれは、小佐田初心者の綾に懇切こんせつ丁寧ていねいにレクチャーしてやる。


「うん、ていうか、この人相手にそういう気を起こすことが無理そう……」


「さすがおれの妹、飲み込みが早いな」


「はあ、じゃあいいや……。うち、部屋に戻ってるから、変なことしないでね……疲れた……」


 み上がりのおれよりもぐったりとした綾が部屋に戻っていく。


「……で?」


 おれと妹のやりとりを、本を指差したポーズのまま律儀りちぎに待っていた小佐田に水を向ける。


「ねね、机の上の本、見てもいい?」


「あれは、まあ、いいけど……」


「ありがとっ!」


 ニコニコ笑顔で、卓上の本棚に唯一ゆいいつ立てかけてある本を小佐田が手に取る。


 その本の名前は『最後の手紙』。


 あらすじはシンプルで、「小学生の男子2人|(ツバサとユウスケ)が図書館にあった本に手紙を挟んで本棚に戻し、その返事をまた本に挟んで、お互いの姿を知らないまま文通する」というもの。


 物語は、ツバサが引越しをする時にツバサから送られたはずの手紙が何者かにかすめ取られてしまっているシーンで終わってしまい、『彼からの最後の手紙には、なんと書いてあったのだろうか?』という一文でしめくくられている。


 いわゆる、リドルストーリーという形式の物語である。


 小佐田はパラパラとその本をめくり、優しい表情になる。


「須賀くん、昔、国語の授業中にこの本の話してたことあったよね」


「ちょっと待て、その話は……!」


 おい、やっぱりそっちの話も覚えてんのかよ……!


「ん?」


 小佐田がこちらを見て首をかしげる。おれは手のひらを小佐田に向けた。


「その話は、やめよう。おれは、さっきの図工ずこうの授業の話じゃなくて、その話がおれの黒歴史だと思ってたから……」


 すると、小佐田の声のトーンがすっと落ちる。


「……そんな風に思ってたの?」


「ああ、だって、あんなことをみんなの目の前で言って、現にあんなに笑われて……」


「蓮くん、それは違うよ」


 小佐田は強い眼差まなざしで、首を振る。


「わたしはあの話をそんな形で吹聴ふいちょうしたりなんか、絶対にしないよ」


* * *


 小学2年生の時の話だ。


 夏休みが明けて少し経った頃のその国語の時間は、読書感想文を発表する時間だった。


 先生が「誰か、自分のを読みたい人?」と、全体に呼びかける。


 通常であれば誰も手をげず、日付かなにかでランダムに選ばれた生徒が罰ゲームのような感覚で読みあげるものであろう。


 だが。


「はい!」


 自分の国語力とその文章自体に自信のあった当時の須賀すがれんは、ピンと手を挙げたのだ。当然指名された須賀少年は堂々と立ち上がり、力作りきさくを読み上げる。


 結果的にいうと、おれが読み上げたのは読書感想文ではなかった。


 おれが読み上げたのは、端的たんてきにいうと、『ラブレター』のたぐいだった。




 夏休み、図書館に連れていかれて『最後の手紙』を読んだおれは、その物語のメインテーマである「図書館の本に手紙を挟んでの文通」というものに感化され、その場で司書ししょさんに何かのプリントの裏紙うらがみをもらい、一生懸命書いた手紙を『最後の手紙』の最後のページに挟んだ。


 一週間後、母親にせがんで図書館に連れていってもらうと、その手紙には返事があった。


『最後の手紙』の中では、男子同士の交流だったが、おれの手紙に返事をくれたのは、女子だった。


 多分、頭のいい人だったと思う。中学生ではないだろうが、おそらく小学校低学年ではなかっただろう。


 だが、返事は受け取ったものの、その文通は始まることはなかった。彼女はもなく引越しをするから、この文通は続けられないということと、この手紙で終わりにする旨が書かれていた。


