第45話 厄介事を持ち込まないでくれ

「それで、この人は誰なの?」


 セリファが床掃除をしながら俺に聞いてくる。

 俺とグローは、大将が焼いてくれたステーキを頬張っていた。


「あ?あぁ、エルウィンだ。ほらこの間、矮鬼ゴブリンの部隊を殲滅した時に発見した穴の先にいた眠れる美女だ」

「この人が!?」

「改めまして、私はエルウィン。ガルに助けられた古代耳長人エルフの唯一の生き残りです」


 俺とグローの動きが止まった。

 エルウィンが何とも流暢に現代耳長人語を喋っている。


「お主!喋れるようになったのか!?」

「スゲーな!あれからまだ3ヶ月も経ってないだろ!?」

「研究所で翻訳の仕事を手伝っていたら、喋れるようになったの。現代耳長人語って簡単ね」

「ハハハ!古代耳長人語の方が圧倒的に難しいからのぉ!」

「しっかし、こんなに喋れるようになるなんて思ってもなかったぞ!そーだ、セリファ!エルウィンにもエールを!お代は俺が持つ!」


 セリファは溜息を吐きながら箒を片付け、厨房へ向かった。


「エルウィン、エールを飲んだことはあるか?」

「エール?」

「知らんか。酒だ、酒」

「お酒自体、飲んだことないわ。慣わしで、女は酒を飲んではいけなかったから」

「難儀な慣わしだのぉ」

「って事は、酒自体が初めてか!」

「大丈夫なの?そんな人にエールなんて飲ませて……」


 セリファが樽ジョッキでエールを持って来た。


「これが、エール……」


 ジョッキを両手で持ち、泡を眺めるエルウィン。


「何だか、フルーツみたいな香りね」

「この辺りで作られるエールの特徴だ。フルーティーな香りで少し甘め。飲みごたえもそこそこある。イーストエールって呼んでるが、人によってはヴァイツェンなんて呼ぶらしい」

「イーストエール……」

「エールは土地によって原料が違うのだ。南部はホップを大量に使って苦味が強い。サウスエールやらブラウンエールと呼ばれるのぉ。ワシはこれが一番好きだ」

「他にも、西部のエールはハーブを使ってたりするから、香りが豊かで面白い。ウエストエールとか、ホワイトエール、ハーブエールなんて呼ぶ奴もいるな」

「北部は原料をローストして作るからの、香ばしい匂いと黒い色が特徴だ。苦味も甘味も強くて飲みごたえも重く、これがなかなかにイける。ノースエール、ブラックエールと呼んでおる」

