第三十三話:りんごの幼馴染

「おい、れん、大丈夫か?」


 ゆっくりと目を開けると、知らない天井てんじょう


 ……いや、高校の保健室か。


 顔を横に向けるとベッドの脇の丸椅子に、あずさ凛子りんこが並んで座っていた。


小佐田おさだは……?」


 そう問いかけると、


「いや、お前……まずあたしとりんがなんでここにいるのかをけよ……」


「小佐田さんなら、私とあずさを部室まで呼びに来て保健室まで連れて来たらどこか行っちゃったよ」


 2人が呆れたような顔をして教えてくれた。


「そっか……」


 おれはゆっくり身体からだを起こす。


「ん? じゃあ、2人は部活を抜けて来てくれたのか?」


「ううん、部活終わってから今ちょうど迎えに来たとこ。蓮君が風邪引いたくらいで部活休めないよ。うちの部長、鬼なんだから……いや、意外と『行ってきなさい』って言う気もするけど……」


「あたしも抜けてねーよ。っつーか、写真部の部室でぶっ倒れたんだって? 菜摘なつみ、すげー慌てようだったよ」


「別に倒れたわけじゃない。ちょっとしんどいから目をつぶってただけで、意識もあったし、保健室までは自力で歩いたし……」


 気づいたら保健室にいた、というわけではないのだ。


「もう、変なところ強情ごうじょうだなあ蓮君は……。小佐田さんに手を引かれて歩いたらしいよ?」


「そうだっけ……?」


 それは、よく覚えてない。


「小佐田さん、『わたし、須賀すがくんが具合悪いのにも気づかず、自分の話ばっかりしちゃって……。ほんと、幼馴染失格だなあ……』って言ってたよ」


「自分でも気づいてなかったっての。あいつが気にむ必要は1ミリもない」


「そんなこと、私に言われても。小佐田さんに伝えてあげないと」


 凛子が『仕方ない人ね』とばかりに鼻で息を吐く。


「……伝える必要もないだろ。そもそも、ここにいねえし」


「……蓮君、ねてる?」


 はあ? と言い掛けたその時。




 ガチャリ、とドアが開く音がした。



「須賀くん……? 起きた……?」




 そろーっと覗き込むように小佐田が顔を出す。


「おお、おはよう。色々迷惑かけてすまん。保健室までありがとう」


「……嬉しそうな顔しちゃって」


 凛子が小さくつぶやいたのは聞こえたが、無視することにする。


「菜摘、どこ行ってたん?」


「あ、うん……これ……」


 梓が水を向けると、おずおずと小佐田が保健室に入ってきて、ベッド脇にかがんで、水筒すいとうを取り出す。


「何だそれ?」


「うん、わたしが風邪ひいた時におかあさんが作ってくれる飲み物なんだけど……」


 そう言いながら、水筒のフタコップに注いで、こちらに渡してくれた。ホットドリンクらしく、湯気ゆげと共に甘い匂いがする。横では梓が「へーすげー……」と言った後、「ん?」と、わずかに首をかしげた。


「作ってくれたのか?」


「う、うん……。わたしのせいで須賀くんが風邪かぜひいちゃったから……」


「いや、全然小佐田のせいじゃねえよ、ちょっと夜更よふかしがたたっただけだ」


「わたしなんかに付き合ってるから、夜更かししないといけないんでしょ?」


 おれはそれには何も答えず、いただいた飲み物を一口飲む。


「……ありがとう」


 お礼を言うと、


「菜摘、それ、りんご入ってる?」


「あ、うん。りんごと生姜しょうがのお湯だよ」


「……ちょっとあたしも飲んでみたい」


 と、梓が横からそのコップをひったくって、ゴクゴクと飲み干した。熱くねえのか……?


「はぅっ、本物の『なんなしにジュースの回し飲み』だっ……!」


 小佐田が『負けたぁ……』みたいな顔をして梓を見上げる。そういえばそんな課題あったな……。って、いや、そこじゃなくて。


「梓、風邪、感染うつるからやめとけよ」


「あたしは蓮と違って身体がしっかりしてるから大丈夫だ」


「あずさってばほんとに……」


 凛子が呆れたように息を吐く。呆れさせっぱなしで申し訳ないな。


「蓮君、歩けそう? もう最終下校だけど」


「うん、ちょっと休んだらだいぶ楽になった。あと飲み物のおかげだな。小佐田、ありがとう」


「うぇっ、すごい素直……!?」


 おれの謝辞しゃじに小佐田が身を引く。


 そして得意の百面相ひゃくめんそうですぐに表情を変えて、安心したような笑顔を見せてくれた。


「でも良かったぁ。また飲みたいときはいつでも言ってねっ!」


 鼻息荒く、いつもの小佐田に戻る。


「それじゃ、帰るか……。あ、親に連絡しとかないと……」


「大丈夫だよ蓮君。お義母かあさまにはさっき私から連絡しておいたから」


 スマホを取り出そうとすると、凛子がすげなく答える。


「今の『おかあさま』、何か妙なニュアンスじゃなかった……? んんんんんー……」


 小佐田が眉間みけんにしわを寄せてうなっている。


「凛も凛だな……。ほら、蓮」


 梓が苦笑いをしたあと、おれに手を差し出す。


「大丈夫、ありがとう」


 その手を取らず、自力でベッドから起き上がり、靴を履いた。




 なぜか先生のいない保健室を立ち去り、校舎を出る。


「じゃあな、小佐田。色々ありがとう」


「ううん! 須賀くん、またあしたね」


「おう、また明日。いや、おれは休むかもしれないけど」


「うん……またあした」


 ニコッと笑って去っていく小佐田に、首をかしげながらもおれは軽く手をあげて、梓と凛子と一緒に新小金井しんこがねい駅への歩き出した。





「それにしても」

 小佐田と離れて少し経ってから、梓が苦笑いしながら言う。


「蓮、よく飲めたな、あの飲み物」


「そうね。蓮君、りんご苦手なのにね」


「2人ともよくそんなこと覚えてるな……」


 そうなのだ。おれは、実はりんごが苦手である。


 物心もつかない頃には美味おいしそうに食べていたらしいのだが、幼稚園の途中くらいでいきなり食べなくなったのだと、母親は言っていた。


「あれ、結構りんごりんごしてたぜー?」


「りんこりんこしてた?」


「凛、本当に頭いいんだからガキみてえなこと言うなよ……」


「ねえ蓮君、本当にりんこりんこしてた?」


 じゃれあっている2人に問われておれはその味を思い出す。


美味おいしかったよ、普通に飲めた。……というかなんか懐かしい味がしたな」


「へー……?」「ふーん……?」


 意外そうな顔と、ニマニマとした顔がこちらを見てくる。


「いや、そういうんじゃなくて……」


「どういうんじゃねーの?」「どういうんじゃないの?」


 前の質問と同じ表情で聞いてくる2人をさておいて、おれは、その『懐かしさ』の理由をつきとめるべく、夕暮れの空を見上げていた。

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