第三十五話:旅立ちの幼馴染に

「そろそろ起きて、お兄ちゃん」


 翌日。


 あんじょう1日経っても熱が下がらず、学校を休んでいたおれがあやに揺り起こされて目を開くと、オレンジ色の日の光が部屋に差し込んでいる。


「夕方か……。綾、部活は……?」


「もー、お兄ちゃんの具合が悪いから休ませてもらっちゃったよ」


「なんて出来た妹なんだ……。……ていうか、ごめんな」


「はいはい、そういうのいいから」


 あきれたように息をつかれてしまう。結構本気で言ってるんだけど。


「はい、これ」


 そう言って綾がマグカップをこちらに差し出してくる。


「おお、ありがとう……」


 おれは身体からだを起こし、甘い匂いのするその飲み物をすする。



「……ん?」



 その飲み物からは、



「……これ、りんごと生姜しょうがのお湯?」



 つい昨日きのう飲んだ飲み物と同じ味がした。

 


 おれがくと、綾は「あっ」と声をあげる。


「あ、そっか、お兄ちゃん、りんごダメなのか。ごめんごめん。うちの具合悪い時はママがいつも作ってくれるから須賀すがの定番だと思ってた」


「これ、須賀家うちの定番なのか……?」


「そうだよう。ママの手作りレシピ、見たことない? まあ、うちはもうレシピも見ないで作れるけど」


 ふふん、と小さく胸を張る綾。


「へえ、これ、レシピなんかあんの?」


「うん。元々はママの目分量めぶんりょうで、ママの頭の中にしかなかったらしいけど、なんかの時、友達かなんかに聞かれて、書き出したみたいなことを聞いたことがある」


「へえ……」


 なんだろう。寝起きかつ風邪っぴきの頭には、少々難しい問題が提示されている気がする。


「えーと……、これって、結構珍しいものなのかな?」


「うーん、それなりに珍しいんじゃない? うち、小学生の時、どの家でもこれ飲むんだと思ってて『風邪の時あるある』みたいな感じで友達と話してたら誰も共感してくれなくてびっくりしたことあったもん。プリンとかリンゴのウサギとかはよく言うけどね」


「そうだよな……。なあ、その、母さんの『友達』ってさ、」


 そこまで言いかけたちょうどその時、『ピンポーン』とインターホンが鳴る。


「はあーい」


 綾がそそくさと立ち上がり、玄関げんかんへ向かった。


 残されたおれはもう一口手元の飲み物を飲む。うん、やっぱり同じ味だ。


 つながりそうでつながらない回路に首をかしげていると、綾がほんの少し不機嫌そうに部屋に戻ってきた。


「お兄ちゃん、お見舞いだって」


 その背中からひょこっと顔を出したのは。


「須賀くん、こんにちはっ。えっと……来ちゃった?」






「隣の部屋にいるので、なんかあったら言ってください。ちょっとした物音も聞こえる、うすーい壁だけをへだてたすぐ隣の部屋にいるので」


「はぁーいっ!」


 小佐田から手土産てみやげを受け取った綾が憮然ぶぜんとした表情で扉を閉めて部屋を出て行く。


 それに対してなぜかへらへらと笑って見送った後に、


「あやちゃん? カンペキな妹さんだね!?」


 と、前のめりに瞳を輝かせてくる。


「なにが……?」


「これだよこれっ!」


 小佐田は嬉しそうに、いつになくパンパンのカバンからノートを取り出し、その1ページ目を開いて見せて来た。


 小佐田の指差したところには、


『妹ちゃんと仲良し!(でも妹ちゃんはお兄ちゃん好きだからヤキモチ妬かれちゃったりする)』


 と書いてある。ああ、そんなのもあったな……。


「小佐田、別におれの妹と仲良くないじゃん」


「そう、それなんだよね……」


 と一瞬だけ顔を曇らせたあと、くるりと表情を変えて二ヒヒと笑う。


「でも、お兄ちゃん好きだからヤキモチ妬いてるんでしょーっ?」


「いや、そういうんじゃないと思うけど……。別に嫌われてはないけど、ブラコンてわけでもねえし」


 真実はただ単純に、凛子りんこに『小佐田菜摘に気をつけろ』的なことを言われてたからってだけだと思うけど、さすがにかわいそうなので言わない。


「ふーん、そかな?」


 首をかしげている小佐田に、おれはそっと頭を下げる。


「ていうか、今朝けさ、ごめんな」


 今朝、学校にいかないと判断した時点で小佐田に電話を入れていたのだ。別に約束をしているわけではないが、さすがに今朝けさも迎えに来てくれるであろうことくらいは予想できる。


「ううん、わ、わたしの方こそごめんねっ……?」


 小佐田が恥ずかしそうに顔を赤くして髪の毛をくしくしといじり始めるので、おれもその電話を思い出した。


* * *


「もしもし、小佐田?」


『むむー……? れんくんー? そぉだよぉ、なっちゃんだよぉー』


「お、おう……寝起きにごめんな」


『ぜんぜんだよぉー。どしたのぉー? こんなあさはやくに、でんわくれるなんてー。それも、れんくんが……え、れんくん!?』


「はい、そうですけど……」


* * *


「記憶から消してくださいっ……!」


「いやー忘れがたいな……」


「もう、『わすれがたきふるさと展』じゃないんだからっ!」


「何それ……?」


 意味不明、支離しり滅裂めつれつ。そんな展示がどこかにあるの? おれが知らないだけ?


「でもね、朝一緒に行けないとかって電話をもらうってこと自体が良い感じだったなあ……須賀くんのかすれた声も聞けたし……えへへ」


「やめてくれ……。ていうか、うちまで結構かかったな。学校でなんかしてからきたのか?」


「ほぇ? ああ、うん、まあ、そんな感じ……」


 突然歯切れが悪くなる小佐田。


「んで、その忙しい中、わざわざその課題をやるために来たのか?」


 おれはノートの少し上の方、


『風邪を引いた時に看病する』


 を指差した。




「ううん。それなんだけどね、」


 小佐田は、突然姿勢を正して、


「ねね、須賀くん」


 寂しそうに笑った。





「幼馴染研究、やめよっか?」

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