第三十六話:キリキリ幼馴染

「幼馴染研究、やめよっか?」


「はあ……?」


 突然の小佐田おさだの提案に、何故なぜだろうか、頭が真っ白になる。


 そんなおれにも気づかず、小佐田は続けた。




「学園祭まで、だけど。……あれ? どしたのその顔?」




「はあ……」


 先ほどと同じ台詞せりふは、これも何故だろうか、安堵あんどのため息に変わる。


「なんだ、今週末までか……」


「あれ、どしたの須賀くん?」


「なんでもねえよ……」


 まさか幼馴染研究が続くことに安心したなんて、そんなことを口に出せるはずもない。


「あれれ、もしかしてやる気満々だった? そんな顔しても、ダメだよ?」


「んな……!?」


 小佐田にたしなめられてる現状が理解不能すぎて、抗議こうぎがまともな形をとらずに喉から漏れ出る。


「わたし昨日反省したんだ。やっぱり、須賀すがくんの身体に負担になっちゃってるんだなって」


「いや、だから、それは別に関係ねえって……帰ってからの夜更かしがたたっただけで」


 おれが頬をかくと、小佐田がおれの机の上のパソコンをちらと見てから、


「ううん。わたしとの幼馴染研究があると、本当は帰ってるはずの時間に帰れなくて、それで夜更かししちゃうんだよね? そのための帰宅部なのに」


 と言った。


「小佐田、もしかして……」


「わたしね」


 おれが言いかけるのを、小佐田がさえぎった。


「須賀くんに、絶対に写真部の学園祭の展示を見て欲しいんだ。だから、体調治して欲しくて」


「そう、か……」


 なるほど、そういう理由か。目の前では小柄な女子がうんうん、と小刻みにうなずいている。


「写真部も、やっぱり、小佐田にとっては青春のすべてなのか?」


「青春のすべてって、なぁに?」


 ほけーっと首をかしげる小佐田に、おれもたいがいおかしいことを言っているな、と苦笑いが漏れ出る。


「いや、すまん。器楽部の部長さんが部活が青春のすべてだって言ってたから」 


「あぁ、吾妻あずま先輩! んー、青春のすべて、っていうのとは、ちょっと違うかもだけど、」


 そこまで言ってから、照れくさそうにうつむいて、


「でも、わたしの大切なものを展示するんだ」


 と、はにかむ。


「だから、体調崩さないようにして? ねっ」


「わかったよ」


 おれはしっかりとうなずきを返した。どちらにせよ学園祭は凛子りんこの器楽部も見なくちゃいけないし、ちゃんと行くつもりだ。


 少しだけ穏やかな沈黙ちんもくが流れたあと、


「あ、そうだ! そういえば、おかあさんからすごいこと聞いたよ!」


 パン、と小佐田が手を叩く。


「ん? 何?」


「今、須賀くんが持ってるそれの話!」


「おお、りんごと生姜のお湯?」


「そうそう! わたしと蓮くんは、ちゃんと幼馴染だったの!」


「何それ……?」


 おれが訊くと、「あのねあのね、」と子供のように話し始めた。


「今日の朝ね、須賀くんから電話もらってから、お見舞いのためにそれを作ろうと思ってキッチンにいたの。そしたら、『あら、なっちゃん。具合悪いの?』っておかあさんが話しかけてきて。『ううん、違うよー。蓮くんに作っていくんだよー』って言ったら、おかあさんが『え? それは必要ないんじゃない?』っていうの。『えー、どうしてー? 具合悪いときはこれだよ! りんごと生姜のお湯!』『うん、それは知ってるけど』」


 え、小佐田劇場みたいなの始まってる? 大丈夫かこれ? 妄想じゃなくてちゃんと事実?