 最後の手紙の正確な文面は覚えていないが、


『せっかく出会えたあなたと文通できないのもさみしいし、ずっと一緒にいてくれるはずだった友達と離れ離れになるのもさみしい。まだここにいられるなら、わたしはあんなことやこんなことがやってみたかった。転校先で、自分はうまくやっていけるだろうか、不安だ』


 というようなこと書かれていた。『あんなことやこんなこと』のところには、やりたかったことがいくつも列挙されている。


 それだけのやりとりだったが、当時のおれにとっては相当の衝撃だったのだろう。本の中のようなことが、本当に起こるなんて、と。


 読書感想文と称して、おれは本の内容にはほとんど触れず、そのやりとりがあったというエピソードと、その時に立てた2つの誓いを、原稿用紙にぶつけた。


 1つは、『転校生がきたら必ず優しくする』ということ。


 そして、もう1つは。

* * *


「その時に、蓮くんが言ってたこと、わたし覚えてるよ」


 小佐田は、懐かしそうに笑う。


「覚えてるなよ……」


 今思い出しても、顔から火が出そうになる……。


 それでも、小佐田はその先を続ける。




「『ぼくが、その子の分まで生きていきます』って」




「うわあ……」


 小佐田劇場を聞いた後のような声が漏れた。


 なんなんだそれ……。ほとんどその子のこと殺してるじゃん……。


 そのラブレターもどきが教室中に爆笑のうずを巻き起こし、先生は謎に花丸はなまるをくれたものの、おれはそれ以来、自分のそういった、多分ロマンチストだとか言われる部分を恥ずかしいと思って隠すようになった。


「小佐田さん、改めてお願いがあるんですけど」


 おれはベッドの上に正座する。


「なぁに?」


 小佐田はくりっとした瞳をこちらに向けて小首をかしげた。


「どうか、このことは誰にも言わないでもらえますか……? 幼馴染研究でもなんでもしますので……!」


「これって、そんなに恥ずかしいことかな?」


「恥ずかしいだろ! 小佐田だって笑っただろ? あの時」


 キョトンとしている小佐田におれは前のめりに抗議する。


「わたしは、そうだなあ……」


 唇に指をあてて、んー、と声を漏らした後。


「まあ、笑っては、いたかも」


 となぜか優しく微笑ほほえんだ。


「おれがあの後あの話を封じ込めるのにどれだけ苦労したと思って……」


「たしかにあれから蓮くん、違う人みたいになったもんねえ……」


「見てたならわかるだろ……?」


 次の春まで同じ学校に通い続けていた小佐田は、そのことをよく知ってくれているらしい。


「うん、わかったよ。というか、この秘密はわたしと蓮くんを幼馴染にしてくれてるもの、だもんね?」


 意味ありげにニヤッと笑う小佐田。


「それでいいから、頼むわ……」


 きっと、小佐田はこの話を誰にもしないでいてくれるだろう。この異常な幼馴染狂いのおかげで、幼馴染に関係することだけは信用できる。






「じゃね、須賀くん」


「おう……」


 お見舞いに来たのか、黒歴史をお見舞いに来たのかわからないが、小一時間ほど過ごした後、小佐田がニコッと笑って帰っていった。




 それから数分してから、


「お兄ちゃん、何もしてないよね……?」


「なんもしてねえよ……」


 部屋から出てきた綾に答えると、インターホンが鳴る。


「また……!? 今度は誰!?」


 綾に苦労をかけさせっぱなしである。


 綾が玄関の扉を開けると。


「おー、蓮、風邪は大丈夫か……? 綾、漫画返しにきたぞ……」


 入って来たのは、妙に真面目な顔をしたあずさだった。


「え? あ、そっか、うん……」


 綾が一度首をかしげてから『もう一度、恋した。』を数冊受け取る。


 梓はその間もなぜか神妙な顔をしている。


「梓、どうした……?」


「なあ、蓮。あたし、大変なことに気づいちまったかも知んねー……」


「何が……?」


 すると、梓は、綾の抱えている漫画を指差して、言い放った。





これ・・書いたの、菜摘なつみじゃねえか……?」

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