第26話 状況開始

 サリィンの表情は強張っていた。

 ここ数日、グローとは様々な論議をした。

 この作戦の主目標は魔王軍の討伐ではないと、何度もグローから言い聞かされた。

 勝利を求めれば、必ず足元を掬われると。

 主目標は街の防衛だ。

 その為、敵兵力の殲滅ではなく、釘付けが出来ればいいそうだ。

 頭では理解している。

 しかし、不安で仕方ない。


「私は臆病者だ……」


 ポツリと呟く。

 戦後配属組で戦闘経験が皆無な自分が、街を守る為の200を超える軍勢を率いている。

 現実味が全くない。

 言い知れない恐怖を感じていた。


「サリィン伍長!」


 その時、砦の下からサリィンを呼ぶ声がした。


「どうした!」


 砦の上から身体を乗り出して返事をする。

 街に残した文官の1人が血相を変えていた。

 サリィンは最悪の想像をする。


「火急の知らせです!」


 その知らせを聞いて、サリィンは急いで砦から降りた。



「もぬけの殻だの……」


 俺が単眼鬼サイクロプスと対峙した場所まで潜った。

 そこには単眼鬼はおろか、狗鬼コボルド1匹すらいない。


「戻るぞ、グロー。砦がヤバいかもしれん」

「うむ……」


 そう言いつつ、グローはしゃがみ込み床を見ていた。


「どうしたんだ?」

「足跡だ。どれも慌てて出て行った様だ。しかも、村ではなく木こりの町へ向かっている様だ」

「何?」


 となると、戦略的撤退か?


「奥に進むか?」

「いや、一旦戻るぞい。これだけでは判断できん。兵力を下げたとなると、このルートを使わず、別の街に進撃する可能性もある。情報が欲しい所だ」

「分かった」


 俺達は来た道を戻る。

 入り口まで500メートルに迫った時だ。


「うん?」

「お?」


 俺とグローは同時に振り返る。

 地面が微かに揺れている。

 これは落盤などではない。

 足音だ。

 しかも、かなりの数が同時に走っている。


「おい、グロー!」

「これは進軍ではない!何かあったのだ!それから逃げて走っておる!」

「早く外に出るぞ!」


 俺達は全力疾走で坑道を走る。

 しかし、足音は段々と近付き、大きくなる。

 何とか外に出た。

 それと同時に大声を張り上げる。


「敵襲!各員、戦闘配置!矢を番えろ!」


 俺の声に気付き、砦の上の連中が半弓ショートボウに毒矢を番えた。

 俺とグローは急いで砦に上がる。


「来ましたか!」


 俺達はサリィンの隣に立つ。


「どうも妙だ。ワシらは接敵しておらん。向こうから全力で走って来よる」

「もうすぐ出てくるぞ!構え!」


 サリィンが叫ぶ。

 サリィン自身も半弓に矢を番え、引き絞る。

 足音が大きくなる。

 緊張の糸が張り詰め、静かになった刹那。

 坑道から狂った様な速度で飛び出す狗鬼。


「放て!」


 無数の矢が狗鬼に降り注ぐ。

 それはまさに地獄絵図だった。

 矢が急所に当たり即死する者。

 急所から外れたために、毒で痙攣を起こしながら泡を吹く者。

 仲間の死体に足を取られて転倒し、他の仲間から踏みつぶされる者。

 柵に足止めされ、後ろからぶつかって来た仲間に押し潰される者。

 あまりにも一方的な状況に、俺は何とも言えない気分になった。


「ガル殿、グロー殿、よろしいですか?」


 矢を射掛けながら、サリィンが俺達を呼ぶ。


「何だ?」

「先程、東方司令部から連絡が来ました」

「ほう、援軍の事かの?」

「司令部によると、中央で展開していた大規模な討伐戦が終了し、その内の一団がこちらに向かったとの連絡でした」

「いつ頃の到着になる?」

「それが、この村に向かった訳ではないそうでして、既に行動に出ているとの事でした」


 サリィンのその言葉を聞いて、グローが大いに笑った。


「そういう事か!」

「どういう事だよ?」

「この騒ぎはその王国軍の仕業だ。木こりの町の方で戦闘が起き、魔王軍残党が敗走。此奴こやつらはその敗走兵だぞい」


 つまり、中央に展開していた討伐軍の一部が木こりの町へ攻め入ったのだ。

 一部と言っても中央に展開していた総兵力は3万近くらしい。

 その一部だと言うのだから、1000近い兵数ではないだろうか。

 そんな数に捲し立てられたらひとたまりもない。

 そりゃ、トチ狂った様に走って逃げてくる訳だ。

 それにしても連絡が遅いのではないだろうか。


「なんでその連絡が遅いんだよ」

「それは……」

「なぁに、手柄が欲しい中央司令部のせいだろ。わざと連絡を遅くし、自分達がというシナリオが欲しかっただけの事よ」


 グローの声が不快で満ちていた。

 かなり嫌悪しているようだ。


「派閥争いなぞ、珍しくもない。民の事なんぞ考えちゃおらん」

「面目ありません……」

「お主が謝る事ではないぞい、伍長。それに、まだ終わっちゃおらんぞ?」


 広場には未だに多くの狗鬼が湧き出していた。

 敗走兵でこの数だ。

 500近い兵数を隠していたのかもしれない。

 そう考えると、偵察として安易に坑道へ入った自分の行為が、どれ程危険なものだったか、今更ながら身の毛がよだつ。


「おっと、サリィン。そろそろ大本命のご到着だ」


 グローがニヤリと笑う。

 俺は坑道の入り口を注視した。

 狗鬼達の装備の質が良くなっている気がする。

 それに、明らかに身体のデカい奴が増えた。

 小型種の狗鬼にしては、人間ヒューム耳長人エルフと同じくらいの背丈がある者も混じっている。


「精鋭が敗走してきたようだな」

「指揮官が出てくるやもしれん」


 左手を負傷した俺は、広場をただ見下ろす事しか出来なかった。

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