「はぁ……」


 いかんいかん、酒が初めてと聞いて調子に乗ってしまった。


「まぁ、とりあえず飲んでみろ」

「うん……」


 エルウィンは思い切ってエールを一口。


「!?!?」


 目を白黒させている。

 ゴクリと飲み込んで、見開いた目で俺の方を見る。


「何だこれは!」

「どうだ?美味いか?」

「不思議な味だ!こんなの飲んだことがない!」

「そりゃそうじゃろ。エールが生まれてせいぜい500年も経っておらん。古代耳長人は飲んだ事ないはずだ」

「甘味の奥に、ほんのりと苦みがある……。美味しい……」

「ガハハ!そいつは良かった!」

「エルウィン、腹は減ってるか?大将に何か作ってもらおう!」

「アンタ達、ウチはまだ開店してないんだけど……」

「いいじゃないか、なぁ大将!」


 俺に呼ばれて大将が厨房から顔を出した。


「しゃーないだろ、セリファ。ウチのお得意さんだ、多少融通を効かせてやらんとな」

「ホント、ガルには甘いんだから……」

「何だ、セリファ、お前も混ざりたいのか?」

「何言ってんのガル!私は店員なのよ!?」

「良いではないか、のぉ大将?」

「開店前だからな、セリファも客だ」

「えぇ!?」

「セリファも座れって!」

「これから仕事なんだから、お酒飲まないわよ!?」


 そうして、結局は4人での飲み食いが始まった。



「結局、エルウィンはなんでこの街に来たんだ?」


 大将の店の営業時間が始まり、夜も更けてきた。

 しこたまエールを飲んだグローは空のジョッキを片手に、既にいびきをかいている。


「ガルに会いに来たのよ?」


 エルウィンの白磁の様な白い肌は、酒の景況で桜色に染まっている。

 結局、エールをジョッキ2杯飲んだあとは、葡萄酒の水割りを好んで飲んでいる。

 何でも、幼い時に飲んだ村の葡萄ジュースに味が似ているらしい。


「俺に?」

「なんかあったら俺を尋ねろって言ったのはガルよ?」


 俺はチーズを齧りながらエールを飲む。


「まぁそうだが、王都での仕事はどうした?」

「辞めた」

「ふーん……」


 再びチーズを齧りながら返事をした。

 いや待て、今『辞めた』と言ったか?


「はぁ!?」


 いかん、酒のせいで反応速度が遅くなっている。

 辞めたとはどういう事だ。


「辞めたって、研究所を辞めたのか……?」

「ええ、そうよ?それ以外に何があるの?」

「いやいや待て!だとしたら、アンタこれからどうやって生きていくんだよ!」

「だから、ガルの所に来たんでしょ?」

「……はい?」


 唐突過ぎて理解が追い付かない。

 酒のせいもあるのだろうか。

 それ以上に、嫌な予感しかない。

 エルウィンは酒で火照った顔を俺に向け、芸術的な笑顔で言い放った。


「ガル、私を養って」


 俺は思わず頭を抱えた。

 エルウィンが言うには、研究所でやる事がなくなったのが一番の原因らしい。

 初めの方こそ、古代耳長人文字の解読に強力な助っ人が来たと、研究者たちは喜んだが、結局は現段階で文献にある文字のほぼ全ての解読が出来ており、特に解読の助力は必要なかった様だ。

 更にエルウィンは記憶喪失で過去の記憶が曖昧な部分が多く、当時の生活は勿論、習慣や儀式、信仰などに関する記憶も断片的なもので、使えないと判断されたらしい。


「1ヶ月もすると、私が思い出せる過去の事も底を突いてしまって。段々居場所がなくなっちゃったの」


 何ともあっけらかんと言うエルウィン。

 しかし、本当は不安で仕方なかったのではないか?

 頼れる相手もいない現代で、唯一の居場所として与えられた研究所でも、結局は居場所がなくなった訳だ。

 飛び出したくなるのも仕方がない。


「まぁ、状況は分かった。とりあえず、王都に戻って研究所の退所手続きをしないと、向こうにも迷惑が掛かるだろ」

「もう済ませてるわ」

「はぁ?」

「だから、もう研究所は退所してるの」


 ちょっと待て。

 退所したって事は、エルウィンは現在無職なのか?


「退所しないと外に出れないんだもん」

「おいおい、じゃあマジで俺だけを頼りに来たのか!?」

「そうよ?何か変?」

「はぁ……」


 豪快なのか、向こう見ずなのか……。


「どうやって生きていく気なんだ……」

「だから、ガルに養ってもらおうと」

「それはどういう意味なんだよ……」

「結婚するという意味以外にないだろ」


 突然むくりと起き上がったグローがとんでもない事を言い出した。


「お前、起きてたのかよ」

「今起きた。エールもう1杯!」

「まだ飲むのか……」

「それより、良いではないか、結婚すれば」

「話が飛躍し過ぎだ」

「結婚かぁ、それもいいわね」

「よかねーよ!」

「何?私じゃ不満なの?」


 エルウィンがジリリとにじり寄って来る。

 近付かれると、余計にエルウィンの美しさが分かる。

 透き通るような白い肌はキメが細かく、何処となく輝いて見える。

 まるで宗教画に出てくる天使の様な神々しささえ感じる。


「ちょっと待て、それってどういう事だ?」


 俺はエルウィンから距離を取りながら、気になった台詞を問いただす。


「私も冒険者になりたい!」

「は?」

「ガハハ!」

「私をガルの仲間に入れて欲しいの!」


 キラキラと目を輝かせるエルウィンと、エールを飲みながら大笑いしているグローに挟まれ、俺は頭を抱えるしかなかった。

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