第三十二話:幼馴染にさせないで

須賀すがくん、ちょっといいかな」


 放課後。


 なんだか急に寒くなってきた気がして鼻をすすっていると、やけに神妙しんみょうな顔をして、小佐田おさだがうちのクラスまでやってきた。


「どうした……?」


 おれの問いかけには小さなうなずきだけが返ってきた。袖口そでぐちをちょいちょいと引っ張られ、写真部の部室まで連れて来られる。


 小佐田はうしにドアを閉めて、


「大きな方向転換が必要かも知れないんだよ」


 と、真面目まじめな顔でそういった。


 突然のシリアスムードに戸惑とまどいながらも重い身体からだをイスに預けると、小佐田はその表情のまま、『幼馴染ノート〜研究編〜』をカバンから取り出し、「これについて、5時間目と6時間目にずっと考えてたんだ」と言いながら開いてみせた。


 そこに書かれていたタイトルは。




『徹底議論! 「幼馴染」と「許嫁いいなずけ」はどちらの方が近い関係か?』




「うわあ……」


 まあ、そんなことだろうとは思ってたけど……。


 どちらかというと研究編の方が気が重いんだよなあ。


「わたし、ずっと須賀くんと『幼馴染』の研究をしてきたでしょ? でも、もしかしたら『許嫁いいなずけ』の方が強いんじゃないかって思ったんだよ」


「なんでいきなり許嫁いいなずけ……?」


 分かってる。質問すべきはそこじゃないし、いつもおれは質問すべきじゃないところにばかり質問している。


 でも、この狂いっぷりを前にすると、一番手近な疑問にとりあえずツッコむくらいしか頭が働かないのである。それに今日はなんだか、いつも以上に頭が働かない。頭が働かないって2回言っちゃうくらい頭が働かない。あ、3回目……。


「親同士が仲良しだって聞いて、許嫁いいなずけのフラグ立ってるかなって思ったの」


「立ってねえよ、ていうか仲良しとまでは言ってない」


 おれが言ったのは『最近もたまに連絡をとってるらしい』というくらいだ。


「あ、というか、前提として先に確認しておくね? 須賀くん、許嫁いいなずけっていないよね?」


「いないけど……」


 答えると、小佐田はほっと胸をなでおろす仕草しぐさをした。


「よかった……。あずさちゃんと凛子りんこちゃんみたいな感じで、この議論の最後に『おれ、許嫁いいなずけ2人いるけど……?』って言いかねないもん」


許嫁いいなずけは2人いないだろ」


「それで、だよ」


 おれの真っ当なツッコミを無視して、引き続き真面目な顔で、彼女は改めておれに問いかけてくる。




許嫁いいなずけと幼馴染ってどっちの方が関係性として強いと思う?」




「知らねえよ……」


「そうだよね、まだわからないよね。じゃあ、整理していこうか」


 小佐田は『大丈夫、わかってるから』という顔でうなずいて、


「やっぱり、大きな違いはその『強制力』だと思うんだよ」


 と、人差し指を立てた。


許嫁いいなずけは相手の意思に関係なく結婚できるっていうのが強いよね。相手が自分のこと好きじゃなくても結婚できるし、なんなら自分も『親の都合で仕方なく……』みたいな顔が出来るし。一方、幼馴染は、他の同級生と比較すると特別な関係ではいられるけど、許嫁いいなずけがいる場合にはその点は下位かい互換ごかんになっちゃう」


「下位互換」


許嫁いいなずけものって、『なんであんたなんかと!』『なんでお前なんかと!』ってお互い思ってて、なんならお互い他に好きな人が別にいて、っていうところから始まって、それが段々お互いの魅力に気づいていって、最終的にはくっつくっていうところが醍醐味だいごみだと思うんだけどね、」


「醍醐味」


「その点、幼馴染ものも同じアプローチのことあるけどさ、その子達が『なんであんたなんかと幼馴染なのよ!』『おれだってもっと清楚せいそで可愛いやつが良かったっての!』みたいな話をしてる時に、前述ぜんじゅつ許婚いいなずけカップルからしたら『強制力ないんだから、別にえんきればよくない?』って話になっちゃうよね。ツンデレが効力を発揮しないんだよ」


