第二十八話:赤黄色の幼馴染

「じゃね、須賀すがくん!」


「またいらっしゃいね、れんちゃん!」


 ニコニコと並んだ2つの笑顔に小さく手を振ってからお辞儀をして、たった1人の家路いえじにつく。


 トン、トン、トン、トン……。


 夕飯ゆうはん支度したくの音と、帰り道の足音はどこか似ているな、なんてことを思う。気づけば、どこかの家からカレーの匂いが漂ってきた。


 そういえば黒い傘は開かれることなく、おれの手に収まっている。


 なんだ、通り雨だったのか。それなら、少し待っていれば、置き傘は置き傘のまま、小佐田は自転車を連れて帰ることが出来たのかもしれない。


 神様の悪戯いたずらみたいな雨は灰色によどんだ雲を連れ去って、今、夕暮れの空はあかねいろに光っている。まだ完全に暗くなっていない細い道路の脇、古ぼけた蛍光灯がポツリポツリと、ともり始める。


 ゆるい温度と、しわがれた空。


 自転の速さに合わせて、少しずつ、だけど確実に、夜が近づく。


 おれはさきほど小佐田親子に小さく振った手をじっと見つめて、ふと笑う。


「『またいらっしゃいね』、か……」


 そして、少し息をつき、そっとつぶやくのだ。




「親子共々やばかったな……」







 電車に揺られて、地元の駅で降りてホームから階段を上がると。


「おー、蓮」 


 どうやら同じ電車に乗っていたらしい。向かい合わせの階段を上がってきたあずさと上ではちわせた。


「おう、梓」


「帰宅部のくせに、まだ帰宅してなかったのか。何してたん?」


 ブレザーのポケットに手を入れた梓が首をかしげる。


「あー、いや……」


「……ん?」


 そこまで言ってから、梓はおれの制服に顔を近づけて、くんくんと何かをぎはじめた。


「……なんか、蓮と違う匂いがする」


「は?」


 ……なんだこいつ。犬?


「あたしは鼻がくんだ。これは……ん、菜摘なつみの匂いか……?」


「まじかよ……」


 しかも言い当てやがった。


 凛子りんこ読唇術どくしんじゅつ、梓はするど嗅覚きゅうかく


 おれの幼馴染たちは諜報ちょうほう部員ぶいんかなんかなのだろうか。


「菜摘と遊んでただけじゃ、こんな ”濃い” 匂いはつかねーよなあ……」


 なんか発言が少年漫画じみてきてるし。


「抱きつかれたか……? いや、それにしちゃ匂いが全体に染み渡ってる……、お前、菜摘んにでも行ったか?」


「そう、だけど……」


「んなっ!?」


 この野生の子相手に隠し切れる気もしないので白状すると、梓が口を開けて驚く。


 そして、スーッ……とおれの下半身に視線をうつし、


「お前、まさか……!?」


 と目を見開いている。


「どこ見て話してんだよ……なんもねえよ」


「本当かよ……?」


「本当だっての。小佐田の母さんもいたし、小佐田の部屋にすら上がってない」


 おれが潔癖けっぺきを証明するためにそういうと、梓は両手をわたわたと動かし始めた。


「ちょ、ちょっとやめろよ、なんか生々なまなましいだろ! 菜摘の母ちゃんがいなかったら菜摘の部屋に上がって、そんでその先までやってたような言い方すんな!」


「そんな言い方してねえだろ……」


 珍しく顔を赤くして焦っている梓をあきれて眺める。


「っつーか、なんかお前がその落ち着き払った顔してんのが気に食わねーっつーか……お前、女子の家に上がったんだぞ?」


「だからなんだよ」


「だ、だからなんだよだとっ!? お前はいつからそんなやつになっちまったんだ……! つーか、そのまま帰ったらおばさんとかあやとかに疑われるぞ? 赤飯かれるぞ?」


 態度はでかいが身長はおれよりも少しだけ小さい梓がおれの顔を覗き込む。なんか知らんが心配してくれているらしい。ちなみに、綾は妹の名前だ。


 だが、何を疑われるのかもよく分からないし、疑われても事実無根だ。


「……よし、あたしが付いてってやる」


 おれの考えていることなど置きっぱなしで、何かを決意したように梓がそんなことを言い始める。


「もし家族に何か言われても、『蓮は付き合わされただけなんだ』ってことをちゃんと説明してやる。なんなら、『蓮についてるのはあたしの匂いだ』ってことにしても良い」


「いや、うちの家族は梓ほど鼻が利かねえよ……」


 ていうか、梓の匂いにしたってなんの意味もないだろ。


「いいから、いくぞ」


 やけに力強く腕を引かれ、おれは自分の家に帰ることになる。まあ、梓の気の済むようにすればいいけど……。




 帰って、鍵を開けて家に入ると、おれたちを出迎えたのは、真っ暗な玄関。


「あれ? おばさんとあやは?」


「あー、そういや今日母親は帰りが遅いって言ってたな。綾は学校からまだ帰って来てないだけだと思う」


「え? そうなのか? なんだよ、じゃあ、あたしが付いて来た意味ねーじゃん」


「だから、別にもともと頼んでねえって」


 おれは靴を脱ぎながら自分の家に上がる。


「んじゃ、どうすっかなー……あ。そうだ」


「ん?」


「あ、あのさー……」


 振り返ると、玄関でもじもじとしはじめる梓。


「どうした? トイレか?」


「ち、ちげーよ。あの……『もうこい』、借りてっても良いか……?」


「お前、ハマったのか……?」





 おれと梓は、玄関のすぐ脇にある綾の部屋に入る。


「勝手に入っていーのか? 綾に怒られるんじゃ……」


「うちの妹は兄のことが嫌いでも、逆にブラコンでもないから大丈夫だろ」


「そういう問題なのか……?」


 首を傾げながらも梓は本棚の前に立って、目当ての物を探し始める。


「なー、蓮、これ、なんでどの巻も何冊かあるんだ? 一冊で良くねーか?」


「……知らねえよ、保存用と読書用と布教用、みたいなことなんじゃねえの?」


「何言ってんだお前……?」


 やばいものを見るような目つきでこちらを見上げてくる。


「おい、おれのことを小佐田を見るような顔で見るな。そういうのがあるんだよ。とにかく、何冊もあるから一冊ずつ借りてっても大丈夫だろ。読んでない巻選んで持っていけ」


「おう……」


 そう言いながら、パラパラとめくり、読み終わったらしいところを探している。とはいえめくっている場所がかなり序盤じょばんだ。この間来た時にいかに読み進んでいないかということがうかがえる。


 梓は2、3冊カバンに入れると、玄関まで戻って靴をく。


「んじゃ、綾にありがとって伝えといてくれ」


「おう、じゃあな」


 そう言って梓に手を振ったちょうどその時。


 扉が開いた。


「ただいまー……って、あれ!? あずちゃん!? え? ふたり!? え!?」


 扉を開けた妹は、突然目の前に現れた光景に目を白黒させている。


「あ、綾! ご、誤解だ! 蓮は付き合わされてるだけなんだ!」


「えっ、じゃあ、あずちゃん主導でってこと……!? 家族がいない間に……!?」


「いや違う、れ、蓮についてるのはあたしの匂いだ!」


「ふぇっ!? ちょっと、お兄ちゃん、どういうこと!?」


 顔を真っ赤にしている女子高生と女子中学生を目の前に、おれは頭を抱える。


「梓が誤解を招き込んでどうするんだよ……」

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