「そこでおかあさんからの衝撃の一言だよ!」


 そこで落語だか講談だか分からないが、じっと動きを止めて、充分にタメを作って言った。




「『だって、そのレシピ、蓮ちゃんママから教わったんだもん』」




 なるほど、やっぱりか……。


「ねね、すごくないっ!?」


「おう……」


「ええっ!? 反応薄すぎませんか!?」


「なんで敬語だよ」


 昨日今日の情報から、おおよそ、そんなことだろうと予想はつきはじめていた。


 どちらかというと、分からないのは。


「その先は?」


「ほぇ?」


「なんで、うちのレシピが小佐田家に渡ったのかってこと」


「どしたの? 須賀くん、興味津々きょうみしんしん?」


「……気にはなる」


 おれがそういうと、ふわぁーっと顔を輝かせる。


「うんうん、教えてあげるっ! なんかね、わたしのおかあさんが、仕事が長引いちゃって、どうしても幼稚園のバス停へのお迎え間に合わなかった時に、同じバス停の須賀くんのおかあさんが少しだけ預かってくれたんだって」


「なるほど、それで?」


「うへへ、須賀くんが前向きだ」


「うるさい、次早く」


 おれは先をかす。


「それでね、わたしタイミング悪すぎるんだけど、その時体調崩しちゃったらしくて……もしかしたら他の人の家で緊張しちゃったのかも」


「ほう」


「それで、わたし、吐いちゃったんだよ! 須賀くんで」


「吐いちゃったの!? この家で!?」


「わあ須賀くんが盛り上がった! そうなの! ごめん!」


 謝ってるくせに、瞳を輝かせている。もっと本腰ほんごし入れて謝れ。


「それで、具合悪くしてるわたしに須賀くんのおかあさんがりんごと生姜のお湯作ってくれたんだって。わたしはその味が気に入って、次から、うちのおかあさんに具合悪くなった時にせがんだらしいんだよ」


「うわあ……」


 その話を聞いて、うっすらと、記憶がつながりかける。


 そして。


「……う」


 何かが逆流しようとしてくるのをぐっとこらえた。


「須賀くんっ!?」


「分かった、おれのりんご苦手は小佐田が原因だったのか……」


「ほぇ? というか、須賀くん、りんごニガテなの?」


「りんご苦手なんだよ。いや、たしかな記憶じゃねえけど、おれ、多分、その小佐田の吐瀉物としゃぶつを」


「としゃぶつ!」


「難しい言葉だからって繰り返すな、汚い」


 お前は平沢ひらさわゆいか。


「とにかく、吐いたやつを見た直後にりんごを見て、それで……うっ」


「ちょっと須賀くん、大丈夫?」


 小佐田がおれに寄り添って背中をさすりはじめる。


「おい……この、何も受けるものがない状態で背中をさするな……」


「わ、ごめん!」


 パッと小佐田が手を離す。


「またあの時みたいに、わたしにかかっちゃうね」


 えへへ、と笑う小佐田。


「ちょっと待て、このタイミングで新情報を出すな。あの時? なんだその話?」


「ほえ? 何って、わたしが握っている唯一の弱みの話だよ?」


「なん、だと……?」


 弱みというのは、おれが幼馴染研究に付き合わされている理由。『してくれないなら、あのこと、言っちゃうよ!』の『あのこと』のことだろう。


 だけど、それは……?


 おれが混乱していると、小佐田が指をふりふり説明し始める。


「小1か小2の図工ずこうの時間に、先生が『りんごを書きましょう』って言って持ってきたりんごを見てたら、なんか蓮くんがいちゃって、その時目の前にいたわたしにかかった話だよ」


「なんだそれ……!?」


「だからー! 蓮くんが写生しゃせいした時に、わたしにかけたじゃん!」


「ちょっと、お兄ちゃん!?」


 隣の部屋からあやが飛び込んでくる。


「あ、ていうか須賀くんのりんご嫌いがわたしのせいってことはあの弱みもわたしのせい!? うわぁ、壮大なマッチポンプだぁ……」


「ちょっと、聞いてる!?」


「……なんてこった」


 阿鼻あび叫喚きょうかんに包まれた目の前を見ながら、別のことで頭を抱える。




 ……その弱み、おれが思ってたのと違う!

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