「前述、ツンデレが効力」


 小佐田の文章の単語だけを切り取って反復するマシーンになっていると、


「須賀くん……だいじょぶ?」


 と声をかけられる。


「え、何が?」


「ううん、なんだか、いつもよりもぼーっとしてる感じがするから」


「いつもぼーっとしてねえよ……。それで、結論は? 許嫁いいなずけが勝ったってことでいいのか?」 


「ほぇ? ああ、うん、それなんだけど……」


 コホン、と咳払いをして、小佐田は言う。


「やっぱり、幼馴染の方がよくないかな?」


「はあ?」


 今までの話なんだったんだ、許嫁いいなずけ優勢だったじゃん……。


「ちゃんと説明するねっ。『強制力』についてなんだけど、やっぱりわたし、お互いに好き合って結婚しないと意味ないと思うんだよね。だから、そんな強制力そもそもいらないっていうか、振り向かせてみせるっていうその意気込みこそが幼馴染っていうか。予定調和よていちょうわじゃダメでしょ?」


「予定調和」


「それにねっ、親が決めた許嫁いいなずけと結婚することになった時に、幼馴染が結婚式場まで奪いに行く方がドラマチックじゃない? エモエモでキュンキュンじゃないっ?」


「エモエモでキュンキュン」


「『菜摘なつみ!』誓いのキスの直前にドアがひらかれるんだ。『れんくん、どうしてここに……? 今日は上流階級だけを呼んで挙式からの披露宴ひろうえんの流れだからいくら幼馴染といえど庶民の蓮くんは呼んでいなかったのに……』」


 セリフが説明くさすぎるし、やけに失礼だな……。


「『おれ、気づいたんだ、おれには菜摘しかいないって! だから、こんな結婚認められない!』蓮くんが叫ぶよね。わたしは答えるんだ、『なんでこんな土壇場どたんばまで何も言ってくれなかったの? 結婚決まってから式までどれだけ期間あったと思ってるの? いくらでも手の打ちようはあったよね? どうせやるなら、結婚式になるもっと前に動いておいてよ……! 費用とか、すごい、かかってるんだけど……!』」


 おお、菜摘、今日は正論だ……。あれ、幼馴染、やっぱり劣勢じゃない?


「『うるせえ! 行くぞ!』『もう、蓮くんの、バカ……!』わたし、大泣きだよね。愛が理屈や式にかかる費用を超えた瞬間だね」


 わたし大泣きなのかよ……。その蓮くん、多分本当のバカだよ……? そしてそれについていく菜摘も大概たいがいだよ……?


「あとね、そもそもの大前提として、さっきもいったけど、許嫁いいなずけものって、お互いに反目はんもくしてるところから始まるから話として面白いんだと思うんだ」


「反目」


 なんか小佐田、今日難しい言葉使うなあ……。おれが理解できてないだけか?




「でも、わたし、蓮くんと今、許嫁いいなずけだったって言われても『やったぁ』としか思わないから、お話が展開しないんだよね」




「え……?」


 それって……?


「ん? 須賀くん、顔が赤い……!?」


「え? ああ、え?」


 ダメだ、なんだろう。視界がかすんでくる。


「だいじょぶ……?」


 小佐田がやけに真剣な顔に戻って、おれのひたいに手のひらをぴとっと付ける。冷たくて気持ちがいい……。


「やっぱり! 須賀くん、熱あるよ!?」


 その声を聞きながら、ああ、やっぱそうだったか、と自覚した途端とたんに頭が重くなり、机に突っ伏した。


 とりあえず。


「幼馴染が勝ったってことが分かってよかった」


「何言ってるの!? 保健室の先生呼んでくるね!」


 バタバタと写真部の部室の扉が開いて閉まる音を聞きながら、おれはそっと目を閉じた。

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